INTERVIEW
アシュラシンドローム × 打首獄門同好会 × オメでたい頭でなにより
2017.11.02UPDATE
アシュラシンドローム:青木 亞一人(Vo)
打首獄門同好会:大澤 敦史(Gt/Vo)
オメでたい頭でなにより:赤飯(Vo)
インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 上溝 恭香
撮影協力:高円寺 五弦-IZURU- (https://twitter.com/izuru_kouenji)
ベーシストが新加入し、4人の新体制となったアシュラシンドロームが、11月8日にニュー・シングル『男が女を唄うとき』をリリースする。このリリースを記念して、11月16日には渋谷TSUTAYA O-WESTで打首獄門同好会とオメでたい頭でなによりを招き、企画イベント"アシュラシンドロームpresents「メテオストリームアタック!!」"の開催が決定した。打首とは旧知の仲であり、打首のネット番組"10獄放送局"でアシュラのフロントマン、青木亞一人のナイスなキャラクターが知れわたることにもなった縁の深いバンドであり、オメでたとは知り合って間もないながらも、たびたび飲み歩いている仲だと言う。アシュラはもちろん、3バンドとも個性もインパクトも強いサウンド且つ、音楽が肝なだけに、熱い一夜となりそうだ。今回は、イベントを前にそれぞれに語り合ってもらった。
-今回はアシュラシンドロームのニュー・シングル『男が女を唄うとき』のリリース記念として、"アシュラシンドロームpresents「メテオストリームアタック!!」で対バンする3バンドのフロントマンに集まっていただきました。
青木:いやぁ、緊張しますね。
大澤:緊張するんだ。
青木:しますよ。
赤飯:初めてじゃないでしょ、こういうの。
青木:まぁ。
赤飯:じゃあ、いいじゃん。
青木:いやぁ、仲いい人たちなんだけど、こうやって改まると、なかなか緊張感があって......。
大澤:あっ、改まります? どうも、初めまして。
青木:改まりすぎですって! いやいやいや。
大澤:打首獄門同好会の大澤です。
青木:よーくよーく知ってますから、大丈夫です。いつもお世話になってます。
大澤:結成13年目です。
赤飯:オメでたい頭でなによりの赤飯です、結成1年のペーペーです、よろしくお願いします。
青木:こういうのがやりづらいわけ(笑)! いつもどおりやりましょう。
-なんとなくの関係性も見えてきましたので(笑)。まずは、なぜこの3組でイベントを組もうと思ったのかを、企画者であるアシュラシンドロームの青木さんから聞かせていただけますか。
青木:まず、今回お願いするにあたり、アシュラシンドロームは今年、渋谷WWWでワンマン(6月9日に開催された"超メテオストロームZ~売れる予感~")をやらせていただいたんです。もうひとつ上のところで勝負をしたい、イベントをやりたいとなったときに、打首(打首獄門同好会)に関してはいつもお世話になっていますし、これまでにも一緒にいい景色も見せていただいてますので、すぐにお願いをさせていただいて。赤飯に関しては、出会ってまだ半年も経ってないのかな。そんなに古い仲ではないんですが、ものすごく仲良くなりまして。オメでた(オメでたい頭でなにより)のライヴも観て、すげぇ奴だなと思ってまして、一緒にできたら面白いだろうと。WWWでのワンマンのときのゲストにも、おふたりには出ていただいたので、話のセオリー的にはこの3バンドでできたら面白いんじゃないかとお誘いさせていただいた次第です。
-もともと打首獄門同好会とはどんなふうに出会っているんですか。
青木:アシュラ(アシュラシンドローム)の初代のベーシストの繋がりで、打首と対バンさせていただいたのが、最初ですね。
大澤:そのベースの人がやっている別バンドを知っていたんです。で、当時アシュラシンドロームは札幌で活動をしていたんですけど、東京で企画をやるということで誘ってもらって出演したときが出会いですね。
-お互い、そのときはどういうバンドだと思ってましたか。
大澤:俺は最初、青木君はもっとクールな人だと思ってたんだけどね。
青木:札幌から上京してきたときに、イケイケな感じでいきたかったんですよ。まぁ、見てのとおりタッパもあるし、サングラスとかして、ナメられたら嫌だなっていう感じでいたんですけど。どうも大澤会長が、僕のこういうイジられキャラみたいなところにすぐに気づいてしまって。
