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INTERVIEW

G-FREAK FACTORY

2024.09.02UPDATE

2024年09月号掲載

G-FREAK FACTORY

Member:茂木 洋晃(Vo)

Interviewer:吉羽 さおり

6thアルバム『VINTAGE』から約4年、G-FREAK FACTORYがついにニュー・アルバム『HAZE』をリリースする。今作では、コロナ禍での経験や時間で大きく揺れ動いた社会や、思考の変化、それぞれの生き方、そこから生じる虚無や希望等が様々なレイヤーで織り成され、重厚で力強いロック・ミュージックとして放たれる。とは言え怒りや反骨心の拳を振るうのでなく、この激動のなかで変わりゆく心境をつぶさに記すような作品だ。聴き手により親密に寄り添うような、あるいは漠然とした不安やもどかしさを抱える人にはその正体を垣間見せてくれるような、とてもパーソナルに響くアルバムとなっている。今作へのプロセスやその思いについて、茂木洋晃に話を訊いた。


笑っていられる身体があって、環境があるんだったら、それに勝るものはない


-前作(2020年リリースの6thアルバム『VINTAGE』)から約4年ぶりとなるニュー・アルバム『HAZE』がリリースとなります。非常に濃厚な作品で、コロナ禍を含めたこの数年間で社会的にも感情的にも味わった紆余曲折みたいなものがそれぞれ曲となっていると感じて、その時々でいろんな曲が刺さるような作品だと感じます。まずは前作から4年という中で、アルバムの制作はどんな感じで進んでいったのでしょうか。

アルバムを作ろうというのは漠然とはあって、今まではコンスタントに、アルバム前にシングルを出して、また曲を作ってはそれを録ってみたいなサイクルでずっとやっていたんですが、今回はアルバムを作ろうと、7曲一気に書き下ろしたんです。今作までに、シングルとして『Dandy Lion』(2022年リリース)、『RED EYE BLUES』(2023年リリース)の2枚を挟んでいるんですけど、正直思ったようなツアーもできていなくて。思ったようなというか、コロナ禍で予定がだいぶ狂ってしまったので。"これやったらここまで行こう"みたいなところとは違った状況があったから。7曲まとめて書くという荒技に近い感じがありましたね。

-それだけの曲をまとめて作っていくのは久しぶりのことですか。

3、4曲というのは結構ありましたけど、一気に7曲書き下ろすのは、実は初めてでしたね。バンドで最初に出した作品(2000年リリースの1stミニ・アルバム『mi-roots』)というのは、その前の何年間かが凝縮されているわけで(曲が)身体に入っているし、ライヴでやっていろいろアレンジ変えたりとかもありましたけど。一気に7曲を書く、さらにシングル『Dandy Lion』を出したところから今回着手するまでの間に、世の中が激動しているので。その変わった価値観の中での──コロナ禍突入から明けたところまで、みたいなアルバムだと思うんです。まだ明け切れてないのかもしれないけどね。シングルを出したところから考えたら、だいぶマインドも価値観も変わっているんですよね。それを一気に7曲で書いていくという(笑)。

-それはなかなかにタフで、一筋縄でいかない作業になりますね。

タフだったし、まさに作業ですよね。オケを上げてメンバーに渡している間に次のオケをこんな感じどうかなって上げていって。それを7回繰り返して、最後に詞をまとめて書くっていう。いつも難産なんですけど、比にならないくらい難産でした。

-コロナ禍という出来事で、時間感覚も進んでいるのか止まっているのかよく分からなくなる4年間で。ただ一方で、ドラスティックに社会や考え方等が変わっていった時間でもあったなと思いますが、こうした状況のなかで音楽という言葉を紡ぐ人は何を考え、どう向き合っていたんだろうというのは、アルバムを聴いて伺ってみたいところでした。

正直、いつもはもう少し作品のサイクルが短かったりするので、今の自分の手持ちでいけるなっていう感覚がずっとあったんですけど。物量と、携帯とか紙に書き留めておいたものやアイディアの欠片が、もうこれ全部ダメだなとなったんです。全部捨てました(笑)。

