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INTERVIEW

The BONEZ

2013.12.11UPDATE

2013年12月号掲載

The BONEZ

Member:JESSE (Vo/Gt) T$UYO$HI (Ba)

Interviewer:ムラオカ

-もともとJESSEさんのソロ・プロジェクトであるJESSE and The BONEZとして活動を開始していますが、このプロジェクトが始まったきっかけを教えてください。

JESSE(以下J):俺はRIZEのフロントマンとして、2000年から2005年ぐらいまでの間は、"なりたい自分"にばっかりなろうとしてて。17年もバンドをやってると、自分が何が得意でどういうヤツで、どういうヤツがRIZEのヴォーカルをやってるのか、自分で分からなくなってしまって。本当の素の"自分"ってなんだろうって思った時に、自分1人でヒップホップで、ビート作ってラップして曲を作ってみようって48曲作ったんです。ヒップホップも本気でやってるヴォーカルってバンドマンのなかであまりいないじゃないですか。そこを俺は意識し過ぎてて、RIZEを脱いだ時に俺はB-BOYなんだって思ってたんだけど、それを見直してみたらそれも違ってて。"じゃあ俺って何なんだろう?"って思ってアルバム1枚ソロで作ってみることにしました。ヒップホップのトラックだったんですけど、getstageってサイトで11曲アカペラとインストをアップして。誰もが参加できて、俺のインストに乗っけて、俺より面白いフロウや歌を乗っけた人はアルバムにそれを採用、もしくは俺のアカペラを使って全然違うリミックスをしてきて、そのビートが俺よりかっこよかったらそれをアルバムに採用しようとしてたんです。応募してきた53名中、52名がヒップホップで応募してきたんだけど、前のギターのZUZU1人だけが全曲バンド・ヴァージョンのアレンジをしてきたんです。ずっと俺はバンドでやりたかったんですよ。でもあえてヒップホップのトラックをあげて、俺はもう自分でここまで作っちゃったから変えられないけど"誰かこれを全く違うものに変えてくれるヤツいないかな?"って思ってたら、ZUZUが全く違うものに変えてきて。それでZUZUと話をしたら"ヒップホップもいいけど、俺はJESSEにバンドで音を出してほしいんだよ"って言ってきて、"おぉ、見つけた!"って思って。そこからグランプリをゲットしたZUZUと作り上げたのが1枚目のアルバムなんです。宅録で作ったアルバムだから、アルバムができた時にバンドで音合わせてみたくて。でも、ただベースが弾けるヤツとか、ただドラムが叩けるヤツじゃなくて、やっぱりこっちもワクワクしたくて。
その頃RIZEのツアーとP.T.Pのツアーが同時期に始まる予定だったんだけど、P.T.Pがツアーをキャンセルして、T$UYO$HIから"メンバーから言ってもダメだからJESSEからKに電話してもらえない?"って連絡が来て。でも俺が電話してもダメで。そんなT$UYO$HIの声が本当に暗くて。格闘家が試合前にパンプアップして、汗かいてミット打ちして、体を作って、そんな人がいきなり"今日の試合なくなりました"って言われたような悲しい声に聞こえて。俺からT$UYO$HI に"ぜひやってほしい"って電話して誘って。その時"リハビリ"って言葉を使ったんだけど、それは俺らに対しての言葉だったの。未来は全くなく、あくまで企画だったんです。継続したバンドではないけど、今なら俺たちで音を出せば、何かしらの心が成り立つんじゃないかなと思って。で、ZAXにも電話したらいいよって言ってくれて。俺らがやってるのをKには連絡しないで風の噂で届けて、"俺の大好きなT$UYO$HI君と、ZAXと、JESSEがやってるだと!?くやしい!何でだよ!"って思わせたかった面もあるんですよね。それで"早く家から出て来いよ"って言いたかったんです。だけどなぜかアイツが12月30日に死んで、俺らポカーンとしちゃって。"バンドなくっちゃったよ""バンドあるよ、ここに"って。

T$UYO$HI(以下T):ははは(笑)。

J:あまりにもこの流れがスムーズすぎて自分たちが戸惑ったんですよね。アイツが亡くなってから作ったバンドじゃなく、狙ってやってるわけじゃないから。だからやっていいのか、やっちゃいけないのかっていうのも分からなくて、俺ら次第になっちゃったねって。

