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COLUMN

THE STARBEMS 日高 央の激トーク!! 第七回

THE STARBEMS 日高 央の激トーク!! 第七回

伊藤:俺もほら、あまり気づかいができないっていうかさ(笑)。アメリカ人は社交辞令で、"今度、うちに遊びに来いよ"って言ってくれるじゃない? 10人中9人は行かないかもしれないけど、俺は行っちゃったわけだよね(笑)。向こうも、来いよって言った手前断るわけにもいかないし。それで一緒に時間を過ごしたりして、だんだんと仲良くなって。いろいろお世話になってるから、KEMURIでツアーができるようになったら、日本に来てよって呼んだりもして。後年はそういう流れになっていくんだけどね。

日高:基本的にはふみおさんが、ああしたい、こうしたいと頭にあるイメージを行動に移して、いろんなことが決まっていく感じですよね。

伊藤:あとで考えてみるとね。

日高:そこに、無理かもなとか、不安はなかったんですか? 実際にアメリカに行ってうまくいくかなとか。

伊藤:あるある。でも、KEMURIのメンバーはみんな音楽的なベースがしっかりしていて、曲がすごく良かったから。それがあったからこそ、どこに行っても大丈夫だろうっていう安心感があって。だから、いろんな人のところにいって、"KEMURIをやらせてくれ"って言えたというところはある。基本的にはいつも、面白いと思うことがあったら"やってみない?"っていうスタンスだね。

-KEMURIは今年、結成20周年を迎えましたが、20年という時間はあっという間という感じでしょうか。

伊藤:今日、こうして振り返ればね。あっという間に過ぎ去ったなという数年間もあるし、時間が止まったんじゃないかなと思うくらい長い期間もあったけどね。THE DOORSの曲(※「People Are Strange」。1967年リリースの2ndアルバム表題曲。)にもあるじゃないですか、すべてが醜く見えるみたいな(笑)。まさにそういう時間も、あるんだなっていうね。海外に行って、いろんな人のいろんな戯言を真に受けながらの活動もあって。解散し、再結成も経験しと(笑)。

日高:嬉しいこともつらいことも含めて、バンドが直面するであろうことはひと通りやった感じですよね。そういう意味で、もともと年上だというのもあるんですけど、俺の中ではKEMURIは完成されたイメージがあって、いつも見上げる存在なんですよね。

伊藤:はははは! そこまで年上でもないでしょ?

日高:いやいやでも、やっぱり『Little Playmate』のインパクトもそうだし、それが"Roadrunner Japan"(以下:ロードランナー)から出ているっていうのもかっこよくてね。

伊藤:それも、いい加減な話でさ。俺はモノを知らないから、デモ・テープ持って突進したわけですよ、ロードランナーに。

日高:いろんなレコード会社に持ち込んだんですか。

伊藤:行きました、行きました。

日高:で、ロードランナーが反応が良かったと?

伊藤:でも最初にロードランナーに行ったときは反応が悪かったんだよね。その前にアメリカに行ったときに、LAのライヴハウスでSHELTERがライヴをやっていて。

日高:Ray Cappoがやっていたバンドですね。

伊藤:Ray Cappoにもデモを配ったんだよね。当時SHELTERはアメリカのロードランナーから作品を出していたから、"俺たちもロードランナーから出して、世界中でアルバムを発売したいと思ってるんだ"って言ったら、"おお、頑張れよ"って。そのとき偶然、Ray Cappoと一緒にロードランナーのLA支社の人もいたから、その人にもデモを渡していて。そのあとに、日本のロードランナーの社長が、インターナショナル・ミーティングでLAの人と会って、"日本のKEMURIってバンド知ってるか?"って話になったらしいんだよね。そこで、"スカはアメリカでも人気だから絶対に契約した方がいいよ"って言われたらしくて。でも当時、KEMURIはライヴは2回くらいしかやってなかったんだよね。じゃあロードランナーで契約しましょうって言われても、空気の読めない伊藤ふみおもさすがに、"ほんとにいいのかな"って思って(笑)。

日高:曲には自信があっても、ライヴはまだまだだっていう。

伊藤:失礼なんじゃないかって思って。UZI-ONE(AGGRESSIVE DOGS)とかと仲が良かったんだけど、そういう人たちはみんなロードランナーから出したいわけじゃない? 当時ニューヨーク・ハードコア全盛の時代で、MADBALLからSHELTERから錚々たるバンドがいたレーベルだったからね。

日高:憧れですよね。

伊藤:どうしたもんかなと思ったけど、こそっとでも契約すべきだなと。そういう経緯があったから、分不相応であったかもしれないけど、みんなと一緒にアメリカに行ったりもできたんですよね。

日高:それって、すごいシンデレラ・ストーリーですよね。ふみおさんとしては、見たい、行きたいっていうノリでいって、SHELTER観て、Ray Cappoいたからデモ渡そうくらいのことだったわけですよね。ロードランナーから話がきたときは自分でもびっくりだったわけですか?

伊藤:いいんですか!?っていう。

日高:そして、日本のスカの代表を背負うくらいの話になっていくわけですからね。

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【日高 央の1枚】

  THE SPECIALS
『Specials』
 (1979)

【伊藤ふみおの1枚】

  STIFF LITTLE FINGERS
『Inflammable Material』
 (1979)