COLUMN
G-FREAK FACTORY 打たれる出た釘・打たれない出すぎた釘 第二十八回
随分前から気持ちのない綺麗なものに興味がない。その感覚はコロナでハッキリと加速した。時間という宝物の中で、人によって生かされているのが人である。これまでも既にもう何周かして、これからもまた廻り続けるのだろう。きっと正解は未知数で、生きている限り完成なんてしない。とても儚く、そして尊い。
気づけばスポーツの大会は美しいものとされて、バンドやらフェスの凌ぎ合いは悪の代名詞となった。そんな中で開催されたニューアコースティックキャンプ 2021。俺はニューアコチャンネルの動画製作から携わらせてもらった。まさにハイブリッドであり、しかし根本は全く変わらない。一人の意見だけではない会場全体に広がるメッセージ。自然。そしてチーム力を最大限に発揮した感染対策。例年のフェスと大きく違う運営の労力。意地。それを超越したように見えたのは、来場者はその運営サイドを、もちろん運営側は来場者を「心から信じている」こと。今までのフェスに求められてきた過度な安心感ではなく、リスクを共有しながらニュータイプのマナーやモラルを生み出し、そして導いていく。その一つ一つ、一人一人がディスタンスをとった火の玉となって、それそのものが一つの演出と化していく。利便性に支配されて実は根底にあるシンプルなものを再確認できた日だった。ニューアコースティックキャンプに大きな敬意と感謝を希望として皆に伝えたい。
水上の山を降りて東北に向かった。東北ライブハウス大作戦GIG 2021。どれだけ力を抜くことができるかというアコースティックの現場から、次ぐ日はどれだけ力を込められるかというステージだった。震災から10年の月日を皮肉なことにコロナに覆われてる現実。
ここでもやはり信じ合うことができた。必要以上の感染対策を用いて、酒を一滴も交わすことはなく、必要以上にマスクを外すこともなく、それでもみんなで現社会への疑心を笑い飛ばすかの如く、音楽やロックという表現手段に心からピュアに興じることができた。
ローカルの村社会で生きているからこそ、ワクチン接種しかり、感染しかりナーバスな部分は色濃く残っていく。選んで決めて、その選んだものを信じるところまでがワンセット。選ぶ・決める。ここまでは容易にできるが、多くの情報に邪魔をされて信じるという行為に肉体的にも精神的にも膨大なカロリーを消費する時代。それでも、だからこそ山人音楽祭の年内開催を諦めていない。結果として、できるとかできないは一番の問題なのではなくて、向かっているか、そうでないかが問題だと思っている。どの世代にも重くのし掛かる空白の加齢。走り方が変わっても、ゴールを目指して足掻いていくことで新しいドラマやバランスが生まれると信じている。もう一回、信じることから始めたいと思ってる。そういえば今までもずっとそうしてきたように。PEACE & YAH-MAN
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