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INTERVIEW

オメでたい頭でなにより

2022.09.27UPDATE

2022年09月号掲載

オメでたい頭でなにより

Member:赤飯(Vo) 324(Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

今年3月にカバー・アルバム『オメでたカバー横丁~一番街~』を配信リリースし、昭和、平成の名曲、ヒット・チューンをオメでた(オメでたい頭でなにより)流の発想と、新たにアレンジャーを交えて行った試みのあるアレンジで聴かせたオメでたい頭でなにより。オリジナルとしては約2年半ぶりの最新アルバム『オメでたい頭でなにより3』では、このカバー・アルバム制作を経て生まれた視点や、スクラップ&ビルドを重ねて今のバンドの姿を表した1枚となった。ユーモアや皮肉、ひねくれた姿勢は交えながらも、常に生の現場を大事にしてきたライヴ・バンドとして体感したコロナ禍や、リアルな社会や日常の空気を織り込んで描かれた曲も多く、オメでたとして新たな感触を持った今作。その制作の背景を訊いた。

-カバー・アルバム『オメでたカバー横丁~一番街~』を作ったことは、いい寄り道ができていたんだなと感じました。新たな広がりや試みが今回のアルバム『オメでたい頭でなにより3』に繋がったようですね。

赤飯:そうですね。カバー・アルバムは次のステップのためにと言うてましたけども、そうなったなと思います。

-実際、アルバム制作はどのような感じで進んでいったんでしょうか。これまでは赤飯さんの頭の中にあるものを形にしていたのが大きかったと思いますが、今作ではメンバーみなさんいろいろと曲を書いていますね。

赤飯:そうですね。それ(頭の中のものを形にすること)をなんとかやりたかったんですけど、成果を上げられなかったので諦めました。

324:諦めたけど、結果的には赤飯主導で作ったものもいいものになったよね。

-諦めたというのは、"自分がやらなければ"を手放したということですか。

赤飯:手放しました。この2年間は、葛藤と衝突の2年で。カバー・アルバムのときにもふわっと話していました(※2022年4月号掲載)けど、あのあともスムーズにいくようになったかと言えば全然そうじゃなかったですね。結局、ふん詰まりどん詰まりみたいな感じで、空気の悪さはいくところまでいったかな。で、最終的に成果が上がらなくなったので、平たく言うと手放したという感じで。結局、自分がやらんとどうにもならんみたいに思い込まされていた節もあったんです。

324:赤飯が、"俺がなんとかしなきゃ"っていうマインドが強かったんですよね。他の人が持ってきたものに対して、"これだとちょっと違うんだよな"と言うマシーンになっちゃってて。本当はそんなことなくて、それはそれでいいものだったんだろうけど、そのときはバンドとしてのサウンドを確立しなきゃという思いが強すぎて、背負いこんでいたんです。それでぶつかり合いもあったし、なかなかうまくいかなかったんだけど、そうじゃなくて、任せるものは任せていいのではないかってところに至って、落ち着いたというか。カバー・アルバムでいろんなアレンジャーの方の手を借りたこともそうですけど、どの曲を誰がどの程度までイニシアチブを取るかで。赤飯が全部をやる必要はないし、他のメンバーも表現したいことや伝えたいことはあるから、それはちゃんと尊重しようと。それぞれの伝えたいことを色濃く反映した曲たちになっているのかなと思いますね。

-そうですね。

324:作る前は、誰か芯になるものがないと統一感がなくなるんじゃないかという恐怖はあって、意固地になっていた部分もありましたけど、それをいったん取っ払って作ってみようよとやった結果、統一感がないことはないし。同じ人が歌っているし、一緒のメンバーだしね。あとはこだわりを捨てたことで新しく見えてきたことはたくさんあるなと。バラエティに富んでいるけれど、オメでたい頭でなによりのサウンドからは逸脱していないと思います。

-赤飯さんは、手放したことによって得たものはありますか。

赤飯:まず日々生きやすくなりましたよね(笑)。

324:責任がないというのはある種、楽ではあるよね。

赤飯:3~4ヶ月病みましたからね。手放したことでちゃんと進むようになったし、成果が上がるようになって、そういうものなのだなと自分でも納得して動いたので、良かったのかなと思ってます。これまでは、頭の中を100パーセント形にできないと死ぬみたいな強迫観念があったんですよ。自分のやりたいことにエゴみたいなものが付随して、どんどん巨大化していって。それを自分で形にできるだけの力があれば良かったんですけど、残念ながらそうではなかったんです。例えばアルバム・ジャケットだとか衣装やら見た目だとか、グッズだとか、そういうところでは着実にやりたいことを形にできているんですけど、こと音の面となってくるとやっぱり難しいんですよね。

