INTERVIEW
GYZE
2014.09.02UPDATE
2014年09月号掲載
Member:Ryoji (Vo/Gt)
Interviewer:米沢 彰
-最初からイメージがあるのか、それとも、作っているうちにだんだんできあがってくるものなんですか?
半々ですね。曲を作る上で僕の中の王道パターンはもちろんあるんですけど、作ってて気分が乗ってきたときにしか生み出せない音っていうのももちろんあるので。
-では、最後に手を加えるっていうことも結構あるんですね。
そうですね。筆の置きどころがわからなくなるときももちろんあるし、本当にどこでやめたらいいんだろうっていうのも結構ありますね(笑)。
-この音楽性で最小限の3ピースのメンバー構成を守っているのには何か考えがあるのですか?
ライヴのときは同期でシンセをいれたり、ステレオで効果音を流したりはしてますし、ギターもリアンプして流していますね。最低そこまでやらないとライヴはしたくないというか、作っている段階で、あそこまでこだわり抜いちゃうと再現したくなっちゃうから、その面は大変かもしれないけど、あの世界観を出せるように努力しています。
-"3人でやっていきたい"みたいな意識はあるんですか?
昔から何度かサポート・ギターをいれようって思っていたことはあるんですけど、なかなかはまる人がいないだけです。それこそ、Ettoreのような "出会いの衝撃"を受ける人がもしいれば正式メンバーとして迎えてもいいなと思ってますし......。これからのライヴはサポート・ギターを入れたりだとか、そういう編成は全然あるかもしれないです。どうしても3人がいいっていうよりも、3人しかいないけどやりたいっていう感じが強いですね(笑)。でも今の3人はすごいいいと思ってます。
-話は変わりますが、GYZEというバンド名はどういった由来でつけられたのですか?
僕の親父が札幌で美容室をやっていて。その名前が"ギゼ"っていうんですよ。スペルは違うんですけど。僕らは以前SUICIDE HEAVENっていう名前でバンドをやっていたんですけど、上京してすぐに震災が起こって、心機一転やり直そうと思ってバンド名だけを変えることにしたんですが、そのときにその親父の店の名前を借りて、"世界一にしたるわ、待っとけ"っていって名前を付けたのが始まりですね(笑)。
-面白いですね。
あとで意味を調べたら、エジプトのピラミッドがある都市の"Giza"って"ギゼ"とも読むらしくて。そこと無理やりこじつけて、3ピースだし、ピラミッド3つだしって。でも本当は親父の美容室の名前(笑)。
-(笑)日本国内でもメジャー・デビューを果たしましたが、どういった経緯だったのでしょうか?
最初は自分たちでCDを売ったりしていたんですけど、ライヴで知り合った人伝えで紹介してもらったりして、日本で出すために最初はいろんな会社とやり取りをしていました。僕らもそれなりにいろんなことを経験してきた方だと思うので、やりたいことが明確にあって......。結局は契約も人と人との関わり合いだから、自分の気が置けない人たちに出会えた僕らはラッキーですね。
-海外でレコーディングして、Amazonなどで輸入盤の形でリリースされていたということになりますが、国内での販売や流通はどのように考えていたのでしょうか?
大変でしたね。自分でたくさん入手して自分で卸したりとか(笑)。路上でエレキ弾いて売ったり、ライヴで売ったりとか。とにかく手探りでしたね。
-最初からいろんなことをやってみようっていうよりも、出してみて、いろいろ考えながら動いてみたっていう感じですか?
そうですね。何をしたらいいかわからないまま。ビラ配りやサンプル配りをどうしたらいいのかとかいろいろ考えました。365日ずっと起きている限りバンドのことばかり考えていて、多分激ロックの村岡さんにも配ったりしていたはずです(笑)。とにかく思いつくこと全部やろうって思ってやってましたね。それも良かったと思います。
-そこから繋がったものってありますか?
あると思いますし。実際にそういう活動から来てくれたお客さんもいらっしゃるので、やってよかったなって思っています。
-GYZEは、もともと地元が札幌とのことですが、活動は東京に来てからですか?
まったく同じような音楽性で前身バンドをやっていて。東京に来たけどあんまり前の会社とうまくいかなくて、独立したんです。でも、まあ今考えているのはせっかく音楽をやっているので、東京だけじゃなく、今まで以上に海外に目を向けて本物のバンドたちと戦っていきたいっていう気持ちの方が大きいので。あんまり最近は東京に固執していないですね。