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INTERVIEW

10-FEET

2017.10.23UPDATE

2017年10月号掲載

10-FEET

Member:TAKUMA(Vo/Gt) NAOKI(Ba/Vo) KOUICHI(Dr/Cho)

Interviewer:谷岡 正浩

-やりたいことに忠実に従って作ったシングルから、いざアルバム制作に入るにあたっては、どのような気持ちだったのでしょうか?

TAKUMA:シングルを出している時期からアルバムまではやりたいことが2ヶ月くらいで変わっていくような感じでした。歌詞をじっくり聴かせてメロウに歌い上げるようなものをやりたいなとか、熱量のあるビートをぐんぐん繰り返していって曲の終わりには感情が溢れるようなものを作ろうとか、そういう感じであっちいったりこっちいったりしていましたね。あのシングル3枚ですら1枚1枚やりたいことが違ったと思うし、さらに遡って前のアルバム(2012年にリリースした7thアルバム『thread』)からシングルまでにやりたかったことも含めて全部、このアルバムにまとめて出していくっていう感じやったような気がします。だから、シングルでやったような流れもあれば、その前にやりたかった、テンポが速かったり激しかったりという曲も改めてちゃんと作りたいなと思っていました。なんかね、前のアルバムから時間が空いたぶん、その間にやりたかったこと、あるいはやったことも含めて全部アルバムでやろうという感じやったと思います。

-そう考えると、『太陽の月』に収録された3曲のバランス――つまり、スローなテンポで言葉をじっくり聴かせるタイプの曲と、サウンドと言葉の両方で遊びを感じさせるアプローチの曲、そしてメロコアやミクスチャーを突き詰めた曲、という方向性が見事に前作アルバムからの10-FEETの歩みを表現していたんだなと感じました。そしてそれが最新アルバムの予告のようになっていて、当然アルバムではどの方向の楽曲もたっぷり堪能できるという。

TAKUMA:ほんまそうですね。

-アルバムの方向性についてはあまりメンバー内で話をしませんでしたか?

KOUICHI:そうですね。あくまでいい曲を作ろう、いい曲を収録しようっていうことだけで、コンセプトはありませんし、だからトータル15曲にもなったと思うんですよね。なんて言うんですかね、1stアルバムの『springman』(2002年リリース)を作ったときのような勢いというか、感覚も少しあるんですよね。

-あぁ、なるほど。やりたいことに素直に、という部分はまさにそういうことかもしれませんね。

KOUICHI:ええ。

-ただし、当たり前ですが1stアルバムと最新アルバムの間には、圧倒的な経験と時間をくぐり抜けてきたという差が歴然とありますよね。

TAKUMA:それが、さっき言った筋肉や血になっている部分やと思いますね。

-新しいアルバムがついに出るぞって知らせがあったときに、そこにすでにタイトルがあって、それがびっくりしたんですよね。まずは、"えっ、もうタイトルあるやん!?"という意味で(笑)。

TAKUMA:(笑)初ですね。(タイトルが決まったのは)アルバム制作の途中くらいやんな?

KOUICHI:うん。

-そしてさらにびっくりしたのは、"Fin"という言葉そのものに対してです。

TAKUMA:解散するんちゃうかなと思われたみたいで(笑)。

-(笑)でもアルバムの2曲目に収録されている表題曲を聴くと、それが魚などの"ひれ"を表すのだということがわかりました。そしてジャケットを見たらひれがマフィンに刺さってた(笑)。

TAKUMA:"Fin"から"ひれ"をすぐ思いつく人ってそんなにいないと思います。まぁ、そのわけのわからない感じがいいかなと思ってタイトルにしました。

-ものすごく不思議な意味を含んだタイトルだと思います。「太陽4号」にも「Fin」にも、"魚"という言葉が登場しますよね。そこに何か、生命の躍動感みたいなものを感じていて、それがアルバム・タイトルの"Fin"と合わさると、もはや歩いては到達できない場所に行くんだという気迫を僕は受け取りました。

TAKUMA:魚のひれというものは、自由に道を選ばず泳いだり、スピードをコントロールするのに欠かせないものですし、人間が足にラバーのフィンを着ければ、より速く、より深く泳ぐことを助けてくれる道具ですよね。たしかにそういう意味合いでも付けました。あと一方で、ほのめかしたりするつもりは決してないんですけど、バンドができなくなるかもしれないというのはいつでもあり得ると思ってやってきてるんですよね。ひとりひとりの人生観とか死生観、価値観を語るときでも、明日死んでもええくらいの今日にしようとか、今日の帰りにこけて死ぬかもしれへん、だから後悔ないようにって話すんですけど、なかなかね、わかってはいるんやけどできへんなぁと思ってるなかで、でもわかっちゃいるけどできへん、だけでは片付けず、何度も何度も思い返してそういう気持ちにならなアカンなと。だから"Fin"には、映画とかの最後に出てくるフランス語の"Fin."の意味も込めました。ほんまにこれが最後になってもいいというような音源を作らなくちゃダメなんだって強く思っていたので。


音楽じゃどうしようもない問題もあるんですけど、それでも音楽と言葉の浄化力というのを僕は信じているんですよね


-道も何も描かれていない白地図の上に立っているような、そんな感じがしましたね、このアルバムは。もはやそこにガイドラインは存在しないんだろうなと。音楽的に言うと、例えばメロコアみたいな曲をやろうとか、ミクスチャーっぽいものをやろうとか。"みたいな"、"ぽい"というものがなくなって、完全に10-FEETのオリジナリティだけが残ったような。

TAKUMA:そうなんですかね......なんかね、音楽と言葉に人生の多くを助けてきてもらったなと思っていて。ほんまに落ち込んでるときに音楽聴いて元気が出ることがあるし、もうちょっと頑張ってみようとか、もうちょっと正直に生きようとか、もうちょっと優しくなろうとか、自分に厳しくなってみようとか、そんなふうに思える力を何度ももらってきたし。酒とかとはまた違うパワーなんですよね。酒もいいですけど(笑)。でも、音楽にしか助けてもらわれへん自分がたしかにいたし、いるんですよね。生きているといろんな問題にぶち当たるじゃないですか。僕の場合やったらうまく曲ができへんとか、多くの人は人間関係に悩んだりとか、もっともっとシビアな争いがあったり......もちろん音楽じゃどうしようもない問題もそりゃあるんですけど、それでも音楽と言葉の浄化力というのを僕は信じているんですよね。最近ね、中島らもさんのエッセイが好きでよく読むんですよ。若いころのことを書いたものなんですけど、まぁくだらないことばっかり書いてあるんです(笑)。その中で、思春期や若い時代特有の悩みにぶち当たってるんですよね。きっとご本人は苦しくて自殺してしまいたいと思えるほどの悩みやったと思うんですけど、それをとにかく笑えるように書いてくれてるんですよね。最悪なことを最悪なままシリアスに伝える方法ももちろんあるんですけど、僕はらもさんの、どん底レベルに悲しいことをユーモラスに伝えて、聞いてくれた人を逆に勇気づけるという表現のあり方に本当に元気をもらったんですよね。で、その優しさと強さとユーモアの裏側にある暗い部分を感じられるというのも僕にとってはすごく安心できるというか、リアリティがあるんですよね。だから、いろんな面を正直に思いっきり表現したいと僕も思ったし、今回は思いっきりひたすら作ることに集中してました、3人で。すでにある曲を思いっきり演奏して楽しむように新しい曲を作ってました。その結果が今回のアルバムで、オリジナリティ云々というのはそこを狙ってそうしたということではないですね。