INTERVIEW
ツタロックフェス2019
2019.03.14UPDATE
音楽にはアーティストの出自や考え方、サウンド・スタイルなどで括られる数々の"ジャンル"がある。それらは日々変化と進化を繰り返すものであり、特に2010年代は、既存の言葉では括れない魅力を持ったアーティストやシーンが加速度的に生まれてきた。そんな独自の視点から新たなムーヴメントを起こそうという気概を感じるフェスも多く出てきたわけだが、中でもひと際大きな光を放っている"ツタロックフェス"の第2回目が、3月30日と31日の2日間にわたって開催されることになった。世代も活動内容もまったく異なるアーティストの音楽が1本の線で繋がり、訪れた人のライフを豊かに彩る時間。今回は1日目の出演者であるSiM よりMAH、凛として時雨よりピエール中野、そして山本彩の3人にその魅力を語ってもらった。
SiM:MAH(Vo)
凛として時雨:ピエール中野(Dr)
山本彩
インタビュアー:TAISHI IWAMI Photo by 上溝恭香
MAH、ピエール中野、山本彩――異色のメンツによる鼎談が実現。それぞれのフェス像が交差する瞬間に見える真価とは?
-今日はよろしくお願いします。
中野:不思議なメンツですね。山本さんはバンドマンと対談したことはあるんですか?
山本:初めてです。よろしくお願いします。
中野:SiMと凛として時雨も、かなり久しぶりなんですよ。意外と一緒になることがなくて。
MAH:前に一緒にやったのは12~3年前だよね。もはや誰も知らないかもしれない。俺の地元、神奈川の小さいライヴハウスで、箱のスタッフと一緒に共同で企画をやったときに、そこで呼ばせてもらって以来。
-山本さんは、お客としてのバンド・カルチャーやフェスの思い出はありますか? 10代のころからミュージシャン活動や芸能活動などで、あまり遊べなかったようにも思いますが。
山本:私は好きな音楽のルーツがバンドなんです。
中野:バンドやってたんですよね?
山本:はい。
-山本さんのルーツとなるバンドはなんですか?
山本:たくさんあるんですけど、すごくリスペクトしているのはELLEGARDENさんです。
中野:フェスはどういうところに行ってたんですか?
山本:いろいろ行ってました。小さなフェスやライヴハウスを回るサーキットとかにも。
中野:サーキットは、関西出身となると"MINAMI WHEEL"とか?
山本:はい、行ってました。
中野:山本彩が心斎橋を歩き回っていたと思うと、すごい。
-"FUJI ROCK FESTIVAL"が1997年、"RISING SUN ROCK FESTIVAL"が1999年に始まり、日本に"フェス"という概念が定着して20年。MAHさんとピエール中野さんのお客としてのフェス体験となると、いかがでしょう?
MAH:高校に入って"SUMMER SONIC"に行ったのが最初です。それまでは軽音楽部の先輩がやってるライヴくらいしか観たことがなかったんで、初めてプロのというか、自分で買ったチケットを握りしめて観に行った最初のライヴ。"俺もこんなところ出てぇな"って思いました。そのあとも、海外のアーティストが中心に出るフェスに行くことが多かったんで、国内アーティストだけのフェスは、"京都大作戦"に出たのが最初。今は自分でも"DEAD POP FESTiVAL"っていうフェスをやってるんですけど、まだ不思議な感じがあります。バンドを始めたばかりの人たちにも、自分と同じような影響を与えられたらいいなって、思います。
中野:最初に出たのが京都大作戦で、自分でフェスを立ち上げて。すごいよね。しかも"DEAD POP(FESTiVAL)"を始めたの、早かったよね?
