INTERVIEW
オメでたい頭でなにより × 激ロック × バイトル
2018.04.10UPDATE
2018年04月号掲載
Member:赤飯(Vo) ぽにきんぐだむ(Gt/Vo) 324(Gt) mao(Ba) ミト充(Dr)
Interviewer:吉羽 さおり Photo by 上溝恭香
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日本最大級のアルバイト求人情報サイト"バイトル"と激ロックによる"激的アルバイトーーク!"の今回のゲストは、4月4日にシングル『鯛獲る』でメジャー・デビューを果たした、"オメでたいコア=オメコア"バンド、オメでたい頭でなにより。メンバーそれぞれが様々な経験を経て、みんなをハッピーにする音楽を生み出している彼らは、どんなアルバイトをして、何を培ってきたのかを語ってもらった。また今回は、普段は経験できないような非日常的なアルバイトが体験できる企画"ドリームバイト"で選ばれた、大学生の鍋島菜摘さんも激ロック編集部の一員として参加。オメでたい頭でなによりの5人に切り込んでもらった。
-本日はみなさんが経験してきたアルバイトについてのお話をうかがいたいと思います。まずは、それぞれどんなバイトをしてきたのか聞かせてください。
mao:僕は、合計ふたつですね。もつ鍋屋さんで、3年くらいやっていて。そこの料理長が独立してお店を作るということで、その料理長にスカウトされて1年くらいイタ飯屋を同時にやってました。
ミト充:鍋からイタ飯屋なんだ。
mao:そう。それで、合計4年くらいですね。
-スカウトということは、料理の腕前が高いのでは。
ぽにきんぐだむ:すごくうまい。
赤飯:ちょこちょこと任されて作ってたよな。何作ってたん?
mao:カルパッチョとか。
ぽにきんぐだむ:カルパッチョって、(具材を)ちぎって、乗せて、(ソースを)かけるだけじゃない?
mao:簡単なキッチンとホールをメインでやってました。以上です!
赤飯:飲食のバイトは、全員経験あるんじゃないかな。
324:僕は、飲食はやっていたんですけど、"チョコ"と"おちょこ"を間違えて、クビになりました。ホテルの最上階にある、いいレストランで働いていたんですけど。団体のお客さんが来たときに、"ちょこを4つ欲しい"とオーダーがあって。メニューにチョコの盛り合わせがあったので、出すの初めてだなと思いながら、裏で頑張って盛り合わせを作っていたら、"何してんの?"って他のバイトの子に言われて、"チョコ4つというオーダーがあって"と言ったら、手伝ってくれたんです。そしたら、ホールの責任者みたいな人が入ってきて、"おちょこまだか!?"って。"おちょこ? 今チョコの盛り合わせ作ってます"って言ったら、"いや、チョコじゃなくて「おちょこ」だから"って、バイト終わってからめっちゃ怒られて。いろいろあってクビになりました。
mao:いろいろあったんだ(笑)。
ぽにきんぐだむ:おちょこの1件がトリガーだったんだね。
324:その瞬間、俺向いてねぇなって思って。普通に生きるの向いてねぇなと。
ぽにきんぐだむ:社会不適合者だと悟った。
ミト充:そんなことないよ(笑)。
324:あと、面白いバイトのエピソードとしては、治験のバイトですね。いろんな治験のバイトを募集しているサイトがあって、どんなもんだろうと登録して、応募したのが、ビール会社のテストだったんです。病院に行って、ビールが出されるんですよね、ジョッキ2.5杯と超薄い味のシチューとかクラッカーとか病院食が出てきて、それを全部飲んで、食べてくださいって言われて。病院食を肴に、ビールをジョッキ2.5杯分飲んで(笑)。そのあと4時間くらい、15分に1回くらいのペースで酩酊度調査をするんです。それで酔っ払ったまま日帰りで帰されるっていうのを2日間やって、(バイト代は)5万円でした。
赤飯:悪くないね。
ぽにきんぐだむ:俺はだいたい、夜、5万払ってビール飲むけどね(笑)。
-そういうバイトも、変わっていて楽しそうですね。
ぽにきんぐだむ:僕は、すごい面白いんですけど──
mao:ハードルを上げるな。
ぽにきんぐだむ:17歳のとき、音楽で食っていこうと思って高校を中退して大阪から上京したんですけど。音楽で食っていくには、まず音楽の成り立ちを学ばないといけないと思って。どういうビジネスのあり方で、音楽で飯を食えるのかなと思って、とあるレコード会社に入ったんです。そこでいろんなアーティストのインストアとかのポップを作ったり、発送をしたり、時にマネージメントのサポートをしたりしていた事務所に、今、オメでたい頭でなによりで所属しています。