T:誘われた時に、俺とZAXとPABLOは10月にP.T.Pのツアーがなくなって、そこからスケジュールがゼロになったわけですよ。岡山に住んでたZUZUも、レコーディングが終わって岡山に帰る予定だったのが1日ずれて"1日時間があるんだけどそこでスタジオ入ってみない?"ってなって4曲送ってもらって。それこそP.T.Pがツアーをキャンセルした日に俺がJESSEに電話して、メンバーが言うのと外部の人間が言うのとでは違うからKへの電話をJESSEに頼んで。俺が前にやってたDRUG STORE COWBOYとRIZEが同期で、JESSEとは知り合って10年ぐらい。会えば"おう!"って話したり、家に遊びに行ったりとか、俺はRIZEのポイントポイントのライヴで顔出してたけど、実はあんまり電話はしたこととかなくて。俺がJESSEにかけたことも3回ぐらいしかないし、JESSEからもかかってきたことほとんどないし、かかってきたのも"今どこどこの地方にいるんだけど、RADIALの服売ってる店なかったっけ?"って電話と(笑)、あと今回のツアー・キャンセルを発表したあとの誘いの電話と、本当に3回ぐらいしかないんですよね。で、次の日に速攻4曲ぐらい送られてきて、やることなくて明日から何したらいいんだろうって状態だったから、すぐ4曲コピーして。やっぱりみんな、俺もそうだけど、やるべきこと、興味があることが何もないって1番つらいと思うんですよ。どんどんやっていくことに刺激が麻痺していっちゃうけど、やりたいことも毎日特にないって1番つまらないし、これから先どうしようって考えつつだけど、やることができたから、精神的には楽になったし。で、1月11日にJESSEがソロ・ライヴをやるって決まってて、それをやろうっていう時にKが往ってしまったから。

J:そう、すごいタイミングだったんですよ。1月10日がKが亡くなったのをP.T.Pが報告した日で、翌日11日がSHELTERでのワンマンの日で。俺インフルエンザにかかってて、ワンマンのリハも3回ぐらいしかできなくて。やる?やらない?やれない?どうする?って状況で。でもみんなとにかくやるはやるけどどういう感じだろう?ってのがずっとあって。Kが亡くなる前はとにかく1月11日を目標にしていて、そこまでの話だった。ライヴが終わって、打ち上げやって。いろんな仲間が来てくれて、酒ガンガン飲んで、そこでZAXに"もうお前背負うなよ、背負わんでええから!"って泣きながら言われて。背負ってるつもりはなかったけど。やっぱ俺の相棒だったからKは。親友を超えた同士というか、音楽やってなくてもバイク2ケツしてたような仲だったと思うから。背負ってるつもりはなかったけど、ZAXが泣きながら言った"背負わんでええから"がスパーンと来て。"うわ......これバンドだ"って思ったんです。その時ZAXから"ありがとうな"とか"今後も何かあったらよろしくな"とかだったら、きっとJESSE and The BONEZのままだったと思います。でもすごい勢いで"お前よぉ!"って来たから。あいつピュアだからさ(笑)。それで"あ、こんな会話ができるヤツとバンド組みたい!"って思って。"The BONEZになりたい"が1月11日から俺の夢になったんですよ。本当はその日だけで、その先何も見えなかったはずが、その日の打ち上げでのみんなとの絡みで、JESSE and The BONEZがThe BONEZに変わる日が待ち遠しくなっちゃったんです。で、そこからはKのことにP.T.Pファミリーがすごく時間を費やしたわけで、その間どうするかとか何も考えてなかったし、みんなと近くにいて肩組み合ってサポートし合っていって......きっとThe BONEZに変わった瞬間は、その延長なのかなって。すごいナチュラルにThe BONEZになったと思うし。

T:全てがびっくりするぐらい自然な流れで。そこまで深く考えてもないっていうか。どんどんそうなっていった。

J:だから2人が入ったこともキッズからしてみたら、SLAM DUNK(スラムダンク)の彦一じゃないけど"うおぉ、何やこれ!要チェックや!"って感じだろうけど(笑)、本当になんのプランもなかったんですよ。

T:バンドマンでもNAKAの加入に"お前それどういうこと?"って言ってくるヤツもいたんですよ。"それって戦略的なの?"って。