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INTERVIEW

SHANK × 激ロック × バイトル

2018.10.10UPDATE

2018年10月号掲載

SHANK × 激ロック × バイトル

Member:庵原 将平(Vo/Ba) 松崎 兵太(Gt/Cho) 池本 雄季(Dr/Cho)

Interviewer:吉羽 さおり Photo by 大木 優美

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日本最大級のアルバイト求人情報サイト"バイトル"と激ロックによる"激的アルバイトーーク!"の今回のゲストは、9月5日に4thミニ・アルバム『WANDERSOUL』をリリースした、長崎発の3ピース・バンド SHANK。キャリア10年を超え、地道なライヴ活動で着実にファン・ベースを拡大しつつ、また地元長崎ではイベント"BLAZE UP NAGASAKI"を主催するなど、メジャーで作品をリリースしながらもDIYなパンク・スピリッツを持って活動し、音にしているバンドである。そんな彼らがどんな学生時代を過ごしどんなアルバイトをしてきたのか、話を訊いた。また今回は、SHANKにインタビューをするドリームバイト企画で選ばれた大学2年生、吉田怜史さんも激ロック編集部員として取材に参加。ファン代表として、質問をぶつけてくれた。

-みなさんはこれまでにどんなアルバイトをしてきましたか。

池本:僕は、ミスタードーナツとか、お肉屋さんの季節限定のハム売りみたいなバイトをしたことがありますね。あとは居酒屋とかかな。最後にやったのはバーですかね。

松崎:僕は最初がコカ・コーラの倉庫で、パレットという四角い板に決められた数の段ボールを積んでいく仕事で。その次に、4年間くらいガソリンスタンドでバイトして、あとはミスタードーナツで半年くらい、ネットカフェで3年くらい働いたりして、最後が居酒屋でのバイトでしたね。

-庵原さんはどうですか。

庵原:僕は厨房が多かったですね。弁当屋とか居酒屋の厨房とか、イタ飯屋みたいなところの厨房とか、いろんなところの厨房を転々としていました。料理するのが好きだったのと、接客は苦手だったのでなるべく人目につかないところで、というのもありましたね(笑)。あとはパチンコ屋でも働いてました。そのくらいですね。

-それぞれのバイト経験で、今も役立っていると思うことはありますか。

庵原:料理は役立っていると思いますね。魚をさばいたりもできるようになったので。

松崎:僕はガソリンスタンドで働いていたので、機材車のトラブルがあったときとかのメンテナンスには役立ってますね。今は働いていたときほどできないですけど、何かトラブルあったときに簡単なところなんかは見れるので。接客面はあまり役に立たないですね。

池本:うん。

-そうですか(笑)。

松崎:一番ガソリンスタンドが役に立ってるかなと思いますね。接客にしてもガソリンスタンドの方が面白かったです。

池本:居酒屋とかでバイトをしていたから、打ち上げとかで気配りはできるようになりましたね。灰皿がないなと思ったら持ってきたり、グラスが空いてるなと思ったら注いだり、次の注文をしたりとか。そういうのは、居酒屋での仕事をしなかったらよくわからなかっただろうし。

庵原:たしかに、それはようやってるね。

池本:でもそれくらいです(笑)。あとは、知らない人と飲みながら喋るくらいなら、得意っていうほどではないですけど、話はできますね。当たり障りのない程度ですけど。

-バンドをやっている方にアルバイトの話を聞くと、シフトなどを組むのが難しいと言う方が多いですが、バイト選びはどうしていましたか。

松崎:"バンドをやっていて、ツアーで1ヶ月いないこともあります"っていうことは最初の面接のときにはっきりと伝えていました。でも、"出られるときはできるだけ手伝います"とか。先にちゃんと言っておいたら、働き始めてからもある程度は融通が利いたかな。ダメだったらその場でダメだってなりますからね。だから、面接のときにちゃんと言っていましたね。

-そう伝えて大丈夫だったバイト先は、バンドをやっていることも応援してくれたような感じですかね。

庵原:そうですね。ダメなところは本当に、面接ですぐに落とされますもんね。バイトを見つけること自体が結構大変でした。

-バンド仲間からの口利きでバイト先を決めることも?

松崎:将平がバイトしてた居酒屋で僕も働いていたんですけど、そこは僕が最初に入ったんです。そこで、"意外とバンドマンは真面目で仕事ができるぞ"っていうのを認識してもらえて、それからその店はバンドマンをたくさん雇ってくれるようになったんです。なので、長崎のバンドマンがたくさんいましたね。僕が辞めてからも、厨房には将平がいたし。バンドをやっているとどうしても、世間からの印象は良くはないじゃないですか。でもちゃんとした仕事をすれば、それは理解してくれるというか。

-バンドマンだと深夜のバイトをすることも多いですが、そういうところはどうですか。

庵原:長崎だとそんなに深夜のバイトがないんです。

松崎:コンビニとかくらいだったかな。

-SHANKはずっと地元の長崎で活動していますね。最初から上京することは考えていなかった感じですか。

庵原:考えたりもしたんですけど、タイミングを逃し続けてきたっていう(笑)。別に出ても良かったんですけどね。

松崎:20代前半とか、みんなが出ていく年齢ってあるじゃないですか。そのころはもう、ずーっと車でツアーをしていた状態で、家があってないような生活だったんです。それなら結局、どこに移り住んでも家賃がもったいないなって。それで長崎にいたんです。で、気づいたらわりと年齢もいってて(笑)。出るタイミングを逃しました。