-そうだったんですね(笑)。
ぽにきんぐだむ:10年くらい経って今、自分が働いていた職場のアーティストになりました。
赤飯:夢ありますね、それも。
ぽにきんぐだむ:あと、他のバイトとしては、コンビニや居酒屋ですね。
赤飯:僕は、結構バイト遍歴があって、最初は地域密着型の個人経営の漫画喫茶のウェイターを始めました。その前に高校時代に郵便局の年賀状の仕分けと配達するというのを、高2のときにやろうと思って"さぁ、明日からバイトや!"っていうときに、腎臓結石で倒れて、尿が真っ赤っ赤になって。
ぽにきんぐだむ:だから"赤飯"。
赤飯:それ関係ない(笑)。尿が真っ赤になるとね、さすがに、これまでの思い出が走馬灯のように頭を駆け巡るんですよ──って、バイト関係ないですけど(笑)。で、漫画喫茶で働きまして。次に個別指導の塾の先生をやったんです。ずっとそこで英語を教えていました。生徒を数名受け持っていたんですけど、みんな軒並み成績が上がらんくて。仲良くなるけど成績は上がらん、みたいなことで、典型的なダメな先生でしたね。ただ、"先生のおかげで英語が大好きになれたよ"って、何年かあとに(当時の生徒から)メッセージを貰いましたけど。
mao:最高の褒め言葉だね。
赤飯:そのあとは、コンサート・スタッフをやってました。
-バンドマンの方は、経験者が多いバイトですね。
ぽにきんぐだむ:俺もそれやってたわ。
赤飯:僕は名古屋に住んでいたので、名古屋の会社で。チケットのもぎりをやったりカバン・チェックをしたり、場内警備をやってました。
324:誰のライヴとかでやってた?
赤飯:一番印象に残っているのは、コブクロさんかな。バイト着で、番号つきのジャンパーを着ているんですけど、みんなの汗とかが染み込んでいて臭いんですわ。僕、匂いに敏感なので、気になってしゃあなくて、無意識に(ジャンパーを)クンクン、クンクンやってたら、バイトの先輩が来て、"お前さっきから何クンクンやってんだ! なよなよしてるなよ"って、めっちゃ怒られて。あ、ちゃんとしようって思って。ちょうどコブクロさんがMCしていたんですけど、それがむっちゃ面白くて。それで、つい笑ってたら後ろから先輩が来て、"何ヘラヘラしてんだ、出て行け!"って言われて。そんなことがありました。
-先ほどの個別指導の英語の先生をしていたときは、生徒さんが英語を好きになるような、赤飯さんならではの教え方があったんですか。
赤飯:そうですね。5文型から結構ちゃんと教えてましたね。それを覚えたら、次に進めるよってやっていたんですけど、誰も覚えてくれませんでした(笑)。ただ、関係ない話はいっぱいしましたね。"英語って、これでこうでなんだよ"とか、スラングを教えたりして(笑)。授業にはあまり関係ないことも話していたことで、興味を持ってくれたみたいで。楽しんでくれてたみたいです。
-結果、記憶に残る先生になったんですね。では、ミト充さんはどうですか。
ミト充:僕はたくさんありますね。順番に言うと、ガソリンスタンド、コンビニ、ライヴハウス、家電量販店、コールセンターの問い合わせ、ガソリンスタンド──
mao:それ言った。
ミト充:2回やってるんだよね。そのあとに、寿司屋、車の買取業者と、ドラムの教室の先生、かな。あと、ガールズ・バー兼ダイニング・バーのキッチン・スタッフもやってました。ガソリンスタンド時代はお得意さまで、俳優さんとかプロレスラーの方が来ていましたね。そのあとに働いていたライヴハウスには、今仲良くしているPENGUIN RESEARCHの新保恵大(Dr)とか、DOPEDOWNの大和(Gt)がライヴしに来てましたね。
324:そうなんだ。
ミト充:向ヶ丘遊園にあった、もうなくなってしまったライヴハウスなんですけどね。そのあと、"電車男"とか秋葉原とかが流行ったころに、秋葉原の家電量販店で働いていて。外国人もたくさん来るんですけど、常駐スタッフだと道を聞かれることが結構多いんですよね。とあるアフリカの人がいらしたときに、道案内をしてくれと言われて、ガタイのいいアフリカ人の人に全力で腕を掴まれて、秋葉原を1時間くらい歩き回りました(笑)。宅配寿司屋のバイトでは、この見た目で、店長代理をやってました。正月とかは特に注文が増えるんですけど、朝の8時から日付が変わるくらいまで、ずっとマグロをさばき続けるという忙しさでしたね。