INTERVIEW
MAKE MY DAY
2014.07.07UPDATE
2014年07月号掲載
Member:Isam (Vo)
Interviewer:村岡 俊介(DJ ムラオカ)
-本格的にバンド活動をやり始めたのはリメセン?
COLDGATEの時は東京でしかやってなかったんで、そうですね。
-リメセンに入って地方にもいくようになって?
そうですね。
-リメセンの時に学んだことや勉強になったことはあるかな?
COLDGATEの時って1、2枚チケットを友達が買ってくれるかどうかのレベルだったんですよ。どこか遊び半分なんですよね。でもリメセンに加入してからは自分たちの企画がソールドするようになって、お客さんがちゃんとチケットを払って来てくれるようになって、今のままじゃダメだなという意識が芽生えてきましたね。
-プロ意識がついたんですね。楽しめればいいなってところから、お金を払ってくれているお客さんに対してどうやったらいいものを提供できるのかと。
そうです。MAKE MY DAYに入ってからはタバコもやめましたし、トレーニングもしましたし。酒もライヴ前日は飲まないようにしたりとか。自分の心が病まない程度にやってますね。
-リメセンを脱退した理由はなんだったんでしょう?
良いセンス持ってるバンドなんですけど、俺自身はもう少し違う音楽をやりたいし、もうワンステップ上がりたいなって思ったんですよ。中途半端な気持ちで続けていくの良くないので、見切り発車の状態でしたけど自分から辞めました。その後にアメリカへ行きました。
-リメセンをやめてからアメリカに旅立つまでどれくらいの期間だったのかな?
多分、3ヶ月くらいでしたね。
-脱退したタイミングでまた日本で新しいバンドを組んでやるという選択肢はなかったの?
あまりなかったですね。その当時に入りたいバンドっていうのもなかったし、どのバンドにもヴォーカルがいますし。それこそMAKE MY DAYも前身バンドのASHLEY SCARED THE SKY のときはヴォーカルがいましたし。日本でバンドをいちから作るくらいなら、1回アメリカに挑戦しに行こうかなと。
-日本に帰ってくるまでどれくらいの期間アメリカにいたのかな?
アメリカに行って4ヵ月経った頃にMAKE MY DAYから"日本に帰ってきて一緒にスタジオに入ろう"って連絡をもらったので、そのタイミングで日本に帰りました。
-アメリカでこれからやろう!というタイミングで、日本のバンドからオファーをもらって、どうするか迷いはなかった?
もし、俺がアメリカに行ってなんの活動もしてなければ、迷ってたかもしれないですよね。既にもうある程度やってたんで。たまたまですけど最初にアメリカ行って1ヶ月で2つのバンドに加入できたんで。
-どこに行ってたんだっけ?
ロスです。ロングビーチっていうところなんですけど。AVENGED SEVENFOLDが初ライヴをやった"Chain Reaction"って老舗のライヴハウスがあって、そこで、GIDEON(アラバマ出身のクリスチャン・メタルコア・バンド)が出演していて、転換中の企画でステージで45秒のヴォーカルが入っていないバンド・サウンドのみのCDトラックを流すんです。そこで、歌っても、シャウトしても、ラップしても、なんでもいいみたいなフリー・スタイル企画をやってたんですね。せっかく来たし、俺もやってやろうと手を上げたら、"どっから来たの"っていって"日本から"って答えたら"日本からお前このために来たの!?"って"そんなわけないだろ"って(笑)。最初は"日本人頑張ってね~"って軽い感じだったんですけど、終わった後に観客の顔色が変わって。"おお、ヤバいじゃん"って。向こうっていいと思ったらあからさまに反応が変わるんですよね。それでGIDEONのライヴ終わって、帰ろうとしたら"うちのバンド、ヴォーカル募集してるからやらない?スタジオ来いよ!"って2つのバンドに誘われて。ひとつはハードコア寄りで、もうひとつはOF MICE & MEN目指そうぜみたいなエレクトロニコアで両極端だったんで、面白かったですよ。
-発想としてはOZZFEST JAPANでやっていたデス・ヴォイス・コンテストみたいな。
ああ、近いかもしれないですね。でも、フリー・スタイルっていうところが面白いんですよね。デス・ヴォイス・コンテストって結局カラオケでやるじゃないですか。自分の好きな曲をやるんじゃなくて、アドリブで、"はい!シャウトして下さい"って言われてるようなもんなんで。面白かったです。