INTERVIEW
coldrain × 激ロック × バイトル
2017.08.10UPDATE
2017年08月号掲載
Member:Masato(Vo) Y.K.C(Gt) Sugi(Gt) RxYxO(Ba) Katsuma(Dr)
Interviewer:吉羽 さおり Photo by 結城 さやか
結成10周年を迎え、そのサウンドを磨き上げながら国内外のラウド・シーンで活動する屈指のバンドとしてキャリアを築いている、coldrain。秋にはニュー・アルバムのリリースを予定し、2018年2月6日には日本武道館でのライヴが決定しているが、そんな彼らはどんなアルバイトをしていたのか。話を訊いてみると、メンバーそれぞれ人となりや個性が窺えるような職歴があり、面白い。今回は、coldrainにインタビューをするドリームバイト企画で選ばれた、大学1年生の鈴木瑠夏さんも取材に参加。coldrainファンとして訊きたかったことを、ストレートにぶつけてもらった。
-みなさん、最初のアルバイトはいつ、どんな仕事でしたか。
Y.K.C:最初は高校1年生のときに、名古屋のサンデーフォークというプロモーターさんでのバイトで。SPEEDのコンサートとか、ジャニーズのコンサートとかの警備をしたり、設営をしたりというバイトをしてましたね。当時、めちゃくちゃ割が良かったんですよ。
Masato:"バイト君"って呼ばれるやつね。
Y.K.C:そうそう(笑)。欲しいギターが高いものだったんですけど、夏休み中ずっとバイトをやったら、まぁ買えるかなという感じで。頑張って買って、わりとすぐに猫に折られるという......(笑)。なので、夏休み中は毎日くらいバイトに行ってましたね。Kinki Kidsとすれ違ったりして、面白かったです。
Masato:僕も高校生のときで、アウトバックステーキハウスが最初ですね。親が勝手に店長と仲良くなっていて。"雇ってよ"とか言ったら、本当に応募用紙を渡されちゃって。人と喋るのが苦手だったから、ウェイターをやるのはイヤだったんですけど、飛び込んでみたらちょっとは変われるかなというのもあって。でもまさかの、バイトの採用にテストがあったんですよ。アレルギーがある人に答えられるように、ドレッシングに何が入ってるかのテストで、めちゃくちゃむずいんです。店長は、"金になるんだからいいだろう"って言うんですけど。いざ受かったら、野球好きの店長から"お前は中継ぎだ"って言われて、1日4時間くらいしか働かせてくれなくて、お金にならなかったんです。でも、楽しかったですね。いろんな人と会ったり、人生経験にはなったなと。中継ぎじゃやってられないと思って、1年くらいで辞めましたけど(笑)。
Sugi:僕は、新聞の夕刊の配達で──
Masato:朝刊じゃないんだ。
Sugi:朝は、起きれない(笑)。
RxYxO:岐阜に朝刊っていうものがなかったわけじゃないの?
Sugi:あ、り、ま、す! でもめっちゃ田舎なので、たぶん20軒くらいしか回ってなかったんじゃないかな。しかも、夕刊とっている家ってそんなにないし。家々の間隔も、田舎だから遠くて。全然儲からなかった。
-他のバイトの選択肢はなかった感じですか。
Sugi:そのときはなかったですね。田舎だったから、仕事がないんですよ(笑)。
Katsuma:俺は最初は近所のコンビニでしたね。クビになったくらいで、全然面白いエピソードはないです(笑)。お客さんとケンカになって、店長に"お前はこの接客マナーのビデオを観て勉強しろ!"って言われて、家で観たんですけど。
RxYxO:観たんだね(笑)。
Katsuma:結局、やってらんねぇってなって。
Y.K.C:完全に社会不適合者だ(笑)。
Katsuma:でも、半年以上はやってたと思いますね。それが高校1年生でした。以上でーす。
RxYxO:僕もコンビニですね。
Masato:あれ、デニーズじゃないの?
