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INTERVIEW

打首獄門同好会

2018.01.11UPDATE

2018年01月号掲載

打首獄門同好会

Member:大澤 敦史(Gt/ Vo)

Interviewer:吉羽 さおり

夏秋冬春の四季連続リリースの第3弾『冬盤』が1月24日にリリース。今回のリード・トラックは、ゆったりとしたレゲエ調の「布団の中から出たくない」。一筋縄でいかない曲ではあるものの、いつもの打首獄門同好会の歌とは違った、なんともほっこりする1曲に仕上がっている。この曲のミュージック・ビデオは、イラストレーター るるてあが手掛ける人気のキャラクター"コウペンちゃん"が主役となったアニメとなっており、"これが打首!?"という意外性で、大人から子供まで巻き込めそうな異色の1曲となった。3月11日の初となる日本武道館ワンマン・ライヴが近づいてきたなか、この連続リリースでの試みや武道館への想いを、フロントマン 大澤敦史に改めて話を訊いた。

-47都道府県ツアー("戦獄絵巻")も大詰めとなってきましたが、3月の武道館公演のチケット一般販売がスタートして、こちらも順調なようですね。

想像していなかった域の順調さでございまして、ありがたいです(笑)。

-想像以上ですか。

正直、これまでこの数の券売はなかったことだったので。今まで挑戦したのが、2千何百人のキャパだったのが、一気に武道館ですからね。だから、何も読めなかったんです。自分たちのマックスの動員力はどれくらいなんだろう? というのが手探りというか、蓋を開けてみないとわからない状態だったので。まず先行チケットを売り始めるまでは、ドキドキものだったんですけど、蓋を開けてみたら、ありがたいことに安心できる数字になっていました。

-そういうことでは、すごく大きなステップを踏むわけですよね。そもそも今回武道館公演をやることになった経緯としては、何が大きかったんですか。

いろいろ流れがあったんです。打首(打首獄門同好会)のワンマン・ライヴにかけているコンセプトが、いつも"挑戦"なんですね。その会場で本当にできるのか? くらいの大きな会場に、それぞれの時期で挑戦をして、人は集まるのか、集まったら、じゃあ次の挑戦だ、っていうのが繰り返されてきて。最終的にZeppレベルの2千人キャパまでいったんですけど。その次は? となったときに、順当にいったら3千、4千のキャパシティになるんですけど、次はここだ! っていう場所が特になかったんですね。そこでこの挑戦はここで打ち止めにするっていう選択肢と、武道館っていう選択肢があったんです。正直言えば、今の我々に武道館はまだ早いと思ったんですけど、"そんなことを言ってたらオリンピックが始まるので武道館使えなくなりますよ"って言われて。やるなら2018年くらいに挑戦するしかない、どうする? っていう話で。結局、武道館を決意したのが、(2017年)3月の新木場STUDIO COASTでのライヴ(2017年3月25日に開催した"やんごとなきワンマン")の少し前だったんですけど、このワンマンが早いうちにソールドして。もうこれは武道館に挑戦すべきか、という気持ちがだんだんと高まってきたんですよね。

-そこを決断をするのは、結構大きなことでしたか。

そうですね。やっぱりここを逃したら、今の武道館でできなくなるという話になると、人生で一度かもしれないし、目指しておくべきときなのかなと(笑)。結局いつのワンマンも、挑戦して成功するかどうかは賭けなところもあって、そこでコケたらここまでのバンドだなって思われちゃうわけですよ。これまでも絶対に失敗できない挑戦を続けてきて、幸いにも全部クリアできたからここにいるんですけど、武道館で賭けていいのかっていう。例えば3千人も集まったとしても、武道館だと"3千人だけか......"みたいなことになっちゃうので。

-そしてこの1年、全都道府県制覇のツアーや各地フェスの制覇など武道館までの時間をいかに濃密にしていくかを課題に、走ってきたわけですね。

この1年突っ走れるなら、俺も突っ走れるし、事務所とも話してフェスに出るとか、いろんな人が俺たちを観るチャンスを一緒に作ってもらいますよっていう話をして。一緒に頑張るということでいいですか、じゃあ、やろうという感じでしたね。

-こうして打首獄門同好会というバンドが武道館に立つっていうのは、すごく夢がある話だと思うんですよね。

それは、武道館をやると発表してから周りに言われて、初めて実感したところもありますね。うちが挑戦するとなると、他のバンドとは意味が違うみたいな捉え方をしてくれる人が何人かいて。打首はライヴハウス出身のバンドであると。突然ブレイクしたとか何かのタイアップをしたとかではなくて、何かの流行りに乗れたとかでもなくて、ただライヴハウスで13年じわじわやってきたバンドが武道館に立った、それも独自路線でいきやがったと。それをライヴハウスで切磋琢磨してきた仲間や、小さなライヴハウスで観たことがあるという人は"夢がある"と言ってくれて。なるほど、言われてみればそうだなと思いましたね。

-意義のあることだと思います。自分たちのやりたい音楽で──言ってみれば音楽的にはコアなサウンドでありながら、武道館という、みんながわかる場所までいけるっていうのは大きなことだなと思います。

周りから言われて気づきましたね。自分たちはライヴハウスのバンドだったんだなっていう。

-武道館でやろうという話が出るまで、あまりこの場所を意識していなかったんですか。

たまに我に返るんですよ、武道館ってなんだろうって(笑)。ロック・ミュージシャンになるぞっていうとき、武道館に立ってやるという目標が同時に芽生える人はたくさんいると思うんですけど、俺には全然それがなくて。武道館はどうでもいいとかじゃなくて、そこに立てるとは本気で思ってなかったという意味で、現実的じゃなかったんです。俺が音楽をしていくなかで目指せるところじゃないという感覚がどこかにあって、選択肢に入れてなかったんですよね。いつかZeppくらいの会場でできたらいいな、くらいの感覚だったんで。そう思ってる人にとって武道館に立つというのはものすごい遠いじゃないですか。双眼鏡で見てるくらいの遠さというか。武道館という話を言い出したのも、メンバーではないんですよ。