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INTERVIEW

ライヴハウス"横浜 BuzzFront"オープン記念インタビュー

2022.12.13UPDATE

2022年12月号掲載

ライヴハウス"横浜 BuzzFront"オープン記念インタビュー

鈴木和哉(KAZUYA(BOMB FACTORY/KYONOバンド))が"自身の住む街、横浜にライヴハウス・シーンを作りたい"という熱い想いから、"ライヴハウスを作ろう!"と思い立ったのが、今から約20年前。ライヴハウス 横浜B.B.streetの店長も務めていた、同じく横浜在住の松下順二(JUNJI(SOBUT)/マツシタジュンジ(NUBO))という強力なパートナーと共に、水面下で進めてきた横浜ライヴハウス・プロジェクトがついに実を結び、2023年1月、横浜にBuzzFrontがグランド・オープン! 発起人となる鈴木和哉と代表を務める松下順二のBuzzFrontオープン記念対談を行い、ライヴハウスに対するふたりの熱い想いを訊く。

鈴木 和哉(BuzzFront発起人)
松下 順二(BuzzFront代表)
Interviewer:フジジュン
Photographer: 川野晴都

-本日は2023年1月4日にグランド・オープンする、横浜のライヴハウス BuzzFrontのオープン記念対談です。僕に限らず、音楽業界の方はみんなそうだと思うんですが、最近"ぴあアリーナMM"や"KT Zepp Yokohama"など、横浜のライヴ施設の利用がすごく増えて。横浜駅近辺に来る機会がめっちゃ増えたし、来るたびに街が変化していってるように感じるのですが、横浜で育ったおふたりは、最近の横浜の変化をどう感じてますか?

鈴木:ここ最近は特に変化を感じますね。俺が横浜に出てきたのが1990年なんですが、あの頃は横浜駅近辺にライヴハウスがなくて。1軒だけ横浜ビブレの8階だったかにライヴハウスがあったんですけど、それもすぐなくなって。今は1000 CLUBができたり、おっしゃったようにみなとみらいのほうにライヴ施設がいくつもできたり、音楽環境もすごく良くなってますね。

松下:僕は20年弱、業務含めてライヴハウスにいるんですけど、以前は東京にも近いので、横浜ってバンドの全国ツアーでも飛ばされる場所だったりしたんです。ただ、ここ10年くらいはF.A.D YOKOHAMAとか、横浜B.B.streetの勢いもあって、ツアー・バンドがたくさん訪れてくれたり、ツアーの一環で横浜で企画を打ったりすることも多くて。"東京の隣"というよりは、"横浜"というブランドが確立してきた印象はありますね。

-そもそも、和哉さんが横浜にライヴハウスを作ろうと思ったキッカケは、ライヴハウスが少ない横浜駅周辺で、横浜のシーンを作りたかったというのがあったんですよね?

鈴木:そうですね。当時ウチらは上京して間もないバンドだったんで、横浜で企画ライヴを組もうと思ったとき、やっぱり友達や知り合いを呼んだりすることから始めるしかなくて。横浜駅って東京で言えば渋谷、新宿くらいの神奈川では中心的駅で、人を呼びやすい立地にもかかわらず、いわゆる俺たちが演るようなライヴハウスがなかったんです。結局関内のライヴハウスで自主企画イベントはやってたんですけど、最終的には東京中心の活動に変わりましたね。

-それが最初にライヴハウスを作ろうと思った、20年くらい前のお話ですか?

鈴木:そうです。"横浜駅にライヴハウスがあったらいいな"というのは、そのくらいからずっと思ってましたね。俺と同じように思ってるバンドマンはいっぱいいるんじゃないですかね。単純に"すぐに誰か作るだろう"と思ってたんですけど、でもそんなこともなくて。"だったら自分でやるか"と思ったのが2000年頃、俺が30歳くらいのときですね。あの頃は若いんで、"動き出せばなんとかなるだろう"と根拠のない自信はあったんですけど(笑)。当たり前だけどなかなか難しくて、ここまでかかっちゃいましたね。個人でやれるレベルの話じゃなかったので、まずは社会的な信用を作るために会社を作ることからスタートしました。ちょうど自分のバンドも自分たちで制作費からすべてプロデュースできる環境を作ろうとしていたので、そういうタイミングでした。

-遠回りかもしれないけど、資金を用意してとか考えるとそうなりますよね。では、ライヴハウスの場所を探したりと、具体的に動くまでには結構、時間がかかりました?

