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INTERVIEW

10-FEET

2017.11.02UPDATE

2017年11月号掲載

10-FEET

Member:TAKUMA(Vo/Gt) NAOKI(Ba/Vo) KOUICHI(Dr/Cho)

Interviewer:荒金 良介

-2000年末に3人で上京したころはどんな生活でした?

TAKUMA:お金がなくて、友達もいなかったですからね。

KOUICHI:死ぬかと思いました(笑)。

NAOKI:上京後に1stアルバム『springman』を出して、それから徐々に変化していったけど、それまでは(お客さんが)スカスカでしたからね。

-3人の共同生活は楽しかったですか?

TAKUMA:大変やったり、イライラしたこともあったけど、俺はすごく楽しかったですね。部屋でゲームし放題でした(笑)。あと、バンドをやるために来たんや、という気持ちを常に感じてましたね。曲作り、ゲーム、パチンコの毎日でした。しんどかったけど、充実してましたね。

-一番しんどかったことは?

TAKUMA:京都にいた彼女に会えなかったことですね。普通の生活をしてたら、どうしても京都に帰れないから。朝からパチンコ屋に並んで、勝ったら新幹線の切符を買って、会いに帰ってました(笑)。

-KOUICHIさんは?

KOUICHI:音楽をやるために上京したから、つらいことがあっても、これは音楽のためやと思って、頑張っていた記憶はあります。バイトもそうですけどね。警備員とかいろいろやってました。あと、TAKUMAと一緒にスロットに行ってましたね。ふたりやったら負ける気がしなかったんで。大勝ちするときもあれば、大負けするときもありましたけどね。

-では、NAOKI君は?

NAOKI:毎日何かが起きていたから、しんどいなぁと噛みしめる瞬間もあまりなかったですね。音楽メインで上京しましたから。僕は派遣のバイトをしてました、引っ越し屋とか。

-トータル2年の上京生活は短い気もしますが、バンド的に限界が来たんですか?

TAKUMA:家賃の更新です(笑)!

NAOKI:いいきっかけやったな。

TAKUMA:レコーディングとツアーでずっと家にいなかったんですよ。月2日しか帰ってないときもあったし、どこに住んでも一緒やな、なんなら札幌や沖縄でも一緒やろって(笑)。


僕らは自分たちができることを探すしかないと思ってました


-上京中、2枚のシングル『april fool』、『May I Help You?』(2001年リリースの2ndシングル)を経て、1stアルバム『springman』を完成させましたが、あのときに音楽性は激変しましたよね?

TAKUMA:意識はかなり変わりましたね。自分たちの曲を持って、ライヴで何をしなきゃいけないかがより濃く見えてきて。なんとなくやっていたことの中に正解がいくつもあって、今度はそれを頭で考えて、自覚を持ってやれるようになったのかなと思います。すごいバンドがたくさんいるなかで、自分たちがやりたいことをドリップして、あのアルバムができたから。それまで日本語をやろうという発想もなくて、洋楽やミクスチャー要素が入ったメロコアをやろうと思っていたけど、そのジャンルの概念もなくなったんですよ。ライヴハウスという場で何をすべきか、何をやったら面白いかだけを考えました。で、気がついたら、曲の枠組みがなくなって、作り方が根本的に変わったんですよ。その延長線上に『RIVER』、『nil?』(2003年リリースの4thシングル)と続いて、毎回ちょっと先のことができるかもしれない。それを繰り返してきた結果ですね。『springman』を作れたのは出会ってきたバンドたちのおかげかなと。その人たちのマネをするわけじゃなく、個性のあるバンドが多かったから、自分の個性を考えてやるようになりましたからね。

-最初はHi-STANDARDに憧れて、英語詞のメロコアを鳴らしてましたが、そこからのシフト・チェンジが早かったなと。

TAKUMA:ハイスタ(Hi-STANDARD)はめちゃくちゃ好きだったし、コピーしていたけど、自分が曲を出す立場になると......ハイスタは自分たちにできること、やるべきことを追求した結果、ああいう音楽になってるから、ハイスタみたいな存在を目指すなら、自分たちなりの個性、自分たちができることを考えないといけないと思ったときに、何かがバン! と取れたんですよ。

-その気づきが早いですよね。

TAKUMA:じーっと見てましたから(笑)。なんでこんなにすごいんやろって。音楽に耳がいきがちやけど、ハイスタや"PIZZA OF DEATH"(※Hi-STANDARDの所属先且つ、ギターの横山 健が代表を務めているインディーズ・レーベル)に所属するほかのバンドは1本筋が通った頑固親父みたいな人たちばかりだったから。どんなバンドと対バンしても、ほんとに僕らは3人は世間と比べると公認で一番ヘタだったんですよ。

-公認レベルですか(笑)。

TAKUMA:そういう自覚をずっと持ってたし、いまもちょっとしたコンプレックスは残ってますね。誰とやっても、勝てへんなって。そういうバンドがハイスタみたいな音楽を目指したら、一番下になると思ったんですよ。自分たちができることをハイスタみたいに研究しないと、たちまち消えるなと。

-それで10-FEETらしいミクスチャー・サウンドを鳴らそうと。

TAKUMA:まだ"らしさ"みたいな概念もなかったけど、メンバー3人でやれることを並べて、なるべくほかにない形の音楽を作ろうと考えてました。