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INTERVIEW

G-FREAK FACTORY × ROTTENGRAFFTY "山人音楽祭 2023" 対談

2023.07.14UPDATE

2023年07月号掲載

G-FREAK FACTORY × ROTTENGRAFFTY "山人音楽祭 2023" 対談

G-FREAK FACTORY主催の音楽フェス"山人音楽祭"が、9月23日、24日に群馬 日本トーター グリーンドーム前橋にて開催。開催中止や高崎芸術劇場に会場を移しての開催など、コロナ禍の苦難を乗り越えて、再び聖地での開催となる今年。開催を祝して、G-FREAK FACTORY同様、地元の音楽カルチャーを盛り上げるべく、京都で"ポルノ超特急"(今年より"響都超特急"に改名)をオーガナイズするROTTENGRAFFTYのN∀OKIを迎えて、戦友と言える2組の関係性や、互いが主催するフェスとその主催者としての想いを語るリモート対談が実現。とにかく仲良しなふたりの対談、書けない話も満載でした(笑)。

G-FREAK FACTORY:茂木 洋晃(Vo)
ROTTENGRAFFTY:N∀OKI(Vo)
Interviewer:フジジュン Photographer:HayachiN、KAZUYA KOSAKA(G-FREAK FACTORY)、石井麻木(ROTTENGRAFFTY)

-9月23日、24日に開催される"山人音楽祭 2023"に向けての対談ということで。まずはG-FREAK FACTORY(以下:ジーフリ)とROTTENGRAFFTY(以下:ロットン)の出会いから話を聞かせてください。

N∀OKI:ジーフリの噂はずっと聞いてたんやけど、初めてライヴを観たのが2000年か2001年くらいすかね? 京都WHOOPEE'Sって今はないライヴハウスに、今は解散したFLAG・SHIPってバンドがジーフリを呼んでて、"なんちゅうバンドや!?"と思って。そのときはちょっと神々しくて喋れなくて。次にKYOTO MUSEに来たときに、裏の階段で喋り掛けてな?

茂木:そうそう、名刺貰ったの覚えてる。

N∀OKI:その前に、2001年くらいに前橋clubFLEEZに出たとき、原田(季征/G-FREAK FACTORY/Gt)とは"ジーフリ、知っとるよ。京都で観たで"って話してて。茂木と話すのはもっとあとなんやけど、ジーフリは演奏力も伝えたいことも、パンクを超越したレベル・ミュージックみたいな訴え掛けたいこともあって。ライヴ観ててもお客さんの琴線を震わせてるのがよくわかる、自分の大好物みたいなバンドやったんで。"こんなバンドおるんかい!"って驚きましたね。

茂木:僕ももちろん、ロットンのことは認識してて。"喋りてぇなぁ"と思ってたら、N∀OKIが話し掛けてくれて嬉しかったですね。当時、同級生みたいなバンドがたくさんいる中で、ロットンはドカーンと来てたんで。

N∀OKI:来てへん、来てへん! 2000年初頭は何も来てへんよ。

茂木:でも、ロットンとジーフリは似てるよね。いい感じになると事務所問題があったり。

N∀OKI:たしかに、2歩進むと87歩下がるみたいな感じがな(笑)。音楽のことで言えば、当時、俺らが「DESTROCKER'S REVOLUTION!!!!!」(2002年リリースの2ndミニ・アルバム『GRIND VIBES』収録曲)っていう、ダンスホール・レゲエとロックを混ぜたみたいな曲をやってたら、本物のレゲエのやつが出てきたから、俺らが滑稽に見えすぎて。"芯までレゲエわかってないやつがナメんなよ!"みたいに思われてる気がして。

茂木:それは俺らも未だにあるぜ。

N∀OKI:いやいや、茂木も原田も"ジャマイカ帰りなん?"と思うくらいドレッドで。クラブ界隈にはそういう人もおるけど、ロック・バンドであんながっちりドレッドな人、いなかったもん。俺もファッション・ドレッドとかやったけど、みんなに謝りたい(笑)!

-知れば知るほど、ジーフリに興味が湧いてきていたんですね。

茂木:俺もロットンを知れば知るほど興味が湧いてたし、気づけばなんでも話せる仲になってて。俺、ロットンのメンバーは人が好きで。どのフェスに行っても、N∀OKIとずっと一緒にいるよね?

N∀OKI:そうやな。ずっとふたりで歩いてて、見る人が見たら"ガチホモやん!"みたいな。

茂木:アラバキ("ARABAKI ROCK FEST.")のときは枕買って、高原でふたりで寝転んでたもんな(笑)?

N∀OKI:そう。俺、未だにあるで。(※部屋の中から枕を持ち出して)ほら!

茂木:わはは、ホントだ(笑)。

-ジーフリはロットン主催の"ポルノ超特急"がまだフェス形式になる前、2010年にツアー形式で開催している頃から出演してるんですよね?

N∀OKI:東名京でやって、京都のファイナルにBALZACとUZUMAKIとGELUGUGUとジーフリを呼んだんやけど、ジーフリが鬼の日帰りで来よったんです(笑)。で、打ち上げやったら1時間くらいで群馬に帰っていったんやけど、揃えたみたいにみんな水色の服着てたんですよ(笑)。

-わはは、どんな思い出ですか(笑)!?

