COLUMN
G-FREAK FACTORY 打たれる出た釘・打たれない出すぎた釘 第十二回
寒い日が続きますが元気でやれてますか?ウイルスに勝ってますか?ちゃんと燃えてますか?笑ってますか?気づけばいよいよ平成が終わるようですね。昭和と平成しか知らない俺にとって、平成とは何とも言えない寂しい時代だったと思うのです。なんとなく必ずどこかがずっと曇ってた気がします。懐古主義と言われたらそれまでですが、俺はなんとなくコントラストが濃かったイメージのある昭和が好きです。もちろん自分も幼かったということもあってか、煌びやかに思えて仕方ないのです。
進化は素晴らしいです。コンビニが突如あらわれて、近所のおばあちゃんが駄菓子屋を閉めた日のこと。食い入るように見てたテレビにリモコンが設定された時のこと。必要な分だけの限られた情報の中で生きていた時代をはっきりと鮮明に覚えてます。斬新さを好む若者は与えられるものではなく、取りに行かなかったら得られないリアリティ。あの頃のあたりまえとして人間社会というコミュニティから外れたら孤立の一途という「付き合い文化」はどこ吹く風に。一人では絶対に生きてはいけないとされていたちょっと前までの時代から、気づけば一人で生きてゆくための快適なツールが簡単に手に入る環境へと変化する日々。失ってしまった大きなものと、それを加速させる孤独感が混在するヘンテコな時間にはやはり慣れることができません。年をとったせいか耐え難いものがあります。
そこで、何をもって幸せとするかを定義することに行き着きました。時代のテーマは変化するし、大人になった今でも悩み事は尽きませんが、昭和の時代と今とでは「心配のタイプ」がまったく別物になったと思います。それに伴い「幸せの形」も変化してきました。変わるもの。変わらないもの。変われないもの。その中で人を想う暖かさだけはいつの時代も一貫して「幸せの形」の最たるものであるべきだと思います。いつの時代も子供に触れる瞬間だけは幸福感に満ちているように、どんなに歴史が走っても人間なんです。
平成を終えて心機一転で臨むならば、偉い人たちにも何とか一転頑張ってもらいたいものですね。このままでいいなんて思ってる庶民は少ないはずなのに、声は上がらず、出しても届かずがこの先も続くのでしょうか?
曲にはフラッシュバック効果があるって信じながら、春からまた長い旅に出ます。平成最後のこのツアーでもたくさんの仲間にライブハウスで会えることを楽しみにしてます。って信じながら、今まさに俺が昭和を美化しているように、いつか平成もいい時代だったと振り返ることができたらいいなと思います。曲を聴いて平成を思い出すようなその日までどうか達者で!PEACE & YAH-MAN
- 1