-それくらい感覚が違ったんですね。

自分の歌の背景として、運命的にここ日本に、しかもこの時代に生まれて、きっとこの国で死んでいくであろうその隙間に、海外で暮らした数年間があったんですけど。そういう経験をもとに、日本人のコンプレックスとか日本人のいいところとか、このままじゃ日本人ヤベぇなっていうことをずっと歌にしてきたつもりだったんです。それが、このコロナ禍である程度答えが出たところがあったんですよね。これは、今言ってもしょうがないだろう、みんなもう分かってるよっていう。調べれば、信憑性はさておき先の先まで予言のようなものが転がっている時代のなかで、今これを言ったところでなんのメッセージにもならないなと。だからリリックに関しては、いっぱいボツネタがありましたね。

-これまでのものは通用しないなと。

俺は正直、7曲ならいけるかなと思っていたんですよ。これだけ蓄えてきたものがあったし、時間もあって、なんなら自分もコロナ禍を経験しているわけだから。でもそれがあっていろんなことが浮き彫りになりましたよね。コロナ前とコロナ禍中と今っていうのは世の中全然違うし、準じて例外なく自分も変わっているはずなんですよね。コロナの前の感覚と、コロナ禍中の感覚と、今の感覚って、みんな違うから。前に思っていたことがそのまま素直に歌にできるかって言ったら、ちょっと違う。そこがすごく難しかったですね。もう出してしまった曲はしょうがないというか、アルバムとしてこういう時間があったなでいいと思うんですけど。今書き下ろそうとしたらまた違う感覚になっていると思うし、これを書いたときと今もきっとまた違っているだろうし。

-その制作の中で最初に形にしていったのは「voice」だそうですね。どんなふうに始まったんですか。

これは弾き語りで作っていきました。曲先と詞先ってあると思うんですけど、詞が書けなくて、一回YouTubeで生まれて初めて詞の書き方っていうのを調べてみましたね、どうやってやってるんだろうって(笑)。そしたら世の中の9割は曲先だっていうんですね。もっと言えば9割9分。

-(笑)たしかに、いろいろなソングライターの方に話を聞いていると、曲先の方が多いように感じます。

みんなそうやってるんだ、じゃあ曲先でいいやと割り切って、その作業に入っていったんです。この曲は、カメラマンを帯同して北海道を移動しているときに、アコースティック・サウンドが入ったオルタナティヴみたいなインスト曲を聴かせてもらって、これいいなと思って。それまでアコースティック・ギターというものに関しては、ただのオーバーダブの一個だったんですけど。コロナ禍で弾き語りを始めてみたりもあったし。コロナ禍を経てただじゃ起き上がれない、何か連れて次に行かないとこの時間がただの死になってしまうというので、音楽的なところで慣れないギターを練習したり、1人でできることはないかなとか、聴く音楽を変えてみたりとかをしていたんですけど、そういうときにこの感じはいつかやりたいなと思っていたことだったので、すんなりとオケはできたんです。ここからリリックをつけていこうと。

-困難のなかで希望を求め、見いだしていく旅とその高揚感を感じる曲ですが、この曲ではどういうものを歌にしたいと?

これは他の曲でも書いてますが、僕ら世代というのは、時代に対してアジャストしていかなきゃいけないですけど、アジャストすればするほどどんどんブレていくというか。だけどそこで突っぱねちゃうと、古いものになりすぎちゃうのもあって。要はテクノロジーが先へ行きすぎて、バイオロジー、人間が敗北してるんですよね。こんなことができたらいいなとか、携帯が手に入ったときはすげぇって喜んでいたけど、今は技術の進歩が先走りすぎていて恐ろしさすら感じるというか。そういうなかで、俺は今田舎で暮らしているから、野菜の物々交換とかで暮らせてたらもっともっと清らかなんだろうなって思ったりするんですよね。前に身体を壊してしまって、そのときに食事制限みたいなことをやって、今も続けているんですけど、例えば身体のためにとかダイエットのためにと食事を制限するのはキツいですが、そうじゃなくてもっとうまい空気の中で暮らしたり、美味しい水を飲んでいたら元気になるだろうし。コンビニのご飯をずっと食べている人と、地元のおばあちゃんから貰った野菜を1年間食べた人って、身体だけじゃなくて心が違うと思うんです。そういうところにどんどん自分が向かっていたんですよね。時代に付いていけてない、時代の被害者かもしれないけど、被害者で良くねぇ? っていう開き直りというか。これは裕福度で言ったら勝ちなのかもしれないって。田舎暮らしをしている人って、情報化社会から漏れている面もあるかもしれないけど、情報がない分すごく強いんですよね。知らなければいいことが、この世の中にはいっぱいあるだろうし。