-それくらい当時からバンド活動を軸にしていたってことですね。

庵原:そうですね。でも、"1回くらい出てみても良かったかな"とは、今になって思いますけど(笑)。

-そうなると、バイトをやりながらバンド活動するのが普通のことだったという感じですかね。キツいと思うことはありましたか。

庵原:何も考えてなかったですね(笑)。そのときはそれが当たり前のことだと思っていたので、"こんなもんか"というくらいで。

松崎:バンドをやりたいから、お金が足りないぶんは働かないと、っていう感覚だったんだと思うんです。今でこそ僕らはバンドだけでやらせてもらっているんですけど、同じ世代のバンドでも今もバイトをしている人もいると思うし、運が良かったなというか。もしこの年齢でバンドしながらバイトしないといけない状況になってたら、就職しとったかもしれないなと(笑)。でもまぁ、バンドをやり切っていたら就職してたかもしれないですけど、まだまだやりたいことがあったらバイトしながらでもバンドをやってたと思いますね。

-最初のころは、みんなでお金を出し合ってバンドの活動費用にあてていた感じですか。

松崎:そうですね。それぞれ給料からいくらずつか集めて、"東京まで行こう"とか。

庵原:最初のころはライヴもノルマ制だったので、バイト代はほとんどライヴハウスに払ってましたね。

松崎:高校生のときは友達がライヴに来てくれていたのでノルマを払えていたのが、みんな就職したり県外に出てしまったりで、どんどんチケットが売れなくなって。多いときは月にひとり5万くらい、足りないぶんを出し合ってライヴをしていたんです。でも3人で5万ずつで"15万あるなら、東京に行こうよ"って言ったのがきっかけで、ツアーに出るようになったんです。地元のライヴハウスにお金を払ってずっと同じお客さんの前でやるくらいなら、15万あったら別のところに行けるんじゃない? っていうことで。

庵原:いくら払ったかもう記憶にないくらいだったからね。

池本:そうだね。

松崎:高校出て半年とか1年くらいは、そういう意味のわからないお金をずっと払ってましたね(笑)。自分たちがお客さんを呼べたら良かったんですけど、長崎でチケットを買ってくれる人がどんどん増えるわけじゃなかったから、別のところに行こうっていう。

-そこで東京などに行ってライヴをするようになってから、人やバンドとの繋がりができた感じですか。

庵原:最初のころは、ただお金を使って東京に行ってライヴをするだけで、CDも出してないし、お客さんもいるわけじゃなかったんです。ライヴハウスのスタッフさんだけの前でライヴをするみたいなことも、結構ありましたね。

-自分たちでデモなども作っていたんですよね。

松崎:高校卒業するときに、それこそみんなでお金出し合って作って、これ持って外に出ようっていう。田舎だったし、SHANKのことも長崎の奴がちょっと知ってるくらいだったけど、バンド数が少ないから、いい対バンがあるんですよね。有名なバンドがツアーで来たときに、バンドがいないから僕らを呼んでもらって出たりとか。で、そういう人たちが、いろんなところでSHANKの話をしてくれたりもして。

庵原:そういう繋がりは大きかったと思う。

松崎:THE NINTH APOLLO(※以前の所属レーベル)もそうやって繋がったんです。それで自分たちで作ったデモが売り終わって、次どうしようかっていうタイミングで声を掛けてもらって。でもそこから、CD出したからってお金があったわけじゃなかったですけどね。

-働きながらバンドをしてたんですね。

松崎:そのころが一番バイトの日数とライヴの本数が多くて、足したらひと月30日超えてるとかもありましたね(笑)。

-では、当時のSHANKのように夢を追い掛けながらバイトをしている人もこれを読んでくれていると思うので、何かSHANKからメッセージやアドバイスをお願いします。

庵原:"うまくいったらいいね"としか言えないですよね(笑)。ほんと、うまくいかない人もいますからね。

池本:どうやったらいいかとか、わからないからね。

庵原:うん。別に俺らも人にどうこう言えるような人たちじゃないし、今考えたらほんとお先真っ暗やったよね。

松崎:うん。でも、なんか無駄な自信だけはあったね。

庵原:そう、そんなに不安はなかった。その感覚があるなら大事にした方がいいんじゃないかなっていうことですよね(笑)。謎の無敵感。なんとかなるやろ、みたいな。

-大事ですよね、その気持ちは。

庵原:あまりいい例とは言えないですけどね(笑)。

-でもそれはいろんな経験や当時のことが苦だと思ってなかったってことですしね。

庵原:そうですね。

松崎:普通だったんです。仕事も別に、嫌だと思ってなかったというかね。仕事は仕事でいろんな人たちにも会えるし、また別の繋がりとして面白かった部分があるので。

-今でもそういう仲間で繋がっている人もいますか。

庵原:ありますね。今でも厨房で働いていたころの人とは、一緒に釣りに行ったりするし。バンドをやっているだけじゃ会わない人と会えるのは面白いですよね。