大澤:だんだんと、"あれ?"っていうね。
青木:音楽的にも笑いはなくて――今も、笑いをとってるわけじゃないですが。ゴリゴリなラウドな感じでやっておりまして。
大澤:フロアに対するスタンスも、"お前ら、かかってこい"くらいのね。
青木:言ってましたね、オラオラな感じで。そのときは、それが良しと思ってましたね。
-それが、どの段階で変化していくんですか。
青木:メンバーが変わったというのが大きいですね。一時は、僕だけになってしまって、最終的に今のメンバーに行き着くわけなんですけど、そこに至るまでに変わっていったりもしました。あとは、この方(大澤会長)とお会いしたのが一番大きな影響だったんじゃないかなと思いますね、僕は。自分が今まで培ってきたオラオラな感じがスッとなくなってしまって。
赤飯:はははは(笑)。
-そんなに簡単に(笑)。
大澤:素になってきた感じだよね。
青木:あとは、タイミングよくうちの親父が歌詞を書いてきたりとか、食品"青ばん"(※父であるJP青木が作る"青なんばんのしょうゆ漬け")を送りつけてきたりということが、全部いろいろ合わさって。昔に比べると、一般の方にも聴いていただけるくらいに軽くなっていったみたいな感じではありますね。
-大澤さんは、青木さんの人柄をどう見抜いたんですか。
大澤:なんかいつの間にかですね(笑)。
青木:僕は忘れないですよ。渋谷CYCLONEで打首が企画をやったとき(※2011年)ですよ。そこに"うまい棒"の格好をして出たときが、最初ですから。
大澤:あのときは確か、震災の直後で。チャリティ企画とかが多かった時期で、アシュラに出られないかなっていうことで声をかけたら、"この日はどうしても無理だけど、気持ちとしては出たい"っていうことで。じゃあ青木君だけで出るかっていうことになって。うちで1曲歌えるようにしたんです。何がいいかというので、じゃあ青木君に"うまい棒"配ってもらうかい? っていうことで、"うまい棒"の格好をして出てきてもらって(笑)。「デリシャスティック」を歌うというね。
青木:高々と"うまい棒"を掲げて言ったわけですよ、"「デリシャスティック」!"って。なのに、演奏に入らないんですよ。
大澤:全然イントロにいかない(笑)。
青木:あれ? っと思ったら、ゲラゲラ、ゲラゲラ笑ってるんですよね。そのぐらいのときからですね。
大澤:だんだんと付き合いが深くなっていくにつれて、ああ、これは嘘ついてるな、こいつは本当はそういう奴じゃないなとわかってきて。でも、俺との付き合いで化けの皮が剥がれたみたいに言ってるけど、札幌で昔から応援してるファンと語ってみたら、みんな気づいてたよ(笑)。"本当はそうじゃない"って。
-東京に出るっていうので、頑張ったんですね。
青木:まぁまぁそうですね、新天地ということで、僕の態度とか言動とかやり方次第では、バレずにいけるかなと思ったんですけど。すぐバレちゃいました。ダメですね、嘘ついちゃ。
大澤:自分を飾ってしまっていたね。
青木:ありがとうございます、本当に。皮を剥いでいただきまして。
-赤飯さんとは、どういう出会いでしたか。
青木:赤飯に関しては、声を掛けてもらったんですよ。
赤飯:とあるハコでやった新年会のイベントで、初めて挨拶をさせてもらったんです。そのときは、言うても青木さんは先輩なので、"挨拶をさせてもらった"くらいの感覚だったんです。"オメでたの赤飯と申します、よろしくお願いします"くらいのテンションで、"お写真1枚撮らせてもらってよろしいですか"っていうノリで。それで、青木さんと撮ってもらったよ! っていう感じだったんです。それで速攻でご飯に誘ったんですよね。最初の2ヶ月くらいは普通に敬語で喋っていたんですよ。
青木:そうだね、うん。
赤飯:先輩だから。
大澤:で、2ヶ月で先輩終了。
青木:いいんですよ。先輩とはいっても、年がそんなに離れているわけじゃないし、仲良くなりたいし、別に敬語じゃなくていいんじゃないかなっていうので、"いいよ赤飯、もう敬語やめようや"って言ったら、次の瞬間から。
赤飯:"わかった。ええで"っていう。
青木:あれ、早かったなぁ......。
大澤:そのひと言を待ってたくらいの(笑)。
青木:でも、よく飯も行くし、飲むしね。最近ようやく、サーキット・イベントとかでも一緒になるようになったり、一緒に打首のツアーにも呼んでいただいたりしてますね。