MENU バンドTシャツ

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

BRAHMAN

2021.09.21UPDATE

2021年09月号掲載

BRAHMAN

Member:TOSHI-LOW(Vo)

Interviewer:石角 友香

俺、そんなにまっすぐじゃないんで、感動的なバラードみたいなものを作ろうとしたらやんなっちゃって(笑)


-そして、後半は2010年代以降の最近の楽曲で近年ファンになった人に響く曲が続いたのかなと。映像演出含め、震災から10年経ってるけど、10年でこれ? という気持ちにもなって。

なるよね。

-いろんなことを思い出したし。ずっと思い出し続けることでもあるし、楽曲にしてる人がいなかったら人間っていとも簡単に忘れるなとも思いました。

なんか楽曲って、時代性のある単語を使ってなくても、そのときの空気とかを切り取ってると思ってるので。やっぱ自分の中でその年代のものを歌うときって、毎回そのときの匂いとか、雰囲気とかがあって、それが10年前でも20年前の曲でもある。だから、若いときに作った曲なんて今と考え方が違うのに"なんで歌えるんですか?"って話になるけど、そうじゃなくて、そのときのものがそこに入ってるのさ、と。それを自分の中で今の自分がちゃんと確認できる、それは自分自体が変わってしまったわけじゃなくて、そのまま内在してるから。曲ってそういうもんだと思ってて。だから、曲を何十年かけてメンテナンスしてるの。今だったら、もうちょっとゆっくりにしない? とか、もうちょっと後ろ乗りにしようとかって言って。たぶん今はその曲というオンボロ車を、ちゃんとメンテナンスして走れてる。ボロボロだけど280km出るみたいな(笑)、すげぇ車を作ってる。

-それはどこかには無理が来る。

そう、どっかには無理が来るだろうね。だからあとは走り切るとこまで走りきって、ぶっ壊れて、バン! って終わる。そのために自分たちの肉体と瞬発力と持続性が全部あるんだと思ってるので。

-「Slow Dance」に入る前の演出で出てくる映像が去年の映像、3回目の緊急事態宣言とか、"アラバキ"の中止とか。全然まだ終わってない感じがしましたね。その感覚であの曲を聴くのがまた新鮮で。

去年以来、世界の人が感じてることだし。あれは福島第一原発が映ってるんだよね。あそこは立ち入ることができる一番近い浜辺なんだけど、そこにはまだなんの収束もしてない福島第一原発が映ってるっていうのに気づく人は気づくし、気づかない人は気づかなくていい。

-ある種、具体的な映像で、イメージじゃなくて記録映像であるわけで。そういうのが説明的になることもあると思うんですけど、単に説明的にならない。押しつけられてる印象はまるでなくて。

そういう曲があってもいいと思うし、そういうものじゃなくてもいいと思う。で、実際、10年前の「鼎の問」のときは原発の作業員が一番リアリティのあるものだったと思うし。ただ10年経ったときに、やっぱりあそこに映ってる人で働いてる人は、線量食らってもういないわけで。じゃあ、何が今起きてるかっていったら、自然なところは自然に戻ってるし、街は街っぽくしようとしてる。だけどあそこにまだぶっ壊れてる原発があるっていうのが、10年後の世界なわけじゃん。そのままをそのまま受け取るっていうのが一番時代にとって、クリティカルな気がしていて。ただどうしても穿ってみたいし、自分の見たいほうしか見ない人もいる。福島は原発でまだ大変なのに、あそこをもう1回更地にして企業誘致してっていう双葉町の人もいるし。全部が全部動いていて、それを結局、どの視点で見るかは自分の好みでしかなくて。だから俺は、ああいうものでいいのかなっていう気がしてる。それが10年後っぽいなと思ってて。

-好みって言い切っちゃいます?

だって好みじゃないですか。

-現場を見てる人は好みって言い切っていい気がする。

復興って言ったって、そういう街の復興から考える人もいれば、家族の復興から考える人もいるし、そのためには経済っていう人もいれば、いや、社会じゃない? って人もいるし。それは好みだと思うよ。

-ライヴに話を戻すんですが、「Slow Dance」ってライヴのラストにやってて、各地で初披露だったわけですよね。お客さんの反応はヴィヴィッドに伝わってきました?

紗幕あるから、わかんない(笑)。

-どうだったんですかね。でも泣ける! って感じの終わり方じゃないなと。

うん。俺、そんなに人間がまっすぐじゃなくて、捻くれてるんで。

-前作のコラボ曲に続いて、初期ともまた違うけど荒ぶってますね。そもそも「Slow Dance」って曲はこの形態のツアーをやるから作ったんですか?

そう。

-じゃあ捻くれてますね。

うん(笑)。ゆっくりした感動的なバラードみたいなものを作ろうと思ったら、やんなっちゃって。

-作ろうとは思ったんですね。

一瞬ね。"Slow Dance"って先にツアー・タイトルを決めちゃったから、「Slow Dance」って曲があったらいいねみたいなこと言われて、"「Slow Dance」ね"って家でポロンとやってたら、なんかちょうどthe LOW-ATUSをやってた頃とかぶって、なんかこういうんじゃねぇんだよなと思って。自分の中にもとから持ってる、BRAHMANでやるべきみたいな、熱量みたいのがグーッと湧いてきたの。それは速い曲をやるとかではなくて、どっちかつったら熱く燃えたぎってるようなものをいかに入れるか、って逆の発想になってきて。

-かなり字面通り受け取れる歌詞でもありますし。

うん。何も盛っても引いてもない(笑)。

-the LOW-ATUSでは日本のフォークロアみたいな部分の表現が満たされてるわけですか?

