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LIVE REPORT

DIR EN GREY

2023.11.21 @Zepp Haneda(TOKYO)

Writer : オザキケイト Photographer:尾形隆夫

1997年の結成以降、"痛み"を様々な角度から表現してきたDIR EN GREYが昨年リリースした約4年ぶりのアルバム『PHALARIS』は、"通算11作品目にして、最も重く、暗い最新アルバム"と評されている。誰も真似することのできないそのスタイルは唯一無二と呼ぶに相応しく、結果国内外にかかわらず多くの支持を集め、今日における絶対的なポジションを築いたと言える。古代ギリシアのアクロポリスにおいて神殿建設を委ねられ君主へと成り上がった野望家であり、残忍な処刑器具"ファラリスの雄牛"を作らせた悪名高い人物の名を冠したアルバムで彼らはどんな"痛み"を表現しようとしたのか。本稿では11月21日にZepp Haneda(TOKYO)にて行われた"TOUR23 PHALARIS FINAL -The scent of a peaceful death-"の東京2日目の模様をお届けする。

暗転すると紗幕にファラリスの雄牛や虫、目隠しの少女といった『PHALARIS』の世界観を表現するようなアートワークが投影されるなか、ゆっくりとメンバーがステージイン。ライヴは「御伽」で幕を開け、紗幕の向こうで演奏するメンバーのシルエットが大きく映し出される。薫(Gt)のヘヴィなリフに導かれ始まった「咀嚼」で紗幕が落ち、ついに姿を現したDIR EN GREYの5人に対し大きな歓声が上がった。

ここからギアを上げるかのごとく「落ちた事のある空」をドロップ。"どうにでもなれ 狂った世界"と吐き捨て、"お前ら、生きてんのか!"と京(Vo)がオーディエンスに問い掛けながらマイクで何度も胸を叩く。すると、フロアからはそれに応えるように地鳴りのような声が巻き起こり、自らの存在を証明してみせる。

そんな耳をつんざくようなオーディエンスの声を諌めたのは幻想的なレーザーに照らされるなか始まった「響」だった。Die(Gt)の悲しげなアルペジオに乗せ、京が"産まれる喜びとは何でしょう?"と問う。Shinya(Dr)のブラストビートが炸裂した「The Perfume of Sins」を挟んで演奏された約10分のプログレッシヴな大作「Schadenfreude」ではToshiya(Ba)が"行けども地獄か"と吼える。

――ただ生きてるだけで何が悪い

と悲痛な叫び声を上げ、曲が終わってもなおステージの中央で声にならない声で唸り続ける京はもはやヒトの形をした獣のよう。そのあとの「朧」で泣き喚くように許しを乞うその姿に胸を打たれたし、続く「The World of Mercy」ではこれぞDIR EN GREYと呼ぶべきさらなる絶望を描いてみせた。こうして彼らはいつの時代も生きていく中で生まれる"痛み"や"傷"を自らで抉り、その痛みと向き合い続けているのだ。

しかし、その痛みや絶望に対する"救い"や"希望"を提示するのもDIR EN GREYである。「輪郭」で魂を浄化させるような美しい旋律を響かせれば、「13」では"誰もが強い訳じゃない/そうだろ?"と我々に寄り添い、さらには"必要とされることが生きてるすべてだろ!"と言葉を突き刺す。彼らは "痛み"と隣り合わせにある"生"と"死"に関しても、その感情を包み隠さずに曝け出すのだ。

ここからライヴは終盤戦。ラストスパートと言わんばかりに「盲愛に処す」で再びライヴのボルテージを上げにかかると、ToshiyaとShinyaはリズム隊として強靭なビートでバンドの土台を支え、薫とDieは変幻自在のフレーズで、京はトリッキーな歌い回しで楽曲の表情をくるくると変えていく。そして、"かかってこい!!"と勢い良く始まったハードコア・ナンバー「Downfall」で生きることへのひとつの答えを見いだす。

――お前らもDIR EN GREYの一部だろうが!!