-それぞれが書いた曲を、いかにオメでたい頭でなによりで咀嚼していくか。その面白さが出ているし、そこに無理矢理なものはない作品になっていると思いますよ。

324:これまで「言葉のあやや」(2019年1月リリースの1stフル・アルバム『オメでたい頭でなにより1』収録曲)とか「四畳半フォークリフト」(2019年8月リリースの3rdシングル『乾杯トゥモロー』収録曲)とか、俺が作詞した曲とかも何曲かあって、それをメインに据えるのは良くないことだと思っていたけど、別にそうでもないよという話になったんです。俺としてはこのバンドで自己表現をできるようになったのはかなり嬉しいことですね。

赤飯:ユニコーン的な、メンバーそれぞれがソングライターのバンドはありだよねみたいなことを言っていたんですよね。だったらそっちに振ったほうが俺も気が楽だなって割り切れた感じもあるので。

324:意見は飲み込まないけど、"この曲はお前に任せているから好きなようにやってくれ"というのができたのは良かったし、それをやっていいんだというのが今回の気づきではありましたね。

-それが結果的に作品の幅広さを生んだと。

324:それによってドラマーにしわ寄せがいってるんですけどね(笑)。

-ロック、ヘヴィ・ロック、ファンクからJ-POPから、縦ノリも横ノリもと様々なビートがありますからね。歌詞については、このコロナ禍の約2年の体感やムード、そこで感じた思いが織り込まれたものになりましたね。

赤飯:結果そうなったんでしょうね。これまでそんなにメッセージ性とかを持たせなかったバンドなのに、振り返ってみると、強い言葉とか強い思いみたいなものが入っているなと。そんなバンドではないんだけどなって今自分で思ってます(笑)。

324:このアルバムで結構言いたいことを言った感じがあるから、しばらくはずっとふざけておきたいかなっていう。

赤飯:うん、もっとふざけたい。

-今回の『オメでたい頭でなにより3』はバンドのマインドもそうですけど、リスナーとしてもライヴに行けない状況とか、まだ思い通りにならないことが多いこともあって、日々いろんなことを考えながら進んでいる最中で。ただ派手に、手放しで遊ぼうみたいな気分でもないと思うんですよね。

赤飯:ほんとそうなんですよね。

-歌詞についても、今何を書くかということでは繊細になる部分もありましたか。

赤飯:そうですね。ヘヴィな音も聴きたくないしっていう、そんな2年間でもあったので、いろいろ考えることはありましたよ。本当にヘヴィな音を聴きたくなくなるんですよね、激ロックさんで言うことではないんですけど。

324:俺は逆に今ヘヴィな音が聴きたい時期かもしれない。

赤飯:わかる、ようやく聴けるようになってきたのかもしれない。そのときのマインドや状況で聴きたい音楽っていうのは変わってくるので。

-特にコロナ禍でのロックダウン、ステイ・ホーム中のときは、普段はヘヴィな音楽を聴いている人も、ジャズやアンビエントみたいなものを多く聴いていたという記事も読んだことがあります。

赤飯:自分もまさにそうで、家具になる音楽みたいなものしか入ってこないんですよ。欲するものもそうなっていて。自分がそういういうモードだったから、それをメンバーにも伝えていたつもりではあったんですけど。家具になるような音楽と、今までオメでたでやってきたものを、なんとか組み合わせて新しいものを生み出せないかという相談をずっとしていたんです。そこを形にしないことにはたぶん泳ぎきれないだろうなという危機感はあって。実際、自分がそこまで追いつめられていたんですよね。ただ、そういうのをうまいこと形にできないのが苦しいし、この感覚をひと言で言うなら"敗北感"だなと。

-前回のカバー・アルバムのときもそのような話をしていましたね。でもそこから、バンド感を取り戻していって、ライヴに来てくれていた人や聴き手をもう一度招くような感じがあるのが、1曲目となった「きなしゃんせ。」です。

324:1曲目からすげぇ切ない感じで(笑)。

赤飯:舞台設定はずらしましたけど、でもどう考えても俺らやもんな(笑)。これ、表現はだいぶ緩くなってるんですけど、サビとかは最初に自分が持ってきたメロと歌詞が重すぎて──

324:たしかにあれは重すぎたね。

赤飯:そのキャッチーな部分だけが残ってサビになった曲ですね。

-居酒屋を舞台に洒脱に語り掛ける曲ですが、これはバンドのことでもあるんだろうな、ライヴができなかったり、仲間がやめていったりということもあった状況が描かれた曲だろうなというのは滲んでます。

