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INTERVIEW

BRAHMAN

2018.02.03UPDATE

2018年02月号掲載

BRAHMAN

メンバー:TOSHI-LOW(Vo)

インタビュアー:石角 友香

人生や生活で実感したことを4人で軋轢や融合を経ながら作品化するという意味で、BRAHMANが寡作家であることはもはや必然なのかもしれない。5年ぶりにリリースするニュー・アルバム『梵唄 -bonbai-』。歪な構成の曲もあれば、フォーキーで日本人の心の琴線に触れる曲もある。また、過去になくコラボレーション楽曲も多く収録されたアルバムだ。パンクやハードコアのメンタリティに焦がれながら、表面的なそれとは違う道を行く彼らが不器用な手つきで今、辿り着いた場所は結果的に普遍的な"歌"が後味として残るものになった。アルバム発売2日後には武道館公演も控えるなか、TOSHI-LOWにこの作品の真意を訊く。

-今回のアルバムは5年という歳月の中でしか生まれてこなかった曲の集合体という印象が強かったです。

毎回そうなんですけどね。その時代時代の......結果、自分たちの5年間を映し出してるという。だから並べて聴くとすごいわかりやすいと思うし。ただ並べないとわからない部分もあって、今回のアルバムも、自分たちが未来に対して何かやれるものになってるとすれば、ほんとの意味が出てくるのはまた先の話なんだろうなと。これを持ってこれからの何年間かを戦おうっていう者としては、申し分のない自分たちの武器になったなと感じるし。

-『其限』(2015年リリースの6thシングル)から顕著になってきたと思うんですけど、TOSHI-LOWさんの歌詞はすごく平易になりましたね。

今、難しい言葉を頑張ってつけてもピンとこないというか、あとになって自分でももう1回辞書引かないといけない状態になってしまうんじゃないかな? と思っていて。できれば専門用語を使わずに簡潔にわかればそれの方がいいわけだし。

-それは対リスナーというよりTOSHI-LOWさんが納得したいからですか?

自分本人が、ですね。ただ自分ひとりであるってことに対して、自分って自分じゃない人たちによって生かされてる部分があるってことは、もう十二分に知ってるから。人がいることによって孤独も感じるし、仲間が頼り甲斐があることも感じるし、でもひとりで生まれてひとりで死んでくってこともわかってるし。だけど、それすらひとりではできないってこともわかってるっていう。だから俺が一人称で語ってることは全部二人称であるし、そこをちゃんと引き受けないと自分がひとりってことに対しても揺らいできちゃうから。

-今回のアルバムは様々な縁というか、映画"あゝ、荒野"の主題歌(「今夜」)であったり、必然的なコラボが入ってるアルバムでもありますね。

20周年で"尽未来際"(2015年11月14日、15日に幕張メッセで開催した"BRAHMAN 20th ANNIVERSARY LIVE「尽未来際 ~尽未来祭~」")をやったとき、歳とか経験もここからは関係なく、ほんと新人の1バンドでいいと思ったんです。すげぇ矛盾したこと言いますけど、やっぱり年齢重ねなければ絶対わからないこともあって、一瞬の刹那に生きるためにバンドを始めたのに、(それに気づくには)こんだけの長い時間が必要だった。その時間の中で起き得ることがなければこのアルバムは作れないわけだから、こう......どっちもあるんですよ。だけども一瞬で終わりきるっていうことは、ずっと自分たちの命題でもあるし、でもそれすら時間がないとわからないっていう、それが矛盾じゃなく存在できたのはやっぱ時間のおかげだと思うんです。

-"新人"っていうのは"意識"という意味でしょうか。

そうっすね。新鮮に感じないといけない。"今日、朝起きたら生まれ変わったんだ"みたいにはなかなかなれないじゃないですか? バンドとしてはやってないこともいっぱいあるし、人が参加するような手法も俺たちはあんまりとってこなかったし、だからまだやってないことがいっぱいあるというか。でも、やってないことがいっぱいあってとても良かったなと思って。若いころは意固地に"俺らは違う"って細い道を行ったけど、それが今、逆に良かったなと。そのときに和気藹々とミュージシャンの生活を謳歌してしまったら、今自分たちはこうはなってない。もしかしたら違う道は拓けたかもしれないけど、たぶん望んでたようなバンドにはなってないと思う。幸運で音楽で食べていけたかもしれないけど、BRAHMANに対してそんなことを望んでたわけじゃないから。