京が叫ぶとオーディエンスからはこの日一番の歓声が起こる。そう、必要とされることが生きているすべてであるならば、今この瞬間にDIR EN GREYはオーディエンスを求め、オーディエンスもまたDIR EN GREYを求めていることは疑いようのない事実であり、つまり彼らにとってこの瞬間こそがきっと"生きる"ということなのだ。ようやくライヴでこれまでのように声を出せるようになったことで、これまでの当たり前がいかに当たり前でなかったことを知り、その喜びを噛み締める。そして、最新アルバム随一のハード・パンキッシュ・ナンバー「Eddie」をもって本編ラストとして彼らはステージをあとにした。

アンコールは「REPETITION OF HATRED」から。16年前の楽曲ということもあり、近年のDIR EN GREYの楽曲とは少々毛色が違うが、そのヘヴィさで容赦なく我々を殴りつける。そこから"まだ行けるか? ひとつになれんのか?"と煽り「Rubbish Heap」、「T.D.F.F.」とキラーチューンを立て続けにプレイ。最後の一瞬まで貪欲に求め続けるその様は、必死に生きている実感を求めているようで、そんなフロアに向かって"クソッタレども、愛してるぜ!"と最上級の愛の言葉を投げ掛けたのはこの日一番のハイライトだっただろう。

そして、この日ラストを飾ったのは「カムイ」。"後何年ですか?/まだ生きるんですか?"と歌うその姿は生きることに疲れ、それでも生を繋いでしまうことへの諦観がひしひしと感じられた。しかし、それは人間の根底に"生きたい"という感情があるからこそ生まれてしまうものなのではないだろうか。だからこそ、生きる意味を求めてしまうし、ライヴハウスという非日常的な空間で自らの存在を証明するのだろう。また、「カムイ」はこれまでの2回に分けて行われた『PHALARIS』を冠したツアーでは披露されず、今回初めて披露した楽曲であることから、昨年6月のリリースから1年半の歳月をかけてようやく『PHALARIS』が完成したと言える。

奇しくも『PHALARIS』は出口の見えないコロナ禍真っ只中に制作されており、今作品に当時の"痛み"や"絶望"を重ねてしまう人も少なくないだろう。ライヴに関しても、リリースとほぼ同時に開催された"TOUR22 PHALARIS -Vol.I-"では声出しは禁止。そこから世の中の流れと共に徐々にこれまで通りのライヴを取り戻し、今日に至るという背景を考えれば、コロナ禍という絶望と同時に生まれた『PHALARIS』という種から、ツアーを通して出た芽が1年半かけて花開き、これまで通りお互いがお互いを強く求め合うDIR EN GREYのライヴの在り方を取り戻す。『PHALARIS』はいわばコロナ禍における希望の象徴と言っても差し支えないのかもしれない。

こんなにも絶望が色濃く、死の匂いが漂うアルバムが希望の象徴というのもおかしな話だが、絶望の淵に立たされたからこそ人々は改めて"生きたい"と強く願うのだろうし、これまで通りを取り戻したことで未来へ生きる希望をわずかながらにも見いだすことができたのも事実なはずだ。そうやって、これまでもこれからもライヴを通して生きる理由を繋いできたのがDIR EN GREYであり、オーディエンスなのである。だからこそ、彼らはこれからもライヴハウスで自らの存在を証明し、生きる意味を探し続けるのだろう。これが26年間守り続けたDIR EN GREYの在るべき姿なのだから。


[Setlist]
1. 御伽
2. 咀嚼
3. 落ちた事のある空
4. 響
5. The Perfume of Sins
6. Schadenfreude
7. 朧
8. The World of Mercy
9. 輪郭
10. 13
11. 盲愛に処す
12. Downfall
13. Eddie
En1. REPETITION OF HATRED
En2. Rubbish Heap
En3. T.D.F.F.
En4. カムイ

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