赤飯:せめて軽い口当たりにしとかんと、という。ここでドロドロの歌を歌ってたら......。

324:いらっしゃいませって料理屋さんに入って、自分の臓物食べさせられてる気分になるからな。

赤飯:最初はだいぶ視野が狭まっていたけど、うまいことバランスを取ってもらえたかなと思います。

-ファンクっぽい雰囲気があるロック・サウンドに、語りや歌が乗っていくというのはどういう発想からだったんですか。

赤飯:俺とmao(Ba)がMÅNESKINにハマっていたときで、maoが"これは?"っていうのを出してきて。それを324に投げたら、レッチリ(RED HOT CHILI PEPPERS)っぽくなって返ってきて(笑)。"あれ、レッチリやな?"っていう。

324:フレーズとドラムの打ち込みだけきて、"これでなんかやって"って言われて、"これでなんかやって!?"と。これはもう作曲だぞって思ったんですけど、無限に隙間があるから音も入れ放題だったんですよ。だから自分なりのフレーズとかを入れて返したら、ふたり的にはMÅNESKINをイメージしてたのがレッチリになって返ってきたっていう。これはこれでよしってなったんですけど。

赤飯:MÅNESKINの新曲がレッチリっぽかったし、こういうのもいいかなと。最初はそれこそ(MÅNESKIN風に)イタリア語っぽい日本語を作れないかも考えてやってはみたんですけど、いっそのことポエトリー・リーディングはどうかってやり始めて。最初はもっとナチュラルに読んでいたんですけど、気づいたら演技がかっていました(笑)。

324:途中から声優さんになってたね。

赤飯:マニアックな感じにはなってるけど、まぁいいかと。アルバムのツアー("オメでたい頭でなにより 全国ワンマンツアー~今 いくね くるね 3~")でもこの曲が1曲目になるだろうし、セリフのところも自由に、そのときに思っていることとかその土地で感じたことをしゃべれたらいいなと思ってて。そういう使い方をしようと考えてますね。

-ちなみに制作の中ではどういう時期にできた曲だったんですか。

赤飯:これはだいぶ後半でした。

324:アルバムのイントロっぽい、ゆるく始まる曲が欲しいとは結構前から話していて。

赤飯:お通し的な曲が欲しいってね。最初は"のれんソング"っていうタイトルやったんです。

-のれんをくぐって入っていって、最初に掛けられる言葉が"いらっしゃい"ではなく、"おかえんなさい"というフレーズなのがいいですね。

赤飯:居酒屋さんでも、"いらっしゃい"の代わりに"おかえりなさい"って言うお店がめっちゃ好きで。帰ってくる場所みたいにされるとホッとするじゃないですか。その微妙な違いってでかいなって思うんですよね。

-そうですね。他の曲についてもお聞きしていこうと思いますが、8月29日の"オメでたい頭でなにより 結成6周年ライブ"でも披露された「超クソデカマックスビッグ主語」が、SLIPKNOTを思わせる、今作でも一番ハードでヘヴィな曲です。

324:こういうところがミト充(Dr)に厳しい曲ですね。曲ができたときミトさんに、すごく恨めしそうな目で見られました。俺なりのSLIPKNOTオマージュの曲で、でもサビだけはキャッチーにっていう。

赤飯:最近、激ロックさんに扱っていただくのがちょっと後ろめたいんですよね。そんなに"激激"してないのにっていう。でもこれがあることでだいぶそれが緩和された気持ちもあります(笑)。

-やっぱりこういうメタリックな曲も外せないなと。

324:そうですね。でもこの曲は2019年くらいの曲なんですよ。ずっと浮いたままになっていて。俺としては頭の中でこの曲がこのままできていて、歌詞も書いていたのとあまり変えていないしサビとかもそのままで、アルバムどうしようかってなったときに、"俺はこれを入れたい"ってエントリーした楽曲ですね。

-サビで唐突にキャッチーになるというのがミソですかね。

324:やっぱりストレートに伝えるのって僕はあまり得意じゃないから。どこか、ひねくれてないと。

赤飯:不安になるよな。

324:不安になるし、俺の根が真面目じゃないので。

赤飯:真面目なことはよその人がやってくれたらええしな。

324:"オメでたい頭でなにより"っていうバンド名ってかなり皮肉めいていると思うし、その皮肉の部分が好きなので。歌詞にある"冗談だっちゅーの(笑)"とかはバンドとして芯を食ってる感じがする。

-ライヴでもいいフックになっていきそうな曲ですね。

324:この間のライヴの手応えも良かったしね。赤飯も昨今スクイールとかもあまりやってなかったし。

赤飯:ピッグ・スクイールもどきを久々にやりましたね。この間のライヴを配信のアーカイブで観たら、この曲が一番、シャウトがキレキレやった。これは盛り上がると思います。またそういう時代が戻ってきたらウォール・オブ・デスとかもできるしな。