MENU バンドTシャツ

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

上田剛士(AA=)

2023.03.23UPDATE

2023年03月号掲載

上田剛士(AA=)

Member:上田 剛士(Ba/Vo/Prog)

Interviewer:吉羽 さおり

THE MAD CAPSULE MARKETSで先鋭的なヘヴィ/エクストリーム・ミュージックで世界へと飛び出し、またAA=として自らの音楽性、クリエイションを追求する他、自身名義でプロデュースやミックスワークを手掛ける上田剛士。2021年にはメジャー・デビュー30周年を迎えた彼が、自身の音楽的ルーツを振り返り制作されたのが、キャリア初となるカバー・アルバム『TEENAGE DREAMS』だ。タイトル通り、10代に影響を受けた80年代のパンク、ニュー・ウェーヴのバンド/アーティストの曲が並ぶが、それを、ルーツを昇華し独自で進化を遂げた上田ならではのサウンドで返答/カバーするという内容になっている。それぞれへの深いリスペクトと、音楽を通じて培ってきたスピリットが窺えるアルバムだ。

-今回の『TEENAGE DREAMS』は、上田さんのキャリア初のカバー・アルバムとなりますが、なぜこのタイミングでカバー・アルバムをとなったのでしょうか。

もともとは、2021年に自分のデビュー30周年があったんですけど、そのときに何か変わったものをというか、普段とは違うものをやらないかという案がいろいろと出た中のひとつだったんです。なんですけど、コロナ禍とかいろんなことがあって、自分がまた違う作品を作りたかったりもしたので後回しになっていたんです。

-ではコロナ禍でリリースした『story of Suite #19』(2022年のコンセプチュアル・アルバム)の制作以前からあったお話だったんですね。

それでなんとなくは作ったりはして、だらだらとやっていたんですけど(笑)。やっと曲が溜まってきたので。

-いざカバー・アルバムを作るとなって、改めて自分のレコード棚を漁るような時間も多かったですか。

そうですね。でも自分がすごく好きだったのは限られていたので、逆にその中からどの曲をやるかという感じでしたね。とりあえず作ってみようと、どんどん録っていったのが溜まっていって。これはアルバムという形にしても良さそうだねという。わりとそうやってふわっとした感じで続けていたんですけど、作っているのがすごく楽しかったんですよね。

-特に10代の頃に聴いて影響を受けた曲ということでは、曲を聴くことで引っ張られてくる当時の記憶もいろいろとありそうですね。

それもあるんですけど、もともと自分がコピーや、コピー・バンドをほとんどしてこなかったので。今回カバーをすることで、一個一個コードやフレーズを分解してみたり、ここはこうなっているのねという作業自体がすごく面白かったんです。初めてコピーしてみて、あぁ、楽しいなっていう。

-音楽を始めるときに、まずはコピーから始めるというのが多いと思うんですが、そういうことはしていなかったんですね。

あまりしてないんです。ベースでも、そういうのをあまりやったことがなくて。

-このアルバムでは、洋楽/邦楽いろんなバンドがいますが、上田さんにとって最初の衝撃となったバンドというとどのあたりですか。

たぶん、ロック・バンドで最初に好きになったということでは(忌野)清志郎さん、RCサクセションになると思うんですけど。それ以前、小学生くらいにはYMO(YELLOW MAGIC ORCHESTRA)の存在があって、その流れでRCサクセションも好きになった感じでしたね。「い・け・な・いルージュマジック」(1982年リリースの忌野清志郎と坂本龍一のコラボレーション・シングル表題曲)とか、あの流れで清志郎さんを知って好きになったんですよね。そういうところから段々とバンド的なものが好きになって。最終的にすごく好きになったのはTHE STALIN。THE STALINが、いわゆる日本のパンク・ロックを好きになった真ん中にある感じですね。

-RCサクセションの話が出たので選曲についてもおうかがいしますが、数ある名曲の中で「ダーリン・ミシン」を選んだのは。

これは他の曲も含めてですが、単に好きだからというのが大きいんですけど(笑)。その中でも、最初に「い・け・な・いルージュマジック」で忌野清志郎という人を知って、それから清志郎さんがRCサクセションというバンドをやっているらしいという情報を自分なりに得て。最初に手に入れたのがアルバム『PLEASE』なんです。

-「トランジスタ・ラジオ」なども収録されているアルバムですね。

その1曲目が「ダーリン・ミシン」で。これが一番自分の中で相応しいかなという。「トランジスタ・ラジオ」でもなく。

-1曲目は必ず聴きますしね。

そうですね。曲でその世界に引き込まれて――特に10代という年齢で、すごく引き込まれたのが1曲目の感じだったんですよね。

-RCサクセションの『PLEASE』は、最初に自分で買ったアルバムという感じですか。

最初に買ったのはYMOの1stアルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』ですね。シングルだともっと前にいろいろあって、「テクノポリス」や「ライディーン」、今回カバーをした「TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE!)」もシングルで持っていた曲でしたね。

-YMOのカバーとして「TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE!)」を選ぶというのが、ベーシストっぽいなというのは思いました。