鈴木:会社としての信用もできてきて、具体的に動き出せたのは7~8年前でした。その頃に順二と知り合ったんですが、そのとき彼はB.B.streetの店長をやってて。俺が"横浜でライヴハウスやろうと思ってるんだよね。もしやることになったら、よろしくね"って話してね。

松下:そうですね。僕は以前から知ってて、名古屋で対バンした際に仲良くしていただいて、そこから僕のやってるハコでもライヴやってもらったりして。ライヴハウスをやるって話をしたときには、"まだわからないから、準備が整ったら連絡する"って言ってくれて。そこから7~8年、その話はストップするんですけど。

鈴木:そう(笑)。やるって気持ちは強かったんだけど、現実的になかなか進まないところもありましたね。いい物件があってもいろんな問題があったりしてNGばかりでしたが、それでも毎日アンテナだけは張っていて。コロナ禍っていう時期ですけど、"ここしかないな"と思える場所が見つかったんで、順二に連絡して"どうする?"って。

松下:7~8年越しにやっと電話がかかってきたんです(笑)。ただ、それを言われたことは忘れていなくて。そのとき、僕はB.B.streetの店長をやめて、別の仕事で管理職に就いてたんですが、音楽には関係ない仕事だったんで、"今までやってきたことと、やれなかったことにトライするチャンスだ"って思って。前向きに検討して、お受けさせていただきました。今は正直、ライヴハウスで店長やブッキングといった、雇われる側で働くのは嫌だったんですが、経営代表という立場であれば、ぜひやりたいと思ったんです。

-今考えると、最初に順二さんにお話してからなかなか前に進まなかったですが、B.B.streetの店長だった頃だったら、動きづらかったところもありましたよね?

松下:そうですね。ただ、当時は店長やってましたけど、昔から好きなバンドマンですし、そのお話をされるときの和哉さんの熱量がすごくて。そのときから、"和哉さんが本気でやるのなら、僕は全部清算してついていきます!"くらいの覚悟はありました。深く話したのはそのときが初めてだったんですけど、すごく魅力のある方じゃないですか? なので、"ついていきます"というのは、そのときから伝えてました。

鈴木:嬉しいですね。普段、そんなこと言ってくれないんで(笑)。

-10年かかりましたけど、台本があるかのようないいタイミングですよね。ただ、タイミングというところでは、コロナ禍という試練もありました。

鈴木:そうですね。でも、コロナ禍だからこそ、条件のいい候補が2軒出てきたってところもあって。すぐに順二と相談して、現在の場所にしました。俺は"横浜にライヴハウスを作りたい"という気持ちは強いけど、ライヴハウスで働いたこともないので。作ってしまったら、あとは信用できる人間に任せようというところで突っ走ってただけです(笑)。場所が決まったので(株)BuzzFrontって会社を作ったんです。そこの代表は順二なので、会社やお店の経営は完全に任せますし、順二のことはすごく頼りにしています。

松下:光栄ですね。いいタイミングだったという話では、今若い人材が欲しいなと思ってスタッフの面接をしているところなんですけど、欲しい人材がどんどん集まってきてくれていて、ふたりでワクワクしてるんです(笑)。立ち上げのスタッフも、僕が信用している横浜の人間たちを集めることができて。ライヴハウスを基本として全国で活躍して、なおかつホール・クラスやフェスのPAもやってるチーフがいたり。横浜のIRIE BOYSってバンドのAlan(James Ishida/Vo/Djembe)がバー・カウンターのチーフをやってくれるんですが、ライヴハウスの現場感もあるし、バーで働いていた経験もあって。すごく頼もしいメンツが揃っています。

-すごく心強いですね! 上手くいくことばかりでなく、大変だったこともあると思うのですが、ここまで進めてきてのご苦労はいかがですか?

鈴木:個人的にはやっぱり、物件探しが大変でしたね。これまでも良さそうなところは何件かあったんですが、なかなか条件が合わなかったり、直前でダメになったりすることも多くて。"やっぱり、横浜でライヴハウスをやるのは難しいのかな"と思ったときもありましたね。これだけ駅の利用客も多い街で30年、ライヴハウスがないって異常とまで思ってましたから。"やっぱり、それには理由があったんだな"と思いました。

松下:僕は和哉さんと比べたとき、今のところ苦労といった苦労はないのですが、まだスタッフがいないので、オープン後のブッキングを僕がやっていて。今が一番忙しいし、大変です(笑)。スタッフが入って、BuzzFrontが定着するまでは、自分で積極的にイベントを組んでいかなきゃいけないですからね。ただ、ライヴハウス歴も長いので、それが当たり前でやれているところもあって。今が一番大変だとは思うんですが、楽しくやれています。あとはなんでしょう? 今の店舗で"電気容量が足りない!"みたいな疑惑があって、そのときが一番ヒヤヒヤしたくらいですかね(笑)?

鈴木:あったね(笑)。でも今、決まってるブッキングが本当にすごくて、順二にお願いして良かったなと本当に思ってます。みんなにスケジュールをチェックして驚いてもらいたいし、BuzzFrontのオープンに期待してほしいです。

松下:今はまだ、友達を呼んでいる状態ですけどね。バンドやライヴハウスを長いことやってると、僕自身は音楽だけで食べれるわけじゃなかったですけど、友達がみんな売れていったんで。友達にお願いして、ライヴハウスに帰ってきてもらってる状況です。