INTERVIEW
"52nd NEW YEAR ROCK FESTIVAL 2024-2025" 対談
2024.12.12UPDATE
2024年12月号掲載
Producer:HIRØ(湾岸の羊~Sheep living on the edge~)
KYONO BAND/T.C.L:KYONO
Interviewer:フジジュン Photographer:Kanda Yukiya
12月31日、渋谷ストリームホールでの開催が発表されている"52nd NEW YEAR ROCK FESTIVAL 2024-2025"。"紅白だけが祭りじゃないぜ"をスローガンに、1973年に内田裕也がスタートした日本最長寿の年越し音楽イベント"New Year Rock Festival(以下:NYRF)"は内田亡き後、HIRØ(カイキゲッショク/湾岸の羊~Sheep living on the edge~)がプロデューサーに就任し、昨年は会場を渋谷へと移動。"NYRF"の伝統を受け継ぎながら、内容はよりブラッシュアップされて、"NYRF"に新たな歴史を刻んだ昨年に続く今年度の開催について、HIRØとKYONO BANDでの出演が発表されているKYONOが熱く語る。
-今年も大晦日の開催が発表された"52nd NEW YEAR ROCK FESTIVAL 2024-2025"。今日はエグゼクティヴ・プロデューサーであり、湾岸の羊~Sheep living on the edge~(以下:湾岸の羊)で出演するHIRØさんと、KYONO BANDでの出演が発表されているKYONOさんの対談ですが、まずは近況というところで、湾岸の羊で24ヶ所を回った全国ツアー"湾岸の羊~Sheep living on the edge~ RISING SUN TOUR 2024 -HARD CORE TRAVELING BAND-ROCK'N ROLL JOURNEY"を終えたばかりのHIRØさん。全国ツアーを走り抜けての感想はいかがですか?
HIRØ:実はファイナルが終わって、筋肉断裂しちゃったんですよ。ファイナルのライヴ中に転んじゃって、そのときは"ヤベぇ、カッコ悪いなぁ。何やってるんだろう?"くらいだったんですけど、ライヴの後に楽屋でインタビューを終えて、"じゃあ帰り支度をしよう"と思ったら歩けなくなっちゃって。それで病院に行ったら、ふくらはぎとアキレス腱の間の筋肉が切れてて、全治2ヶ月と言われたんです。
-え~~! そうだったんですか!?
HIRØ:でも、1ヶ月経って歩けるようになったんで。もう大丈夫です!
KYONO:この前、松葉杖突いてましたよね?
HIRØ:そう。と言いながら、10日くらい前からブラジルに行ってて、昨日帰ってきて。もしかしたら飛行機の気圧が良かったのかな? とかブラジルの気候や食べ物が良かったのかな? とも思ったんですが。
-わはは、本当ですか(笑)!? でもきっとツアー中の約1ヶ月半、気は張ってたけど、身体はダメージを受けてたってことですよね。
HIRØ:そうかもしれないですね。ツアー中もステージに出ちゃえばガンガン動けるんですけど、ホテルに帰ってお風呂に入ろうとすると膝が曲がんないんですよ。だから気持ちと気合はあるんだけど、身体は悲鳴を上げてたんでしょうね。
KYONO:俺なんて、1ヶ月に5本もライヴやったらクタクタですよ(笑)。
-そして、そんなツアーをやりながら"NYRF"の準備もしっかり進めていたということにもすごく驚きました。
HIRØ:そうなんです、本当にもう大変で! 結構早い時期から主要の方々とはお話ができていて。僕の精神的支柱であるKYONOさんにも、早い段階から"今年もお願いします"と出演を依頼していました。
KYONO:9月くらいに電話を貰って、"今年もやるからお願いします"って言われたので、"分かりました"と二つ返事でお受けしました。
-KYONOさんは、HIRØさんがプロデューサーに就任した2020年("無観客生配信LIVE「47+1 新生 New Year Rock Festival」")から毎年ご出演されています。
KYONO:最初に出演した年はコロナで配信での出演でしたね?
HIRØ:そう。しかもアコースティックで、ギターを弾いて歌ってくれたんですけど、僕の中ではKYONOといったら恐竜というか、"KYONOザウルス"ってイメージなんですよ。あの声で畳み掛けるようにシャウトしてという感じなんですけど、アコースティックだって言うからどんな感じなんだろう? と思ったら、アコースティックの繊細さの中で、オリジナルなあの声でシャウトして歌ってくれて、すごくカッコ良くて。翌年も"(47+2 新生New Year Rock Festival 2021-2022)同時多発オンラインフェス"に配信で参加してもらってね。
KYONO:配信は神田明神ホールと東京キネマ倶楽部でやったんですよね。
HIRØ:2020年の"47+1"のときはKYONOもJESSE(RIZE/The BONEZ/Vo/Gt)もアコギを持って。
KYONO:そうだ、JESSEとコラボさせてもらいましたね。
HIRØ:あの年は長渕 剛さんも細美武士(ELLEGARDEN/the HIATUS/MONOEYES/the LOW-ATUS/Vo/Gt)もアコギで歌ってくれて、なんか不思議な"NYRF"でしたね。
KYONO:気分的なものだったんですかね? お客さんもいないし、バンドでバーッと音を出すというより、アコースティックでしっとりもいいなって。
HIRØ:そうかも。あそこからアコースティックに目覚めた人って、結構多いですよね。アコースティック・パンクというかね。
KYONO:自分もたまにですけど、KYONO BANDのベースをやってくれてるHIROMITSU(OXYMORPHONN)と一緒に、自分のソロの曲をアコースティックでやったりしてるんですよ。
HIRØ:アコースティック楽しいよね? 座ってやる感覚が面白かったりして。俺も今年"歌舞伎町アンプラグド"っていうのをアコースティックでやって、結構面白かったなぁ。
-そんな配信の時期も経て、2022年の第50回("50th New Year Rock Festival 2022-2023")は東京ガーデンシアターで、待望の有観客での開催。KYONOさんは、内田裕也さんの遺志を継いで"NYRF"の火を絶やさぬようにと戦い続けるHIRØさんの姿を近くで見てきて、いかがでしたか?
