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INTERVIEW

G-FREAK FACTORY × 激ロック × バイトル

2018.08.10UPDATE

2018年08月号掲載

G-FREAK FACTORY × 激ロック × バイトル

メンバー:茂木 洋晃(Vo)

インタビュアー:杉江 由紀 Photo by 上溝恭香

G-FREAK FACTORY × 激ロック × バイトル キャンペーン情報

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経験から生まれた言葉には、強い説得力がある。群馬県出身/在住のバンドとして異彩を放つG-FREAK FACTORYは、その深い詞世界にも定評があるが、これはひとえにフロントマン 茂木洋晃の辿ってきた人生そのものから切り出されたものだと言えるはず。ここではそんな茂木の劇的すぎるアルバイト経験を、日本最大級のアルバイト求人情報サイト"バイトル"と激ロックによる"激的アルバイトーーク!"企画のドリームバイトとして選ばれた石川雄規さんにご協力をいただきながら掘り下げていきたい。衝撃のエピソードと、含蓄のありすぎる言葉の数々......。この記事の中に詰め込まれているメッセージから、果たしてあなたは何を感じるだろうか。これは人生について考えるいいきっかけにもなりそうだ。

-茂木さんが初めて経験されたのは、どのようなバイトだったのでしょうか? 今回はそこから教えてください。

茂木:それが、僕は日本でのアルバイト経験はないんですよ。何回か居酒屋で日雇いみたいなお手伝いをちょっとだけしたことはあるんですけど、それ以外だと僕は4年くらいアメリカに行っていたことがあるので、そこでバイトをしたことがあります。

-そのアメリカ行きは、そもそもいつ何を目的にされてのことだったのでしょう?

茂木:目的は特になかったんですよね。しかも、英語もまったく喋れないような状態だったのに、高校を卒業した時点ですぐロサンゼルスに行っちゃったっていう(笑)。僕はNOFXというアメリカのバンドが大好きだったので、なんとなく"行っちまえ!"という完全なノリでしたね。そして、現地では日本人向けの商品を揃えたレンタルビデオ屋さんでずっとバイトをしていました。そこはレンタルだけじゃなくて販売もしていたので、時にはお客さんにビデオの内容をひざまずきながら詳しく丁寧にプレゼンして。お客さんにちゃんと買ってもらえると、そのぶんのマージンが自分に入ってきたりもしていたので、バイトですけど僕は意外と稼げていたんですよ(笑)。なかなかやり甲斐のある仕事でしたね。

-当時は未成年でいらしたわけですし、英語も堪能ではなかったとなると、親御さんから心配をされたり、行くこと自体を止められたりするようなことはなかったのですか?

茂木:たぶん、"どうせすぐ、音を上げて帰ってくるよ"と思われていたんじゃないでしょうか(笑)。

-現地での住居確保は、最初どうされたのですか?

茂木:最初は、語学学校に行きながらしばらくホスト・ファミリーのところでお世話になっていました。そのあとは奇跡的に運良く現地の大学に入学することができて、なんとか卒業できたんですよ。ただ、向こうでは結構いろんなことがありましたね。実は、住んでいた家が火事になってしまったことがあってあれは大変でした。

-えぇっ! どういうことですか?

茂木:そのときはすでにホスト・ファミリーのところからは独立して、アパートを借りていたんですね。でも、今から20年くらい前の現地では日本人差別みたいなものが根深くあったりしたんですよ。今とは違って円高で嫉まれていた、っていうのもあったし。それで、あれはロス暴動(※1992年に起きたロサンゼルス暴動)が終わったくらいの時期かな。いきなり僕の部屋が火事になって、どうやら放火をされてしまったらしいんです。結果、そのときの経験がのちのちバンドで人種差別や社会問題について歌っていく大きなきっかけにもなりました。向こうにいた間はそうやって日本人であるというコンプレックスを感じることも多かったし、語学学校や大学で勉強するだけじゃなく、バイトも含め、様々な経験をしながら英語を身につけていくことになったんですけど、あの4年間で僕は人とのコミュニケーションの取り方や、自分の中にあるコンプレックスをどうプライドに変えていくか、ということを学べた気がします。

-ちなみに、その事件のあとに茂木さんはどのような展開を迎えられたのでしょう?

茂木:パスポートも燃えちゃったし、すべてを失って途方に暮れましたよ。でも、そんなときにバイト先であるレンタルビデオ屋さんの日系ハーフのオーナーが、僕を助けてくれました。お店にシャワーがあったので、"ここで寝泊まりしていいよ"って言ってくれて、食事はまかないを食べさせてくれたので、あれは本当にありがたかったです。

-それは幸いでしたね。ただ、20年前だとインターネットも今現在のようには普及していませんでしたから、パスポートの再発行なども大変だったのではないですか?

茂木:そうなんですよ! 当時は書類を日本とやりとりするにしても、国際郵便かFAXを使うしかなかったですし、日本に電話をかけようと思ったらテレホンカードを使う公衆電話しかなかったので、あれにもバカみたいにすごいお金がかかりました。当時120ドルの(テレホン)カードが、話し出すと瞬く間になくなっちゃいますから(笑)。結局、パスポートの再発行までに半年くらいかかりましたよ。

-今やスマホとアプリで多くの国との無料通話が可能なことを思うと、時代はだいぶ変わりましたね。

茂木:ロサンゼルスの治安も、今と20年前とでは大違いですよ。火事のこともそうだけど、僕は(レンタル)ビデオ屋さんの隣にあったビリヤード場で発砲事件に出くわしたこともあります。キューで球を突こうとした瞬間"伏せろ!"っていう大声を誰かが発して、パパパン! って銃声が鳴り響きました。

-なんとまぁ......大変不謹慎ではありますが、そんな光景は映画や海外ドラマの中でしか観たことがありません。

茂木:いわゆるギャングスターが、お店に乱入してきた感じでしたね。威嚇射撃だったのか、けが人とかは出ないで済んだみたいなんですけど。

-"ギャングスター"というのも、ほぼヒップホップ文化の中でしか聴いたことがない言葉ですよ。

茂木:いやいや、これホントの話ですから(笑)。

石川:......驚きしかないです。すごい経験をされてるんですね。