MENU

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

lynch. × 激ロック × バイトル

2018.03.12UPDATE

2018年03月号掲載

lynch. × 激ロック × バイトル

メンバー:葉月(Vo) 玲央(Gt) 悠介(Gt) 晁直(Dr)

インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 上溝恭香

lynch. × 激ロック × バイトル キャンペーン情報

  1. フォロー&RTでlynch.のサイン色紙をプレゼント
  2. バイトルのアプリDLでlynch.のサイン入りポスターをプレゼント

▼応募はこちら
https://www.baitoru.com/contents/geki/16.html#oubo


日本最大級のアルバイト求人情報サイト"バイトル"と激ロックによる"激的アルバイトーーク!"の今回のゲストは、3月11日に幕張メッセで"lynch.13th ANNIVERSARY-Xlll GALLOWS- [THE FIVE BLACKEST CROWS]"を開催した、lynch.。このライヴでは、ベースの明徳が復帰し、5人のlynch.として再び歩み出す一歩となった。今一度腹を括り、思いを新たにバンドが進んでいるところだ。今回は彼らにアルバイト時代の話を訊きつつ、普段はできない非日常的なアルバイトが経験できる企画"ドリームバイト"で選ばれた大学生の今井虹歩さんも編集部員として参加し、lynch.への質問をぶつけてもらった。

-では、今日はみなさんのアルバイトのお話をおうかがいしていきます。みなさんはどんなアルバイトを経験してきましたか。

葉月:最初がファミレスで、コンビニは4ヶ所くらいやって、そのあとにビリヤード場、清掃業者、で終わりですね。

-コンビニが多いですね。

葉月:コンビニは、バンドマンに優しいんですよ。ルックスだったりとか、髪の毛だったり、あとはスケジュール面でも、ライヴがあるのでこの日は休みますとか言っても結構優しくて。(バンドマンで)やっている人は多いでしょうね。

-玲央さんはいかがですか。

玲央:僕はずっとコンビニの夜勤をやりながら、あとはビラ配りやパチンコの新台入れ替えもしましたね。新台入れ替えは技術職なので、割が良かったです。配線までやって設置するという仕事なんですけど、昼間の時間帯でも時給で2,500円くらいだったんです。

葉月:えー!

玲央:その代わりに大変でしたけどね。でも昔から機材が好きだったので、夜9時半から朝6時半くらいまでコンビニの夜勤をして、朝の8時から夜の8時まで新台入れ替えの仕事に行って、稼いでいましたね。

-それはいったい、いつ寝ているんですか!?

玲央:合間に、不動産屋さんのティッシュ配りとかもしていたんですよ。今考えると不思議ですよね。大学の授業にも出ていたので、いつ寝ていたんだろうっていう、すごい生活を送ってました。逆に考えると、当時、寝不足だったり、現場仕事だと結構きつい口調で言われるようなことも多かったりして、イヤなことはだいたい経験したので、バンドで多少つらいことがあっても、あのころに比べたら......って思えるようになったという──だいぶ、前向きですけどね(笑)。鍛えられました。

-悠介さんはどうですか。

悠介:ガソリンスタンドをやって、居酒屋を3日間だけやって──

-その3日間だった理由もぜひ知りたいです。

悠介:串焼き屋だったんですけど、調理で指が熱くて、これはやってられないなという感じでしたね。そのあとに、イタリア料理屋の厨房をやって、そのあとに絨毯の卸会社の倉庫でバイトをしました。その倉庫では7~8年やって。そのあとに清掃業者ですね。

-ガソリンスタンドは大変なことも多いですよね。大きな声を出したり、洗車だったりとかもあって。

悠介:そうですね。それが高校入ってすぐくらいだったんですけど、当時は機材が欲しくて、学校が終わってから毎日働きに行ってましたね。ガソリンスタンドでは、俊敏さを学びました(笑)。お得意様が会社だったりしたので、お客さんを覚えて、入ってきたらこの車は軽油でとか、こっちはレギュラーでとかを覚えていないといけないですし、そういう判断力は身についた感じですね。めっちゃ声も出してましたし(笑)。でも、接客は苦手なんですよね。接客業はそのガソリンスタンドだけで、あとはなるべく人と接しない仕事をしてました。絨毯の卸会社は家から近くて、わりと給料も良くて、長く働いていたので途中からは賞与も出るようになったんです。ちょうど、そこで働き出して数年後くらいにlynch.に加入したので、そうするとツアーにも出るようになって忙しくなるじゃないですか。それでも融通は利いていたので、長く続けられましたね。

-バンドへの理解があったんですか。

悠介:そのバイト先は、音楽をやっている人も多かったので理解はあって、やりやすかったですね。次の清掃会社は、その卸会社がなくなってしまったので、"次どうしよう......"っていうときに、ちょうど同じ時期に晁直君が清掃の仕事をしていたので、紹介してもらいました。

葉月:ちなみにその清掃会社では最終的に、この3人(晁直、葉月、悠介)が働いていました。

-晁直さんはそのほかにどういうお仕事をしていたんですか。

晁直:最初にカレー屋で働いて、次にピザ屋やって、またピザ屋をやって──ピザ屋は配達ですね。そのあと寿司屋の配達をやって、印刷屋だったかな。そのあとに清掃の仕事でしたね。1日だけ、冷凍庫内での仕事というのをやったんですけど......ここにはおれんと思って。魚を扱う冷凍庫で、もう耐えらえれないと思って、逃げましたね。

-晁直さんのバイト選びの基準は、どういうものですか。

晁直:カレー屋に関しては、近所だったからという理由でしたね。配達は、時給が良かったからが大きいですね。まあ、基準はだいたいお金になっちゃいますね。さすがにバンドのスタジオ代を親に出してもらうわけにはいかないですしね。

-バイトの経験で身についたこと、今も役立っていることはありますか。

葉月:コンビニは孤独ですからね。

玲央:でもまぁ、さっきも言いましたけど、多少つらくても我慢ができるようにはなりましたよね。経験がない人たちからしたら想像つかないと思うんですけど、コンビニの夜勤って忙しいんですよ。時間帯も時間帯だから、酔っ払いのお客さんも多いですし。身の危険を感じることも多かったんですよね。納品関係は夜に重なるので、肉体的にも精神的にも鍛えられたところはありました。バンドの下積みにも重なるところが多くて。本当に、あのころに比べればっていう気持ちが、自分の中に根づいてる。でも晁直が言っていたとおり、バンドを続けていくために何かしら収入を得ることが必要で。活動の最初のころはお金が出ていく一方ですからね。バイトの収入を元手にして、バンドを頑張っていこうっていう気持ちはありました。

-そういうのも必要な時期だったんですかね。

玲央:そうですね。早い段階で我慢ができて良かったと思いますね。

葉月:僕は一般的な、例えば高校を出て大学に行って、そのあと就職をするという生活があまりわからないので、なんとも言えないんですけど。社会に出る前にバイトを経験するというのは、間違いなくやっておいた方がいいなとは思いますね。ほとんどすべてのことが勉強になっていたんじゃないかと思いますよ。時間を守ることや自分が与えられた仕事を責任持ってやるとか。お金を貰って何かをやるということで、学ばせてもらったことは死ぬほどある。