COLUMN
NoGoD 団長のあなたの知らない激ロックな名盤紹介 第23回
ワシントンD.C.と言えばハードコア。
パンク/ハードコアファンなら誰もが言うこの言葉の意味を激ロッカー諸君はご存じだろうか?
全てはこの男から始まった。
The Argument / Fugazi
D.C.ハードコア界の最重要人物イアン・マッケイ。
パンク/ハードコアの中心がNYだった70年代後半、イアン・マッケイは80年に D.C. にてMinor Threatを結成。ロック全体が「セックス・ドラッグ・ロックンロール」だった時代、その全てに中指を立て「ノードラッグ・ノーアルコール・ノーカジュアルセックス」を掲げた「ストレートエッヂ」という思想で活動。何より徹底したインディーズ主義とDIY思想が多くの支持を産み出している。
自身でDischord Recordsを設立し、D.C.のバンドのみを取り扱い、地域のパンク/ハードコアシーンの活性化に努めた。会場も公共の設備を使うなどしてチケット代の安価を目指し、物販等も行わない。商業主義音楽を徹底的に排除した。
実際、D.C,ハードコア界隈の盛り上がりを聞きつけた大手レコードレーベルが大金を持ってオファーに来る事も多かったそうだが、彼はその全てを断っていた。
"新しいアイデア、新しいアプローチというものは2000人の前では起こらない。そういうのは20人~25人が目撃するものなんだ"
- イアン・マッケイ-
新しいものを求めて彼が87年に始めたバンドがFugaziだ。
勢いと轟音、そして絶叫がハードコアの音楽的特徴だとするならば、彼のハードコアとは思想だったり精神論なのだ。
より表現方法を高める為、Fugaziでは非常に音楽的探求が行われた。
89年「13 Songs」ではハードコアをよりオルタナティヴな方向で表現。
90年「Repeater」ではハードコアの進化「ポスト・ハードコア」確立。
98年「End Hits」辺りではもう特定のジャンルで括る事は不可能になり、この最終作では遂に「Fugazi」というジャンルに昇華したのである。
彼が生み出した精神や表現は多くのアーティストに受け継がれている。
80年代D.C.ハードコアに迫ったドキュメンタリー映画「SALAD DAYS」を観てもらえばそれは一目瞭然だ。eastern youthの吉野寿氏や、ex. NirvanaでFoo Fightersのデイブ・グロール等、数多くのアーティストがコメント出演している。
音楽が不要不急だと言われ早1年以上。大型フェスは中止が相次ぎ、アーティストも音楽ファンも耐え忍ぶ時期が続いている。だがしかし、表現の場所は自ら作り出せば良いとイアンは身をもって示してくれている。フェスだろうがライブハウスだろうがネット配信だろうが、表現を諦めない事に意味があるのではないかと筆者は思っている。
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