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INTERVIEW

AA= × BALZAC

2019.08.01UPDATE

2019年08月号掲載

AA= × BALZAC

AA=:上田 剛士(Ba/Vo/Prog)
BALZAC:HIROSUKE(Vo)
インタビュアー:吉羽 さおり

-上田さんはそのときのBALZACのライヴの印象はありましたか。

上田:初期のころのBALZACだから、熱い、激しいパンク・バンドという感じでした。一緒に出てたのが、HELLCHILDだったかな。

HIROSUKE:そうです。そのHELLCHILDの人が紹介してくれたんですよね。

上田:だから、ハードコアなイベントだったのは覚えてる。

-そこからずっと親交があったんですか。

HIROSUKE:僕がその直角に腰を曲げて"聴いてください"って音源を渡してから、半年くらい経ったころに、当時のMAD(THE MAD CAPSULE MARKETS)のマネージャーさんから連絡があったんです。"今度MADが大阪でライヴをやるんだけど。剛士がBALZACに出てほしいって言ってるんだけど、出ない?"っていう連絡で。2デイズでやるから、どちらか好きな方でってマネージャーさんが言ったんです。そのときにちょうどマネージャーさんの後ろに剛士さんがおられたみたいで、"2日とも出てもらえよ"って言ってくださったんですよね。"もちろん、出ます"っていう。

上田:わがままだよね。その場でノーとは言えない感じにしているっていう(笑)。

HIROSUKE:まさかノーとは言わないですよ! それで2デイズ一緒にやらせてもらって、打ち上げにも行って。そこからスタートしたという感じなんです。

上田:そのあと、一緒にツアーを回ったこともあるしね。

HIROSUKE:MADのアルバム『OSC-DIS』(1999年リリース)のツアーですね。

上田:アルバム『OSC-DIS』ではHIROSUKEにもコーラスで参加してもらっているんですよ。

-すごく長いお付き合いになっているんですね。

HIROSUKE:もう23年ですからね。長ぇなという(笑)。

-HIROSUKEさんは上田さんをアーティストとしてどういうところでリスペクトしているんですか。

HIROSUKE:昔の話ばかりになって申し訳ないんですけど、すごい尖っていたので──ってもちろん今でも尖ってますけど。

上田:いやいやいや。

HIROSUKE:(笑)パンク・ロックが好きで、そこから剛士さんのことや、剛士さんがやっているバンドのことを知ったのが最初だったんです。若いころはいろんなものを聴いて、いろんなものから刺激を受けるんですけど、特にMADに関しては、僕は熱狂的なファンでしたね。すべてにおいてかっこいいと思っていたんです。曲も歌詞も、やり方もそうですしね。僕の中ではパンク・バンドの活動のやり方の理想形がTHE MAD CAPSULE MARKETSというバンドで。僕らはずっとインディーズですけど、剛士さんはメジャー・シーンで活動していて。メジャーでもこういうかっこいいことをやれるんだっていうのを、見せてくれたバンドだと思うんですよね。

-かなり影響を受けているんですね。

HIROSUKE:バリバリ影響受けてますね。でもファンはファンなんですけど、自分がやっていることを剛士さんに見てもらいたい、聴いてもらいたい、知ってもらいたいっていう、僕自身はそっちの欲求がどんどん大きくなったので。自分がやっていることに対して剛士さんがすごく興味を持ってくださったことが、とにかく嬉しかったんですよね。

上田:BALZACの一番の面白さは、すべてにおいて徹底しているところですよね。ちゃんとパッケージ化されているというか。自分たちのスタイルを貫いて進んでいるバンドっていうのは、すごくいい。彼ら全員、生き方からそういうやつなので。だから、俺もすごく尊敬しているんですよ。仲間として、すごいやつらだなと思うし。音に関しても、進化をしていて挑戦し続けている。おざなりのパンク・バンドじゃないというかね。常に仕掛けてくる感じがある。だから、毎回楽しみなんです。いつも作っているものを、ちょっと先に聴かせてくれたりするんですけど、それが楽しみで。