-精神衛生上でもそれはありますね。

それが、いい声だなって思うんですよね。結局、ビジネス的にリッチな人でもプアな人はたくさんいるし、その逆もある。お金なんかなくてもこんなゲラゲラ笑ってるんだっていう、それはこの環境だからだろうなと思って。疑いが一個もないじゃんっていうね。死ぬときに考えたらどっちが幸せなんだろうって......そこまで考えましたね、コロナ禍のときに。

-何を大事にしていくのかを考えるきっかけではありましたね。

価値観というのはこれからも変わっていくでしょうけど。そのなかで幸せというものを見直すいい時間だったのかなと思うんです。変わっていくことに対してアジャストしていかなきゃいけない自分と、アジャストしたくない自分とはまだ混在していて、ゆっくり変わったわけじゃなく、このアルバムでの初めのシングルから今回までっていうのは下手すれば真逆になるくらい変わっていることも中にはあって。物差しとしては、人が笑っているところが好きなので、でっかい声で幸せそうに笑っていられる身体があって、環境があるんだったら、何よりそれに勝るものはないと。

-またこのアルバムのパワー、エネルギーを象徴するような曲が、1曲目を飾る「YAMA」ですね。このあたりはどのようにできていったんですか。

これはベースのものを僕が持っていって、メンバーが再アレンジして。だけどそのアレンジでキーがだいぶ変わっていたので、もう一回ヴォーカル・ラインから作り直すというのはありました(笑)。1番バッターというか、アルバムの1曲目に置ける曲を書きたいねというところから始まって、恐らく今のG-FREAK FACTORYのメンバーだったらこの手の曲が一番得意で、たぶんすぐ書けるんですよ。いい悪いは別として。そういうのを作ろうってところから入りましたね。

-このエネルギーがライヴでどんなふうに響くのか、さらにどう化けていくのかが楽しみな曲でもありますね。アンセム的な高揚感があって。

それでいて、どこかちゃんと病んでいるっていうか嘆いていて。一回後ろ向きになってそこからこじ開けていくというか、そういうのが好きなんですよ。ずっと前向きなやつが羨ましいですけど、そんな人はいなくてさ。ネガティヴを10個並べれば人間はポジティヴに向かえたりするから、一回洗いざらい向かい合ってみるっていうのはある。

-自身に向き合って立ち向かうからこその説得力が音楽にもあるし、それはライヴを観ていても思います。

それは年を取ったからじゃないですかね(笑)。

-それだけではないんじゃないですか(笑)。

あると思うよ。俺ら世代はステージに立つだけでも半分くらいエモさを纏っているから(笑)。それがイタくならないようにしようとは、同世代のやつといつも言ってる。若いやつにあるフレッシュさは俺らは手に入らないけど、彼らにないエモさは持ってると(笑)。でもこれにぶら下がったら、たぶんイタいよなってなっていくので。ロックって何歳までやれるんだろうなって──もちろんいくつになってもやっていいんだろうけど、やっていて自分がこれならやっていいなと思えるかと言ったら、そんなに命が長いと思ってなくて。俺、今年50歳になるんだけど、50歳までロックをやってる予定でもつもりでもなかったわけで。20代で散ったバンドが大好きだったから。

-ロック・バンドのイメージというと以前は限りあるもの、青春期の象徴のような感じもありましたが、今やそういう感じもなくて。むしろ年齢やキャリアを重ねたバンドやアーティストが果たしてどういう思いを描くのか、音楽に投影させるのかは興味深いところでもあります。

その中でもずいぶん長生きさせていただいていて、周りのバンドもみんな、なんなら最前線でやっている環境があって、上を見れば先輩が輪を掛けてかっこ良くなっていて。とはいえ、地元からも20代のいいバンドが出てきていて、毎週毎週突き上げられていて。飽和してるって言うけど、逆にすごくいいバンドが分け隔てなくいける時代になったんだなと思うんです。例えば、ヒップホップのMCバトルの仲間が結構いるんですけど、あれって何歳までやっていいか分からないでしょ、まだ先が見えてないから。20代のやつが出てきて巧みな言葉でバンバンジャブをくれても、65歳くらいのラッパーが一言でアッパーを決めるみたいな可能性もある。そのロックやバンドや年齢の定義も、一回ここに来て全部壊れたなって思うんです。全然話変わっちゃいましたけど(笑)。