KYONO:もう、すごいとしか言いようがない。みんなそうだと思うんですけど、HIRØ君の熱い気持ちに胸を打たれて"やりましょう"というところでしかないですね。続けるって、やっぱりすごく大変だと思うので。毎年本当にすごいし、頭が下がります。並大抵じゃないと思うので、僕も声を掛けていただけてるうちはやりたいです。
HIRØ:本当にありがたいですね。"NYRF"を僕が続けることの根幹は、内田裕也とジョー山中との男同士の約束だけで。そこに変な計算もなければ、何もなくて。男女も年齢も問わず、ジャンルも国籍も問わず、僕がカッコいいと思う人だけに声を掛けさせてもらって、この何年間はなんとかやってこれてます。やっぱり最初は、歴史あるものを繋げていこうとしているので、いいものも悪いものもしがらんでくるというか。僕のやりたいことだけをやるってわけにはいかなくて。50回までは"50回できたよ"という、裕也さんとの約束を果たすみたいなところがあって。去年の"50+1(New Year Rock Festival 2023-2024)"からは、僕が思うカッコいいと思う人だけでやれてるかな? と思います。
-去年からは会場も渋谷ストリームホールに変えて、出演者も厳選されて、HIRØさんの作る新しい"NYRF"が作れたと思うのですが、去年開催しての感想はいかがでしたか?
HIRØ:やっぱりカッコいい人たちばかりで、ブラッシュアップできた感はありましたね。あとは裕也さんが亡くなった後、テレビやスポンサーがいなくなったりということもあったんですが、2022年からTOKYO MXの中継が入って。3年かかりましたけど、地上波を取り戻せたことも俺の中では大きな1歩でした。
-KYONOさんは裕也さんやジョーさんの時代も"NYRF"には関わられていたんですか?
KYONO:別のイベントだったりで、HIRØ君に紹介されたことはあります。
HIRØ:初めてKYONOに会ったのは六本木か麻布十番のクラブで、俺のバースデーをジョーさんがやってくれたときに紹介されて。俺、THE MAD CAPSULE MARKETS大好きだったから"嘘でしょ!?"と思いましたね。
KYONO:そのときは挨拶するくらいだったけど、その後も共通の知り合いもいて、ちょこちょこ会ってお話しするようになって。
HIRØ:初めて会ってから、もう30年近く経つんじゃない? 俺、初めて"NYRF"に出たのが第22回("22nd NEW YEAR ROCK FESTIVAL 1994-1995")で、忘れもしない94年の大晦日だったんですけど。それまで海外にいて、94年の12月に日本に帰ってきたんです。あれから今年でちょうど30年で。俺の"NYRF"デビューだったので変な話、30周年というか。昔、空手のマス大山(大山倍達)が"千日をもって初心とし、万日をもって極みとする"と言っていて。1000日だから、だいたい3年で初心者マークが取れて、10,000日だから30年くらいでマスターになると考えると、30年間"NYRF"のステージで年越しして自分も極めたかなと(笑)。
KYONO:そうなんだ。でもHIRØ君に出会ってから30年ってヤバいですね。
HIRØ:当時、僕は六本木のGASPANICってクラブがホームで、マイク持ったりDJしたりライヴしたり、やりたい放題やってたんですけど。MAD(THE MAD CAPSULE MARKETS)の『4 PLUGS』に入ってる「WALK !」が大好きで、よくかけてましたね。また世界中の人が集まるクラブだったので、日本のバンドの曲をかけてカッコ悪かったらノらないんですけど、「WALK !」をかけるとワーッと盛り上がってたんで、"やっぱり間違いないな"って再確認したんです。
KYONO:そうだったんだ。俺、横浜のGASPANICは行ったことあって。
HIRØ:横浜もよく乱入してたよ。当時、Pay money To my PainのK(Vo)がDJやっててね。昔からハンサムでいい男でしたよ、ヤンチャで(笑)。
KYONO:そう。懐かしいっすね。ワールドカップをそこでみんなで見ながらビール飲んだり、楽しかったですね。