MENU バンドTシャツ

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

COLUMN

ACMEのGEKI STATION vol.10

ACMEのGEKI STATION vol.10

ACME『HALのハルヤマ散歩 -VOL.3-』

2021年に何となく登山を始めて3年が経った。その間に266座、累積標高82,567m、登っていた。運命のイタズラで、山に登らないこの3年間を歩んでいたら、どうなっていたのだろうか。山への情熱を全てバンドに注いでいたら、今頃爆売れしてるか解散しているか......どっちかだろう。しかし山人生を選んだので、爆売れはしていないが、それなりに楽しい人生を送っているので良しとしよう。


最近、私をミュージシャンと思っていない人がいるようなので、今更ながら自己紹介をしよう。

幼少期はピアノを習い、クラッシックを学び、学生時代ロックに出会いドラムを始める。音楽への情熱は消えず、音楽大学へ入学しクラッシックの技術、知識を深める。それと同時に様々なミュージシャンと共演し、最近はアメリカを始め、世界でも知られる存在になった。ピアノを弾き、ドラムを叩き、クラッシックに精通していて英語も話す、これだけ聞くとほぼYOSHIKIのはずなのだが、人々がYOSHIKIを見る目と私を見る目が違いすぎる。初対面の人には「想像していた見た目と違いました。」とよく言われる始末だ。『YOSHIKI+山=HAL』なのだが、山要素が強すぎるのだろう。

山は人を強くする。
自分一人で持てるだけのものを選別し、10~20kgのバックパックを背負い何日も歩く。山にも寄るが、1日ではたどり着けない頂は沢山ある。そこに行くために、何日も舗装されてない自然剥き出しの登山道を歩くので精神的、体力的にも強くならざるを得ない。そんな私でも、登山1年生の時は死にかけたことがある。


少し山に慣れてきた頃の話。少し自信も付いてきて、半日の登山では物足りなくなり、一泊二日の山行に出かけた。当時は日本アルプスの経験がなく、自分にはまだ早いと思い、地元の飯能アルプスを選んだ。なぜか地元ということで、いつもよりキツめの予定を立てていた。当日は案の定、予定通り歩けなかった。テントを背負って歩くことに慣れていなかったので、全然スピードが上がらない。戻るにも水が底をついているので山奥にある水場まで行くしかなかった。だんだん夜も更け、真っ暗闇を歩くはめになった。ヘッドライトは持っていたものの、夜の登山は経験がなかったのでとても怖かった。残された道はただ2つ、ここで死ぬかひたすら進む......しかなかった。暗闇を2時間歩いたところで、水の音が聞こえてきた。「これで生き残れる!」


私の人生でこれ程『生に執着』した日はなかった。今までは、生きていることが当たり前で、自分が生きたのかどうか意識したことはなかったが、この時初めて自分は「生きた」と思っていることに気付いた。
ネガティブな意味ではなく、生きるということは死に向かって行くということなので、限りある人生を存分に楽しむことにした。次はどこの山に行こう。

  • 1