-例えば「怒涛の彼方」でのスカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)はオープン・マインドで、彼らの中にあるパンクなメンタルも顕著に表れていますね。

そうなんですよね。だからそういう質感はすごく自分たちと似てるところにあると思うし、そういうものをちゃんと合わせてきてくれたんだって。でも、あんだけバスドラが鳴ってるなかで吹いたことはないって言ってたけど(笑)。

-細美さん(細美武士/the HIATUS/MONOEYES)にしても永積さん(永積タカシ/ハナレグミ)にしても明らかに彼らの声だとわかるけど、ソロ・パートとかがあからさまにあるわけでもないし。

そうですか? 俺にはすごい参加してるように聴こえるんですけどね。そもそものセッション感が他のバンドともしかしたら違うかもしれないし、それに俺は、例えば細美武士が「今夜」を全部歌ってもいいと思ってるし、主旋(律)でもいいと思った。だから"その人だったら大丈夫"っていう安心感があるからこその、自分たちなりの関わり合い方なのかなと。明確に欲しい音とか声があったら、黒人のコーラスの人雇えばいいとか、ラッパもなんとか楽団みたいな人に頼めばいい。でも、そうじゃないんですよね。

-他のアーティストが参加してる楽曲でもBRAHMANのらしさがわかる。

うん。誰もやったことがないところにいくって、リスクもでかいけどすごい面白いと思うし。それの果てが"100万枚売りました"とか"インディーながらオリコン1位獲りました"とかそういうことじゃないから。もっと"自分たちであることってなんだろう?"っていう、"俺たちにしかできない音楽ってなんだろう?"っていうことが最初の自分たちの命題だと考えてるんで。ほんとに効率は悪い。でも効率がいい=深くなるとはまた別なのかなぁっていう。

-真逆ですよね。効率がいい=いくらでも代わりがいるバンドとは違うから。

だってYouTubeでパッと聴いた曲ってそんな覚えてないでしょ? って話で。別にそういう時代に反したいわけではなくて、ただ自分たちはこの効率の悪さすら武器なんだと思うんですね。5年でやっとアルバムができて、ただでもそれはここからの5年間を戦える強さを持ってたりとか、効率が悪いことによって構築されるものは分厚くなったりするから。バンドとしてもわがままなバンドだなと思うんですけど、それが近年人とこんなに関わり合いが出るとは思ってもなかったし。求めてなかったというと嘘になるかもしんない、ほんとの意味で求めてたんだと思う。ほんとの意味でセッションしたかったから、これまで簡単にセッションしなくて良かったんだと感じます。

-たしかに。1曲目が「真善美」で始まるのがすごく良くて、まるで少数民族の村に来て、その村の儀式に参加してるみたいな印象です。このアルバムの門を叩いたみたいな。

この村で過ごすにはこのタロイモでできた酒を飲んでトカゲの肉を食え、みたいなもんですね(笑)? それはもう完全に"1曲目を作ろう"ということで意識しました。自分たちも他の人のライヴを観に行って、1曲目やオープニング――それはバンドだけじゃなくて舞台でもなんでも、そこにドキドキして期待するっていうものが、びっくり箱みたいに"ワッ"て感じで始まることもあるけど、この曲はSEが鳴り終わり、4人が入って幕が開いて"始まるんだ"っていうのをどう形にしていこう? って作った曲ですね。扉が開くその瞬間を音にしたらどうなるのかな? ということ。

-アルバムの中にはダイレクトに現政権批判の曲もありますが。英語詞の曲とか。

ほんとですか? まったくそういう意味なかったけど(笑)。それでも嬉しいな。まぁ、"明るい"とは別の"蹴っ飛ばしちゃえばいいじゃん"みたいな。