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INTERVIEW

ROTTENGRAFFTY × 激ロック × バイトル

2017.06.16UPDATE

2017年06月号掲載

ROTTENGRAFFTY × 激ロック × バイトル

Member:NOBUYA(Vo) N∀OKI(Vo) 侑威地(Ba) HIROSHI(Dr)

Interviewer:吉羽 さおり

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"絶対のし上がってやる"っていう反骨心をバイトで得ていたかもしれない(NOBUYA)


-バンド活動をしているとツアーがあったり、急にライヴが決まったりと、イレギュラーなことも多いですが。そういう面で、バイト選びのコツはありましたか。

侑威地:固定のバイトやったら長期の休みが取りづらいので、僕は1日1日、派遣で行ってましたね。僕がやってたときは、結構仕事があったんですよ。玉ねぎ工場に行ったり、農場に行ったり。

N∀OKI:アイス屋もやってなかった?

侑威地:保冷車で、冷凍食品を運ぶやつね。あれは派遣じゃなかったかな。

-NOBUYAさんは、バンドとの兼ね合いのうえではどうですか。

NOBUYA:僕は人と関わるのがすごくイヤやったので。

侑威地:何回言うの、そこ(笑)。

NOBUYA:レンタルビデオ屋はバイト仲間よりも、オーナーさんとかと仲良くなることが多かったですね。経営者の懐に入っていくのがうまかった気がします(笑)。でも、バイトするのがむちゃくちゃイヤやったので。ロットンを始めて、1年以内に事務所とレコード会社が決まらなかったら解散、とずっと言っていたんです。初めはバイトしていたんですけど、レコード会社が決まってからは、一切バイトを辞めました。そのくらい、バイトするのがイヤでしたね(笑)。最初は、食えなくて苦しかったですけど。

-決まった時間で働くのがイヤな感じですか。

NOBUYA:自分で何かしたいっていう気持ちの方が強かったので。誰かに雇われるのがイヤだったんですよ。僕がバイトをやって得たものは、こんなことやってられるかっていう、反骨心ですかね。"バイトなんてやってられへん、絶対のし上がってやる"っていう反骨心を、バイトしながら得ていたかもしれないです。

-何がなんでもバンドを成功させるっていう気持ちになりますね。N∀OKIさんはコツを掴みながら働いて、バンドとバランスも取れていたんですか。

N∀OKI:そうですね。僕は侑威地みたいに転々とするのがイヤやったので、社員も丸め込んでうまいことやってました。社員とかまとめて10人くらいで、遊びに行く予定とか立てて、"パチンコ屋、今日人いいひん。どないなっとんや──また牧沢(N∀OKI)の仕業か!"っていう。

-それでも許されちゃうようなキャラにもなっていたんですね(笑)。

N∀OKI:社員の上の方の人、言ったら社長とかに気に入られていたので。うまいことやってましたね。そういう人を見る目を養えたんちゃうかなと思います。媚びるとかではないですけど、仕事が終われば人と人、みたいな。コミュニケーションをとったら仲良くなれるので。そういう術は覚えたんちゃうかなと。

-これはきつかったなというバイトはありましたか。

HIROSHI:きつかったことはないですかね。餃子の王将とか居酒屋でもバイトしていたんですけど、たしかにサービス業だからキツいこともあるし、汗だくになりながらもやってました。賄いがおいしかったですしね。あ、でも居酒屋でバイトしていたときには、閉店まで仕事して、最後に食べるご飯が、唐揚げとか揚げ物ばかりだったんですよ。ほぼ毎日食っていたので、あまり好きじゃなくなりました。

N∀OKI:え、どこがきついの(笑)。

-侑威地さんは数あるなかで、これはなかなかしんどかったぞというのは。

侑威地:玉ねぎ工場ですかね。全身白い作業着で、1日中、玉ねぎの皮を剥いて、切って、袋に詰めるという、ただそれだけの仕事なんですけど。2日間やると、何を食べても玉ねぎの味しかしないんですよ。お風呂にいい香りのする入浴剤を入れても、玉ねぎの匂いがずっと取れないんですよね。もともと玉ねぎ嫌いだったんですけど、それ以来、ほんまに嫌いになりました。

-バンドを始めたころは、いろんな仕事をして、夜はクタクタになってバンドの練習に入るというような生活ですか?

NOBUYA:うん、でも楽しかった記憶があるな。

侑威地:バイトしてお金貯めてスタジオ代にしたり、お金を出し合って、いろいろな地域にライヴしに行ったりすることが楽しかったんですよ。全然、苦ではなかったです。

-ツアーに必要な機材車なども、みんなでお金を出し合って買ったりしたんですか?

N∀OKI:ライヴで貯めた金で、最初の機材車買ったよな。

NOBUYA:最初は、中古のマツダのボンゴね。

N∀OKI:メンバー全員、侑威地を恨むっていう。

侑威地:"買ってきて"ってお金を渡されて。めっちゃ安いのあるわと思って買ったら、"機材車って普通、トヨタのハイエースちゃうんか"って怒られて(笑)。

NOBUYA:そこからね、ハイエース買うためにもっと頑張らなって。

N∀OKI:最初の機材車が1年くらいで、すぐ止まったんですよ。中国道で、米子に行く間に。みんなで押しましたね。

侑威地:そのときもめっちゃ、"これ全部、侑威地のせいちゃうんか"って言われながら(笑)。