そうですね、それが理由でした。YMOは以前、THE MAD CAPSULE MARKETSのときに「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のカバーをやっているので、他の曲でやるのもありかなと。「RADIO JUNK」とか歌ありのものでやってもいいかなと思ったんだけど、「RADIO JUNK」はシーナ&ザ・ロケッツがカバーをしていて。今回はシナロケ(シーナ&ザ・ロケッツ)もカバーするしというのでごちゃつくかなと。そのなかで、これやったら変だし、このベースを自分のベースの音で弾いてみたいとなったのが「TIGHTEN UP」だったんです。もともとはARCHIE BELL & THE DRELLSの曲なので、カバーのカバーになってしまいますけど、YMOの「TIGHTEN UP (JAPANESE GENTLEMEN STAND UP PLEASE!)」が、YMOらしいコミカルさやシニカルさを出していると思うので。そういう意味でも、YMOの括りでこれをやるのはいいだろうなというのはありました。

-ベース・ラインは実際にやってみて、これは大変だぞというのはあったんですか。

この曲に関してはカバーする以前から、こんな感じだよねっていうのはやっていたんですけどね(笑)。ちょっと弾きたくなる感じがあるんですよ。

-そしてそれを上田さんの歪みのベースでプレイするとまた全然違う感触になりますね。

細野(晴臣)さんは全部指で弾いているんですけど、自分の場合はピック弾きなので。そういう意味でもニュアンスが全然変わってきたりするので、あえてそれでやろうというのはありました。

-先ほど、THE STALINがご自身の日本のパンク・ロックの真ん中にあるというお話で、今回「STOP JAP」と、あとは遠藤ミチロウさんの「仰げば尊し」をカバーしていますが、あぶらだこも2曲「PARANOIA」と「象の背」が収録となりました。

あぶらだこが2曲になったのは、ひとつは好きだからというのがあるんですが(笑)。「象の背」は音源になったりはしていないんですけど、過去に自分が数少ないカバーをしている曲でもあるんです。そういう意味ではこれはやろうかなと思いつつも、でも他のもやりたいしなというので、絞りきれずに2曲になったという。

-並んだ曲を見ていくと、骨太なパンク・ロックから、憂いの中にポップ性のあるメロディ・ラインがある曲であったり、また先鋭的で、実験精神のある曲だったりがあって、上田さんの音楽はこういったもので作られているんだなというのが窺い知れる内容でもありますね。

そうかもしれないですね。自分のベースになっているものが、あまり変わらないなという気はしました。特にパンク、ポストパンク、ニュー・ウェーヴといったものは、自分が10代の頃、いろいろなものを吸収する時期に一番盛んだったものなので。そこの影響は強いかなというのは思います。

-10代を過ごした80年代というと、メジャーなシーンにもたくさんのバンドやアーティストがいて、特に華やかさもあった時代だと思いますが、ここに挙がっているのはどちらかというとアンダーグラウンドなシーンのバンドが多いですね。そういったものに惹かれるというのもあったのでしょうか。

THE STALINとかは別の意味でテレビに出たりはしてましたけどね(笑)。でも、いわゆる音楽的にメジャーみたいなものよりも、こういったアンダーグラウンドなものに魅力を感じていましたね。やっぱり曲がかっこいいんですよね。今聴いてもかっこいい。今回はカバーということで、自分らしい感じにしていますけど、ぜひ原曲を聴き直してほしいなと思うくらい。中にはサブスクにはないものもあると思うんですけど。LIZARDとかもそうですが、今聴いてもまったく遜色ないというか、そういうものがたくさんあるんですよね。

-そういうアンダーグラウンドなバンドを知っていくということでは、10代の頃は周りも音楽好きな人が多かったんですか。

同じ学校ではいなかったんですけど、他の学校の連中で音楽好きなやつらが集まっている、みたいな場があって。そこでみんなコピー・バンドをやっていたりしたんです。なので、オリジナルのバンドのライヴは観たことがないけど、友達のコピー・バンドで観ているというのはあったんですよね(笑)。

-バンドをやる子たちがたくさんいたなかで、上田さんはコピーやコピー・バンドやっていなかったんですね。

その頃はまだ観に行っていただけで、バンドをやってなかったんです。

-自分もやろうという1歩目はなんだったんですか。

ギターは持っていたんですよね。ただ、自分がいた学校にはそこにいるやつがいなくて。初めて誘われたのが、今AA=でも一緒にやっている児島 実のバンドで。ベースがいないからと誘われたんです。じゃあやるよということでやったんだけど、そのときには彼らはすでにオリジナル曲を作り始めていたので、結局、自分的には言われるがままというか。そういうことでは初めからコピーをする機会もなかったんですよね。

-ちなみになぜベースだったんですか。

ギターは最初買ったけど、弾けなかったので。

-ならば少し弦の少ない楽器を選ぼうと(笑)。

そうそうそう。なんとなく、ネックが長くてかっこいいし、SID VICIOUSはベーシストだしっていう。で、ギターを売ってベースを買ったんです。