MAH:スタートは渋谷clubasia。ライヴハウスのイベントからフェスになるのは時間がかかったけど、いろんな人に助けてもらってやってるから"俺らで全部やってるぜ"みたいな感覚はあまりないかなぁ。
中野:野外に移してから変わったことはあった? 規模も一気にデカくなるよね。
MAH:う~ん。お客さんのことを考えなきゃいけなくなった(笑)。
中野:それまでは箱の中だから、まず自分たちがカッコ良くあることと完成度の距離が近いけど、そうはいかないもんね。
MAH:そうだね。お客さんのケアとかも自分たちでしっかり考えなきゃいけない。カッコいいバンド集めて"はい、どうぞ"で盛り上がるわけじゃないし。朝どれだけ待たせないかとか、導線はどうとか。だからフェスに呼んでもらったときも"このセットいくらかかってんだろう"とか"ステージの予算〇〇くらいかな?"とか、そんなことばっか考えちゃう(笑)。でも、呼ぶ側の気持ちがわかるから、出るときはより力を入れてやれるようになったと思う。
中野:僕が初めて行ったフェスは"ROCK IN JAPAN"。そこでロックDJなる文化にも触れて、DJを始めるきっかけにもなりました。そのときのDJがこの"ツタロック"をやってる前田(博章)さん。ハウス~ヒップホップ、ロックやJ-POPとか、なんでもありでかけて、ちゃんとお客さんが盛り上がってた。クラブとDJだけではない、新しいカルチャーが生まれた瞬間に立ち会えたことは、印象に残ってます。ライヴだけではなく、トータルで夢のある空間だし、いつかバンドとしてそこに出てみたいなって思ったのは、MAH君と同じだと思いますし、山本さんもそうだと思うんです。
山本:そうですね。去年初めて"METROCK"に出られたことは、自分のキャリアにおいてすごく大きかったです。音楽を好きな方々が集まる場所ではあるんですけど、ベースはロックにあって、全然違うところから来た私がどう受け入れられるのか、最初はすごく不安で怖かった。でも、いざ出てみると私を観に来てくださった方も、そうでない方もたくさんいらっしゃって、私の音楽だけではないところで、いろんな方々が繋がっていく光景を演者として感じられたことは、すごく嬉しかったし、自身にも繋がりました。
MAH:山本さんがそれだけ本気だったから伝わったんじゃないかと思います。
中野:みんなわかるからね。
山本:自分のライヴで違うバンドのタオルが回ってるんです。すごく嬉しかったです。
-きっとお客さんにとっても演者にとっても、新しい扉がそこにあるのがフェスの魅力なのかなと。
中野:そうですね。ぶっちゃけ山本さんはNMB48の肩書きもあるし、ロック・フェスだと興味本位で観に来る人もいると思うんです。そこで本気じゃなかったら、つまらなかったから、みんなすぐに出ていっちゃう。結構シビアな世界。だから本当に"全員をなんとかしたい"って思うくらい、死ぬ気と言っても過言ではないくらい全力でぶつかってます。
MAH:俺らは会場に着いてから全体の雰囲気を感じて、そこで最終的にどんなライヴにするか考えるんです。あとは出演者の並びもあるんで、いろいろトータルでその日しかできないパフォーマンスをやりたい。
-フェスって現在軽く100を超える数がある。それについてはどう思いますか?
中野:ずっと続いてるフェスは変わらずいいブッキングを続けてるし、お客さんのストーリーもできあがってるから、出演者とか関係なく開催するなら行くって人の流れもあるし、入り口が身近でライトに通えるフェスがあったり、もっとマニアックなフェスがあったり、いろいろ選べる自由があるのはいいことだと、個人的には思います。あと、バンド主導のフェスは強いですよね。"京都大作戦"や"DEAD POP"もそう。主催の顔が見えるってことと、"なんとか成功させよう"という気概や出演者同士の連帯感が凄まじいですから。
-ライヴハウス・カルチャーとフェスの関係性が実感できます。
MAH:フェスもジャンルも細分化しすぎると入り口は狭まるから、なるべく多様化している方がいい。かと言って、なんでもありだとむしろ選びづらいし、そこにテーマがあることは大切だと思うんです。10-FEETが選んだ出演者が出る"京都大作戦"、"DEAD POP"だとそれが俺ら。主催者と出演者、お客さんとの信頼関係があるフェスは今後も残っていくと思います。ただ手あたり次第お客さんを集めたいだけのフェスは淘汰されていく。出る側としても、誘われたフェスのスケジュールが被っていて、どっち選ぶかって話で。そこには規模感なんて関係ない。
山本:フェスであるバンドのパフォーマンスに別のバンドが飛び入りで入ってくるの、すごく面白そうだなって思うんですよね。
MAH:俺らが山本さんのステージに出ていったら、絶対怒られるでしょ(笑)。
山本:ご本人たちが自発的にされてるからこそ生まれるライヴ感は、観てる側にとってもすごく貴重な体験なんです。
-まさに、テーマのあるフェスならではの出来事ですもんね。
MAH:"やってくれ"って頼まれることもありますけどね。その場合は断る人も多いと思います。
中野:"京都大作戦"で10-FEETがHi-STANDARDのカバーをやっているときに本人たちが入ってきたシーンとか有名ですけど、ああいうのはそうそう起きない。