N∀OKI:俺は"俺らの濁ってた水を浄化してくれたんや"って勝手に深読みしてたけど。俺らのファイナルのために群馬から来てくれて、日帰りで帰っていくっていうのが嬉しくて。当時、34~35歳くらいやったと思うけど、あの頃手を差し伸べてくれた人たちのことはすげぇ覚えてるし、めちゃくちゃ嬉しかったですね。

-そういう関係性があったら、ジーフリが"山人音楽祭"の前身となる"GUNMA ROCK FESTIVAL"を開催したとき、ロットンに声掛けするのは必然ですね。

茂木:そうですね。

N∀OKI:俺ら2007年から2009年までリリース1回もなかったんですけど、そのときに"COLOSSEUM"っていう"GUNMA ROCK FESTIVAL"の前身になるイベントにも呼んでくれて。ライヴが一番、自分らの存在を示す場所になるし、ありがたかったですね。

茂木:お互いまだ続けてるから、ちゃんとまた繋がっていくんだよ。俺たちもロットンも何回も起死回生してるし、ロットンは常に先を走ってくれているバンドで。ましてや、京都を離れずにやってるところが勉強になることが多くて。例えば、大阪に出ればもっとシンプルなこともあるんだろうけれども、10-FEETとかも身近にいるなかで、地元のバンドとしっかり手を組んで、ライヴハウスやメディアやら巻き込んで、どんどん京都にいることを正解にしていくバンドなんで。そこに関しては、だいぶ先に行ってるなと思います。

-ローカル・バンドとしての在り方としても、学ぶところが多いと。

茂木:そうですね。何よりライヴがすげぇから、それあっての話なんですけど。そのうえでの立ち振る舞いとか、そういったところがすごく好きで。お互い、いつまでやるかわかんないけど、もしロットンが解散とかしちゃったら、そっから先やっていけるかな? って思うぐらい、心のモチベーションになってると思います。

N∀OKI:いや、それはこっちのセリフかな? みたいなのもあるよ。もう群馬といったらジーフリで。僕ら1999年結成で、そのとき23~24歳で、当時上京するうんぬんって話もやっぱりあって......これはあんまり言ってない話ですけど、"やっぱ京都に居続けなアカンな"と思ったのは、札幌のTHA BLUE HERBの存在で。地元にいながら、ヒップホップしながら"地元も仕切れずになに歌う気だ?"(「天下二分の計 (COAST 2 COAST 3)」)ってリリックがあって、ホンマそうやなと思って。ようわからん東京の環境に飲まれて、都落ちなんてしたくなかったから。ちょうどインターネットが世の中に普及し始めた頃やったし、"インターネットがあればいけるっしょ"みたいな感じでやってました。他のメンバーはどう考えてたかわからないですけど、自分は"環境変わって追い込まれて、バイトしながら音楽やっていくんなら、京都で自分らのいい環境でできる"と思えたんで。それを思ったとき、ローカルからちゃんとやってるジーフリに勝手にシンパシーを感じてたし。地元を大事にして、地元で愛されて。地元に私設応援団みたいなのがあるとか、めっちゃ強い! と思いますけどね。

茂木:群馬から発信できなかったらダメだろうなと思ってるし、群馬の人たちと頑張って現場を作りたいと思ってるし。海外だと、シアトルから生まれたグランジとか、古くはベイエリアとかリバプールとか、地名がジャンルになったりすることもあって。バンドでもラッパーでもシンガー・ソングライターでもいいんだけど、群馬から音楽が生まれていったらいいなと思ってるし。京都の選手層の厚さとか見ると環境も含めて、すごく嫉妬するんですよね(笑)。それはロットンや10-FEETが立っていたから、そこに対して動き始めているというのもあって。俺らも群馬に立ち続けなければ、というのは単純に思います。

-"群馬にG-FREAK FACTORYあり、「山人音楽祭」あり"というのが、地元の人たちにとってすごく誇りになり、刺激になり、そこから群馬の音楽が生まれてきたら最高ですよね。そんななか、4年ぶりに聖地 グリーンドーム前橋で開催される"山人音楽祭"ですが、聖地での開催を地元の人もすごく喜んでくれてるんじゃないですか?

茂木:"山人音楽祭"って、地元の人たちの券売が6割くらいなんですが、地元の人たちのアクセスが関東のフェスの中で一番多いと聞いてて。地元の人たちがいろいろ盛り上がってくれてるのはすごく嬉しいですね。特に2021~2022年は越境も難しいというところで、関東のバンドだけでやったり、バンド数もそんなに呼べなかったり。高崎芸術劇場という2,000人くらいの会場で、着座でやろうという話になって、駅から直結で行ける会場で、あまり街を賑わさないでひっそりとやって......。あの状況では、あのやり方がベストだったと思うんですけど、やっぱりいつかドーム(グリーンドーム前橋)に帰りたいと思っていたし、今年ようやく帰れるとなったときに"ロットンにいてほしい"と思っていたし。