もちろんそう。あれも満たされてるし、あとOAUでやってる響きのある音楽っていうのも満たされてるんだよね。しかもどっちも並行で進んでるので。いわゆるプロジェクト的に期間で決めてない、全部バンドだから俺の中では。で、やっぱBRAHMANもそうだし。そうすると自然とBRAHMANでやりたいことって、やっぱ違くて。それがこう如実に出てくるというか。

-イントロからAメロにかけて"きたー!"って感じですね。でもそこ以降展開していくアレンジは意外とストレートなロックだなと思ったんです。

うん。

-なんですかね、このストレートさ。

なんだろう。でもバンドも転回していくんじゃないかな。一番初めにやりたかった民族というものと、それを押し出すビートとかっていう。で、90年代ってやっぱそのときは見えてなかったんだけど、とにかく人と違った変わったことやんなきゃとか、誰かがこれやっちゃってるからそこじゃないものと、避けて避けて、隙間産業みたいになってる部分が自分たちもどうしてもあって。そうじゃなくて、今は自分たちのやりたいものをしっかり並べて、やっぱりミクスチャー・サウンドの端くれだと思ってるし、パンク・サウンドの端くれだと思ってるっていう、それがどう見えようが全部太く鳴らしたいっていうのが、まっすぐ見えてる気はするというか。しかもそれを歌ってみたい、とか。

-最後の歌詞が"静かに 踊れ"ですから。悔しさや怒りも全部溜め込んでる感じ。

今はそういう感じじゃないかな。発散するというよりすべての人が溜め込むことによって、こう、なんとか抑えてるというか、この状況を。

-危うい状況でもあるし。

それが漏れ出してるわけじゃん。そういうときに自分を繋ぎ止めてるものであったりとか、信じるものであったり、自分の衝動であったりっていうものが結局なんであるかってことを問われると思うので。これがコロナ収束後、もしくは収束しなくても、どっちにしろ、そのときに本人の強さは測られるものだから。そのとき、踊らされんのか、踊んのかは自分で決められることだし、決して悲観したメッセージでもない。

-こういう状況になって、死が身近になって、ここからが始まりって感じもします。

20代の頃は、そういうことばっかり言ってたから(笑)。そっちのほうがリアリティがあったから、精神がぶっ壊れていくのも、削られていくのもわかってた。今のほうが全然健康だし、幸せすら感じる。その頃は、これ以上おんなじ世界が続いていくなら死んじまったほうがましだと思ってたのが、いざ続いてみたら全然違う世界になって、価値観も変わってきて、自分も変わってきて、で、音楽の位置も変わってきて。でも、そのなかで結局、まだバンドがあるって、こんな幸せなことないから。それに苦しめられたこともあったのに、結局はそれが一番大事なものだったってわかってる。俺、自分の人生の中のプライオリティがわかってるから。命あって、バンドあるってほぼほぼ9割ぐらい幸せだって結論なので。

-死が身近になってというのは一般論ですけどね。

こういうふうになってみないと死のことを考えないっていうのは、そもそも100パーセントが死ぬのに、おかしいよねってBOSS(ILL-BOSSTINO/THA BLUE HERB)なんかと話してるときに、俺たちは社会が緊急事態のときばっかこういうことやってるよねってなったんだけど、いつもそういうふうに考えてるから、緊急事態じゃなくて通常営業なんだよね。だから、普通の人が"いや、そんなこと起きないよ。だって平和じゃん"なんて言ってるときは、俺たちは沈んでる存在になる。それはとってもわかりやすい。

-TOSHI-LOWさんが目立ってるときは緊急事態。

できれば社会がそうでないほうがいいと思う(笑)。

-そしてこの"Slow Dance"のライヴのスタイルはある程度の期間続けていくとか。

ある程度の期間というか、これはこれで面白いものだというのがわかったから。もちろんライヴハウスで肉体のぶつかりあいっこをするっていうのはもちろん、俺らのやっていきたい本筋ではあるけど、もしかしたら、映像とか自分たちのアイディアを使って、じっくり見てもらうことにおいて、自分たちのもっと深い部分とか内面を見てもらえるシリーズになったら、何年かに1回でもやれたらいいなと思っていて。結構、俺らシリーズって言って、ちっちゃいライヴハウスしか行かないとか、自分たちで何本か筋残してるの。今やったやめたじゃなくて、自分たちのやりたいことがいっぱい残っていくから、それもなんか、使い捨てじゃない、道がちょっとずつ増えてくっていうか――別に逃げ場を作ってるわけじゃないんだけど、なんかこのときはこういうことができるねっていう、1個の太い筋ができたなと思って。そしたら今度、映像を考えながら作る曲があってもいいかもしれない、今までそんなこと考えたことなかったから。ってなると、創作も楽しみが増えてくるなと。