HIROSUKE:相談しているんですよ。"今度こんな曲やるんですけど、どうですかね"って(笑)。実はちょっとアドバイスを貰ったりもしています。

上田:まぁでも、感想を言う程度だけどね。

-BALZACの2009年リリースのミニ・アルバム『Paradox』は上田さんがプロデュースを手掛けていましたが、あの作品はどういう経緯からだったんですか。

HIROSUKE:剛士さんに自分の作品を手掛けてもらいたい、協力してもらいたいというのは昔からあったんです。ただ僕らは、誰かにプロデュースをしてもらってやるようなバンドではないというか。プロデューサーをつけてやることの良さもあると思うんですけど、僕らはそれを経験したことがなかったし、自分でやることが当たり前で、そういうふうにやっていたんです。そんなとき、ちょうどAA=がスタートする前だったと思うんですけど、剛士さんがずっと表に出ていない時期だったので、これはいいタイミングだと思って。みんなで"今しかない"って思い切って話したんです。それで剛士さんに、ちょっと手伝ってくれません? という話をしたら、"いいよー"みたいな感じで。

上田:自分もプロデューサーを立ててやったことがないから、プロデューサーっていうのがどういうものかわからないんです。そういう意味では、一応名目上は"プロデューサー"となっているけど、本当にお手伝いというか、一緒にワイワイと楽しく参加させてもらったということでしたけどね。ただ、バンドではずっとプロデュースをしていたから、バンドの人たちの気持ちはわかるので。そこは外部で関わるからこそ大事にするところというか。何よりも彼らが中心で、彼らが決めることが重要だというのはありました。


剛士さんの作品は、前に進みながら深くなっている。それが本当にすごい(HIROSUKE)


-BALZACとしてはその作品のときはどんなスタンスで臨んでいたのでしょうか。委ねようというくらいの気持ちもあったんですか。

HIROSUKE:自分たちの楽曲は打ち込みの曲も多いんですけど、ミニ・アルバム1枚、全曲をそういう曲にしようという話になったときに、まさに剛士さんにやってもらいたいなというのがあったんです。それまで剛士さんが作ってこられた技術や音とかも含めて、どうやったらこんな音が鳴っているのか、どうやったらこんなリズムが鳴るのかという話を全部聞いてしまおうと思ってましたね。しかも聞けば聞くだけ、隠すことなく教えてくれるんですよ。"あのときはこうやってやったんだよ"とか"確かこのエフェクターを使ったんだよ"とか、すべてさらけ出してくれるんです。

-すごいですね。

HIROSUKE:僕たちも打ち込みの曲はやっているんですけど、それは剛士さんからの影響がかなり大きいんです。だからどういうことをやりたいかは、きっと一番わかってくださっていると思っていたので。リズム・トラックなんかは、剛士さんにガッツリと作ってもらったりしました。本当に一緒に作ってもらった感じでしたね。

-AA=となっての作品は、HIROSUKEさんはどう捉えていますか。

HIROSUKE:剛士さんがやられることは、なんでもかっこいいと思っているんですけど(笑)。MADでやっていたときよりも、確実に次に進んでいるというか。もちろん1stアルバム(2009年リリースの『#1』)のころからもそうですけど、最新アルバムも含めて、前に進みながら深くなっているんですよね。それが本当にすごいというか。毎回、作品を聴かせてもらって感動しますね。

-お互いに共通点っていうのは何かあるんですか。

上田:基本的に好きなことは似てるよね。

HIROSUKE:でもそれはたぶん、僕が剛士さんから影響を受けているからかもしれないですね(笑)。

上田:(笑)好きな音とかは似ていると思います。あとは酒を飲まないとか。

-それは意外ですね。

上田:ふたりでいても、お酒は飲まずにお茶を飲んでいる感じです(笑)。