RxYxO:それよりも先に、ココストアっていう地元のコンビニで。
Y.K.C:あそこね(笑)。俺とRxYxOは、小学校も中学校もずっと一緒なので、どこで働いていたかはだいたい知ってますね。
RxYxO:最初は無難にコンビニで。しかも、あまり選択肢がなかったですね。
-高校生くらいだと限られますよね。では、一番長くやったアルバイトとなると、どういうものですか。
Y.K.C:ミスタードーナツですね。店長クラスでした(笑)。
Masato:ドーナツとか持ってきてくれましたもん。
Y.K.C:高校時代からやっていて。卒業して、音楽学校も卒業するくらいのときに、ちょっと大人の仕事をしたいと思って、バーテンダーやるからって一度辞めたんですけど。coldrainを組んで、バンドが忙しくなって。バンドマンって、シフトの融通が利かないとつらいというか。そうなったときに、昔バイトしていた店の店長に電話をして、"都合よくできないかな?"って言ったら、"いいよ、ちょうど人がいないから"って。合計で、6年くらいやったと思いますね。
Masato:俺は、長いのは服屋ですね。セレクト・ショップ、と言ってもそこまでおしゃれな感じじゃないけど。19歳のころから3年くらいですかね。もうcoldrainも始めていて、たまに知ってるという人が来たりしてました。あとは東京に出てくる前は、工場で任天堂のソフトを箱詰めする仕事もしましたね。すごいんですよ。例えば、嵐が"マリオカート"のCMを始めたら、次の日、ハンドルが何万個と届くんです。それを箱詰めしていくという仕事をしながら、上京資金を溜めていた感じでした。
-Sugiさんはどうですか。
Sugi:僕が長くやったのは、カメラのフィルムの現像ですね。当時まだ、デジカメが出始めたくらいで、35ミリとか、APS-Cとか──
Masato:なんかひとりだけ、昭和感があるよね(笑)。
Y.K.C:しかももうひとつ、ユニフォームの刺繍とかもやってたよね。
Sugi:やってたなぁ。
Katsuma:素朴だね。
Sugi:フィルムの現像では、モデルさんの写真とかよく焼いてましたよ。
Masato:ヤバいのもあるの?
Sugi:言えないようなのもある。
Y.K.C:当時まだスマホとかも出回ってなかったからね。
Sugi:変態趣味の人とかもいて。渡すときに確認しなきゃいけないんですよね、"これお客様の写真ですよね"って。そこで、どれにしようかなって困るくらいの(笑)。そこは3年くらいやってましたね。
Masato:リサイクル・ショップも長かったよね?
Sugi:それも3年くらいじゃないかな。18歳で岐阜から名古屋に出てきてからは、いろんな仕事をしてましたね。
Katsuma:俺は、長かったのはCD屋かな。家の近くにある、田舎のショッピングモールみたいなところに入ってる小さいお店で。そんなにお客さんも来ないんです。やることと言ったら、リリースされたCDのキャプション・カードに、レビューみたいなのを書くとか。結構、自由にやらせてもらっていたんですよ。正直、あまり気持ちの入ってないものを推すときには、何を書いていいかわからないじゃないですか。そういうときは、絵でごまかすんですよね。ジャケの絵を描いたりして、"聴いてね"とか書いて。
RxYxO:クソ店員(笑)。
Katsuma:そしたらだんだんと絵がうまくなってきて。あとは、そういうところってアイドルとかジャニーズの作品が面出しされていることが多いんですけど。放っておくと全部アイドルになっちゃうので、ロックの、好きなバンドをレコメンドして、そのキャプションを書いたりしてました。
Masato:土地的に絶対ロックとか聴かない場所だよね。
Katsuma:PTP(Pay money To my Pain)がVapから最初のシングル『Drop of INK』を出したときにちょうど働いていたんですけど。GUNDOGも大好きで、Vapの人がサンプルを持ってきてくれたから、全力でキャプションを書くどころか、特設コーナーみたいなのもひとりで全部作りましたね。
Masato:Katsumaはそのバイトでヒーローになってたやん。大事なエピソード忘れてるやん。
Katsuma:あ。アンパンマンの着ぐるみを着ましたね。なんでそれをお前が覚えてるんだよ!
Masato:むしろ、なんで覚えてないんだよ。
Katsuma:アンパンマンのDVDが出るキャンペーンで、俺が着ぐるみを着ることになって。着ぐるみを着てポーズしてたら、子供が結構寄ってきたんです。かわいい感じなんですけど、やっぱりガキって手加減しないじゃないですか。
RxYxO:ガキって言っちゃったよ。
Katsuma:"これ、ニセモンなんちゃうん? アンパーンチ"とか言ってみぞおちを思い切り殴られて。そのとき普通に、"うっ"て声が出ちゃったんですけど、横で店長が"アンパンマン、喋んな"って。