COLUMN
G-FREAK FACTORY 打たれる出た釘・打たれない出すぎた釘 第四十九回
選抜高校野球とプロ野球開幕で完全に春の知らせ。寒暖の差を耐え抜き勝ち上がった新芽が雪解けの山を彩り始める。新芽、年度末、出会い、旅立ちなどなど儚さや寂しさ、そして何よりリセットによる希望に満ちたこの時期に人間が節目を置く理由が解る気がする。そして花粉症の人には申し訳ないが、上着を脱いで明けていく季節が俺は昔からなんとなく好きだ。
さておき人間といえば世の中はビジネスを背景にテクノロジーに翻弄されてきた。俺たちの生まれる前から長期にわたり支配、コントロールしてきたテレビという王様は威力を失い、もうすぐ王様の存在を知らない世代が世に溢れる。カルチャーは常にカウンター社会が編み出すとするならば、利便性を追求するがあまり本来の人間の営みを置き去りにしたまま走り過ぎたこの時代の先には、逆に新しさを感じて人は不便な方に帰っていくかもしれない。そうあって欲しいという願望もある。なぜなら田舎ですら頭でっかちでコミュニティを構築するのが困難になってきてしまったと耳にすることが増えたからだ。
35箇所を回るこの旅。HAZEツアーも終盤に入った。疫病により数年の氷河期を耐え抜いたライブハウスが開けていること。そして何よりその土地の人やローカルのバンドマンと出会えるのはとても贅沢で旅人冥利に尽きるとはこのことだと思う。対バンをせずとも、その土地にあるライブハウスとバンドマンのコンディションが良いローカルは精通したオーディエンスを産み、根づいた一つの文化として成立しているのを感じることができる。良いバンドがいるだけでも、良いライブハウスがあるだけでもなく、双方が立って真ん中に集めた場所は肌感で理解できるし、その強固なものに嫉妬すら覚える時もあるくらいだ。そしてその度に28年バンドを続けてきて、まだやらなければならないことがたくさんあるということは悔しいけれど幸せだったりするものだ。
群馬でバンドを始めた頃はバンドマンにとって利になるものは本当に何もなかった。ならば作れば良いと、何事も前例のないあり得ないことにチャレンジしていくことにモチベーションが高揚する性分は病気のようなもの。今年もまた山人音楽祭2025の開催発表ができた。質感は違えど兄弟、ニューアコと共に2週にわたって群馬を遊ぶ秋の遊び場の準備に入るべく、ずっと全力で走ってたらあっという間の10年目にしてようやくペースを掴めてきた。と、言いたい。またあの1日1日が惜しい激動の季節が始まる。剛腕の強者と旅を重ねて知り合った仲間が集まってくれる。人間らしいフェスで人間らしいライブ。そんな田舎の祭りを今年も開催したい。バンドもフェスも、ライブハウスもいつかは終わりを迎える奇跡みたいなもの。今年の秋もまたローカル群馬で2週にわたって会えるのを楽しみにしてるよ。待ってるぜ。PEACE & YAH-MAN
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