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INTERVIEW

a crowd of rebellion

2019.11.28UPDATE

2019年12月号掲載

a crowd of rebellion

Member:高井 佑典(Ba) 近藤 岳(Dr) 小林 亮輔(Vo/Gt) 宮田 大作(Vo) 丸山 漠(Gt)

Interviewer:米沢 彰

2019年9月、ツイン・ヴォーカルふたりが同時にドクター・ストップを受け、予定されていたツアーをすべてキャンセルすることを余儀なくされたa crowd of rebellion。順調にリリースとツアーを重ねてきていたなかでバンドを襲った突然の事態に対する不安は、想像できる範囲をはるかに超えていただろう。手術、そしてリハビリを経てついに復活を果たした5人に、復活までのこと、そして新たに完成させた新作について語ってもらった。

-9月から11月にかけて予定されていた"Utopia tour"のキャンセルが発表されたときは本当に驚きました。

宮田:俺たち(宮田と小林)的にはずっと病院は通ってて、あんまり表には出してなかったんですけど。ふたりで"ライヴちょっとヤバいね。ヤバい状況だね"って言ってて。病院に行って先生にも"だいぶやられてるね"って言われながらもツアーを回ってて。次も大丈夫だろうと、いけるだろうと、たかをくくってたんですけど、ついに悲鳴を上げたって感じでした。

小林:今まで"やれるでしょ"って根性だけで10年以上やってきたんですけど、ツアーが始まる直前にやっぱりちょっとおかしいからもう1回診てもらおうって思って、見てもらったらかなり悪化してまして。結論としては、このままだと本当に壊れてしまって、最後の最後にみんなにヤバいものを見せてしまうって思っちゃって。

宮田:リベリオン(a crowd of rebellion)ってなよなよに見える人たちが集まってるんですけど、実は結構体育会系なんですよ。それに馴れきっちゃってるんで、それでもツアーを最初から最後までやろうって、やったろうって言ったんですけど、やっぱりだめでした。

-メイン・ヴォーカリスト2名が同時にというのもすごく大変な状況でしたね。

宮田:ずっとふたりで通院していましたけど、担当の医師には"同じバンドのヴォーカルふたり一緒に点滴するのはさすがに初めてだ"って言われましたね。

小林:カップル・シートみたいで。

-発表は苦渋の決断だったと思いますが、実際に発表したときの心境をうかがえますか?

小林:それまでは、人と会ったりライヴをしたりするほうが、心が摩耗していくんじゃないかと思っていたんですけど、いざ声が出なくなって、会うのは一緒に手術した宮さん(宮田)だけ、しかもお互い声が出せないから筆談しかできない状況になったら、もうそっちのほうがすり減るなって。ライヴができないこととか、声が出せない、喋れない、歌えないという状況がすごく(精神的に)きましたね。

宮田:亮輔と手術したあと、筆談で喋ってて思ったのは、本当に俺たちって音楽で生きてるんだな、音楽の中で生きてるんだなってことで。今までそんなこと考えもしなかったんですけど、当たり前に存在していたことが当たり前のように存在しなくなるんだな、ってすごく感じました。そのことがとても怖かったです。小っちゃいころから当たり前のようにずーっと歌って生きてきて、それができなくなる。もしかしたら、パッと次の日から。それがすごく怖かったですね。それと同時に助けられたのは、亮輔がいて良かったなってことで。ヴォーカルがもうひとりいるって、こんな幸せなことってないなって。声が出なくなるかもしれないって普通経験しないことだと思うんです。それを同時に経験して、不安も一緒に分かち合って、お互い大丈夫だよって言い合って、本当に助けられたなって。

小林:僕も同じですね。通院するのに行きも帰りも一緒で、これがもしひとりだったら、って。マネージャーや他のメンバーも助けてくれたんですけど、一番一緒に行動するのは宮さんで。しかも症状も一緒で、喋ってもいい時期も一緒だったし。本当に励ましてもらってばっかりで、もしひとりだったらって考えたら本当に鳥肌立っちゃうくらい怖くて。本当にふたりで良かった。

宮田:手術前はこのまま歌えなくなるんじゃないかっていうことばっかり頭の中にあって。手術の前日から入院してたんですけど寝られなかったです。こんなことあるんだって思って。

-手術日も近かったんですか?

