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COLUMN

THE STARBEMS 日高 央の激トーク!! 第七回

THE STARBEMS 日高 央の激トーク!! 第七回

インタビュアー:吉羽 さおり Photo by 石原 慎

日高 央(THE STARBEMS)がラウドロック・シーンを賑わすバンドマンと語り合う、その名も"激トーク!!"。日高と親交の深い、もしくは彼が注目するバンドマンをゲストに迎え"激ロック読者にぜひ聴いて欲しい1枚"として、お互いが1枚オススメのCDを紹介しあい、音楽談義に花を咲かせる熱いロック対談だ。今回の対談相手はコーナー始まって初の先輩、KEMURIの伊藤ふみお(Vo)を迎え、バンド結成からデビューのきっかけ、90年代の日本やアメリカのパンク・シーンの話までをディープに語り尽す。

-"激トーク!!"で先輩のバンドが登場するのは初ですね。

日高:いつも後輩ばかりだったので、今日はいろいろ教えていただこうと。

伊藤:先輩って言っても、そんなに年は変わらないよね?

日高:そうですけど、キャリアとしてはふみおさんは20年選手じゃないですか。俺、まだ15〜16年選手ですから(笑)。共通しているのは、バンド歴は長いけど、結構遅咲きチームっていうところなんですよね。

伊藤:KEMURIも遅かったからね。デビューのときは、もう30歳になってたのかな。

日高:前歴がそれぞれあって、仕事したりしながらバンドをやっていたと思うんですけど。ふみおさんは何をやっていたんですか?

伊藤:ホテルで働いていましたね。アメリカ軍のホテルで――。

日高:"姉さん、事件です"みたいな、ああいうドラマみたいなホテルじゃなくて(笑)。

伊藤:そうそう(笑)。ゲートでIDを見る係。

日高:似合うなあ。じゃあ、英語を使う仕事だったわけですね。そのときはバンドやっていたんですか。

伊藤:やってなかったね。前のバンドを解散して、もう音楽をやめようと思ってその仕事に就いたんだよね。

日高:前にやっていたバンドっていうのは、スカのバンドなんですか。

伊藤:ミクスチャーかな。スカもやっていたんだけど、なかなか曲ができなくてね。そのときやっていたメンバーはすごくうまかったんだけど、スカっていうより、どちらかというとジャズとかボサノバという感じで。FISHBONEとかRED HOT CHILI PEPPERS、あとはTHE CLASHとか、ジャマイカの音楽をアメリカやイギリスで解釈したような音楽をやろうというのが、なかなか通じなかったんだよね。

日高:ジャマイカっぽいのやろうって言ったら本気のレゲエになるし、パンクっぽいのやろうっていうと本気のパンクしかいないみたいな。まだ混ぜるのが難しい時期でしたね。そう考えると、LA-PPISCHのMAGUMI(Vo/Tp)さんって偉大ですよね。

-80年代にあのスカ・サウンドをやっていましたからね。

日高:早すぎたミクスチャーだし、あれこそ早すぎたスカ・パンクですよね。でもいったん音楽をやめて、またバンドをやろうと思ったきっかけは何だったんですか。

伊藤:アメリカに行こうと思ってたの。グリーンカードを取って向こうに住もうと思っていたから、バンドをやめてお金を貯めていたんだけど。いよいよアメリカ行きが近づいてきたとき、アメリカに行っても自分の名刺代わりとなるものがないから、何が好きかとか何ができるっていうものを持って行かないとな、と思い始めて。それでもう一度、音楽やってみようかなと思って。やっぱりスカが好きだったから、やるならスカだろうと作ったデモテープがKEMURIの原型になっていくんですよね。

日高:その時点ではブラッドさん――津田(紀昭/Ba)さんには会っているんですか。

伊藤:そう。ブラッドに一緒にデモ・テープの音源を作ってくれってお願いして、曲も書いてよなんて言ってできたのが、未だに演奏してる「New Generation」。この人いい曲書くなあって。それがまた音楽を始めるきっかけだったんだよね。

日高:当時って情報もあまりなかったから、1997年に1stアルバム『Little Playmate』が出たとき、KEMURIはアメリカでレコーディングをしているって聞いて衝撃だったんですよね。

伊藤:未だにそうなんだけど、やりたいことしかできないんだよね。アメリカ録音なんて言うと、"かっこつけてんじゃねえよ"とか逆風があることは考えもしなかったし。アメリカに行くのだって、"行くならアメリカだろう"っていう感じで。まあ、行っただけだけどね(笑)。Mike Park(※レーベル"Asian Man Records"主宰者)の家に転がり込んで、1ヶ月世話になって。

日高:Mike Parkはもともと知り合いだったんですか。

伊藤:以前アメリカに行ったときに、当時彼がやっていたSKANKIN' PICKLEを観に行って。SKANKIN' PICKLEは、1995年当時アメリカで1番人気があったスカ・パンク・バンドなんだよね。動員的にも、THE MIGHTY MIGHTY BOSSTONESよりあったんじゃないかな?

日高:へええ、日本だとBOSSTONESの方が強かったですよね。

伊藤:東海岸ではBOSSTONESの方が強かったかもしれないけどね。SKANKIN' PICKLEは新しかった。BOSSTONESは、スーツだったでしょ。

日高:イギリスの2トーンを継承していましたね。

伊藤:2トーンからのハードコアっていうかね。SKANKIN' PICKLEは、Tシャツ短パンのスケーター・ファッションで、完全に西海岸の感じで。それを観に行って、友達になって。

日高:アメリカ人同士、バンドマン同士ならわかるんですけど。ライヴを観に行って家に泊めてもらうレベルまで仲良くなるって、すごいですよね。

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【日高 央の1枚】

  THE SPECIALS
『Specials』
 (1979)

【伊藤ふみおの1枚】

  STIFF LITTLE FINGERS
『Inflammable Material』
 (1979)