小林&宮田:同じ日です。

宮田:9時から10時と、10時から11時。

小林:僕が手術室に行くとき、宮さんがガラガラって出てくるのを見て、そこでなんかめちゃくちゃ切なくなって。この人こう見えて針とか大っ嫌いなんで、手術とかすっごい怖かっただろうなって、ウルウルしちゃったんです。手術室に運ばれたんですけど、相方を見てるんで俺ももう怖がるとかなくて、早くお願いしますって気持ちになって。

宮田:俺が出ていくときに亮輔が入れ違いで入ってきて。でも俺はまだ麻酔から覚めたばかりだからフラフラで。

-ほかのメンバーのみなさんはどのような心境でしたか?

丸山:急だったんですよ。"ちょっとライヴ前にまた検診行ってくるわ"みたいな感じで行ったら急に連絡が来て"これはヤバい"、"中止になるかもしれない"と。みんなそうだったと思うんですけどツアーする気満々だったのでびっくりしました。でも、こればかりは仕方ないというか。どうにもできない問題だったので、申し訳ないと思いつつ、切り替えるしかないって。

高井:ふたりが悪いわけじゃなくて、これまであったことがすべての要因で、いろんなものが積み重なって出た結果がふたりの喉で。"Dystopia tour"をやってみんな疲労が溜まってたんで、スタジオには入らないでいたんですけど、今回のツアー前に入ったスタジオで、1、2曲歌っただけでふたりがちょっとおかしいっていうのはわかってたんです。これは普通じゃないな、前よりもひどくなっているなって。しょうがないって言い方は、違うかもしれないけど、こういう結果になったのはふたりがどうのって話じゃなくてみんなの問題で。そこからどうしていくかって考えていましたね。

近藤:びっくりはしたんですけど様子がおかしかったのは知ってたんで、"Utopia tour"を始めてしまったら取り返しがつかないことになってたんじゃないかなって。この先の音楽家としての人生がもしかしたら終わってたかもしれないってことを考えると、手術して今は回復しているので、その点に関しては良かったかな。対バンやお客さんには本当に申し訳ないなとは思っていますけど、こうして活動が再開できればまた必ず会いに行けるので。今は万全な状態にして、またステージに上がれるように切り替えて過ごしてきましたね。

高井:"もう根性論はやめよう"って言ってて。痛くても"やればアドレナリンが出て、痛みも感じないから"って考え方になってた気がするから、それはだめだなって。

小林:それはそうだなって思いましたよ(笑)。

宮田:むしろ、よく12年これでやってこれたなとも思いますけどね。

高井:俺も昔、腱鞘炎になったんですよ。"痛い!"って言ったら、みんなからは"そんなん本番はアドレナリン出て痛くねーよ"って言われて(笑)。ロキソニン貼りまくって痛み止め飲んで、本番終わったら、"な?"って言われた。次の日めっちゃ痛かったけど(笑)。

小林:今回ふたりがこうなったときにひとりずつメンバーに電話かけたんですけど、本当になんて愛しい人たちなんだって。みんなの包容力に本当に救われました。

-手術を経て、今は順調に回復中ですか?

小林:そうですね。でも難しいです。繰り返しちゃいけないですし。声の出し方も難しくなってます。

宮田:医師からは"パンク寸前の自転車から別の自転車に乗り換えた状態"って言われて、本当にその通りだなって。

小林:完全に違うチャリなんで、めっちゃ難しいんです。

宮田:でも、めちゃくちゃ早く走れるようになったんですよ。今でもまだ初めて自転車に乗ったみたいな感覚ですけど。

-ツアーはキャンセルとはなりましたが、12月1日にZepp DiverCity(TOKYO)にて予定されている"The revenge-00:00-"は開催の方向ですよね。

宮田&小林:そうですね。

-やはりZeppまでにはどうにかしたいという思いがあったのでしょうか?

宮田&小林:その通りですね。

宮田:手術したのも初めてなので、回復のスピードとかもわからなくて、本当にできるかどうかわからなかったんですけど、どうしてもやりたかったんですよね。そこは身体がもう、順応するというか。4ヶ月間くらいライヴやってないんですけど、そんなのこの10年間で初めてのことなので、"早くやりたい!"って思いが強くて。そのせいか回復もどんどん早くなっていきました。手術後に改めて検査しに行ったときに"いい感じだね"って医師にも言われて、やっと"やれる!"って思えて。それがどれぐらい前だっけ?

小林:1ヶ月前くらいかな。

-公演のタイトルがかなり重くなりましたね。

小林:まさか、こんなに重いリベンジになるのかって。リベンジ&リベンジ。喉もゼロの状態からになって、タイトル通りになってしまいました。