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INTERVIEW

DIAURA

2021.03.31UPDATE

DIAURA

Member:yo-ka(Vo) 佳衣(Gt) 翔也(Ba) 達也(Dr)

Interviewer:杉江 由紀

見せかけだけのものはすぐボロが出ますからね


-yo-kaさんから見た「君へ黒の花束を」という曲が、どのようなスタンスをもって表現していく必要がある曲だったのかについても、ぜひ教えてください。

yo-ka:すぐにヴィジョンは見えました。DIAURAって、どこからどう捉えてみても、明るい世界を描いていくバンドではないですし。あとは、このコロナによる時代背景の影響もありましたよね。どうしても、今は音楽を生業にしている我々みたいな人間にとって、すごく生きづらい世の中になっちゃってますから。もちろん、この10年間にはいいことだっていろいろありましたけど、そういうこともすべて含めた我々にとってのリアルを、この曲では詞として書いていきたいなと思ったんですよ。

-なるほど。"凍り付く影と此処で終わるつもりはない"ですとか、"もう二度とは戻らない過去に濁りはない"といった歌詞フレーズたちには、まさにDIAURAとしての意志が託されているのですね。

yo-ka:強さが必要ですからね。この不安定な世の中にあって、我々がみんなに対して呈示する音楽には。DIAURAの音楽を待ってくれている人たちにとって、こうして僕らが届ける作品が小さな光にでもいいからなってくれたら嬉しいし、みんなにとって信じられるだけの強さを持っているものであるかどうかって、本当にすごく大事なことだと思うんですよ。

-実に頼もしいお言葉です。

yo-ka:こうして幸い10年続いてきましたけど、バンドを10年続けるって決して簡単なことではないですからね。でも、自分たちの力だけで10年続けられたのかといえばそれはちょっと違う話で、我々の音楽を"受け取ってくれる"人たちがいなければ、これは成り立たない話なわけですよ。そのことは去年から今に至るまでひしひしと感じていることでもあって、だからこそ、俺たちは今ここで自分たちにとってのリアルな想いを呈示しなければな、と考えたんです。つまり、「君へ黒の花束を」の歌詞にはDIAURAとして過ごしてきたこの10年間のことと、これからに向けた決意を示す言葉たちを込めました。それどころか、"今これをしっかり表現しないことには、DIAURAとしての存在意義もないな"くらいに感じていましたよ。

-しかも、そうした姿勢を表すにあたり、安直に"負けずに頑張ってこうぜ!"とならないところがDIAURAらしいなと感じます。いい意味で三つ子の魂を感じますね。

yo-ka:根が卑屈なんです(笑)。卑屈だから、こういう表現方法を選んだんでしょうし。だけど、この詞も全然ネガティヴなものではないんですよね。ここにある現実はネガティヴなものかもしれないし、今なんかは全人類がそれに直面しているわけじゃないですか。だけど、俺が見ているのはその先ですから。障害や障壁なんて、生きていたら誰しもがどんな形であっても、少なからずぶち当たるものだし。だったら全力でこのネガティヴな今と対峙しながら、さらに、全力で今を超えた先のポジティヴな未来に向かっていってやろうじゃないか、という気持ちでこの詞は書いているんですよ。

佳衣:この「君へ黒の花束を」はyo-kaの書いた詞とこの歌が乗ったとき、近年稀に見るくらいに感動しました。

-力強さを打ち出すために、いたずらに過激さを求めていないところもこの曲は素晴らしいと思います。極めて洗練された表現方法がとられている、ということなのでしょう。

yo-ka:見せかけだけのものはすぐボロが出ますからね。それもここまで10年やってきて感じていることのひとつで、流行り廃りなんていうのは当然あるものですけど、本当に大切なのものはいつだって自分たちの手の中にあって、その手の中にあるものを作品やライヴを通してみんなに手渡してきた10年だったなって。歌うにしても、演奏するにしても、DIAURAは常に等身大ですね。信じられるものが手の中には絶対あるから、俺らはこれからも何があったって流されはしないです。

-そうした意志の強さは、もう1曲の新曲「BUG」からも感じます。こちらは一転して、DIAURAの十八番であるアグレッシヴなサウンドが鮮烈に響くものとなっているだけに、バンドの持っている戦闘力の高さが目一杯に表されておりますね。

yo-ka:この曲、個人的にかなり好きなんですよ。"DIAURAがまたなんかやらかそうとしてる!"感をすごく感じてね(笑)。「君へ黒の花束を」とはまったく違う性格の曲なんだけど、実は歌詞としては言ってることがわりと近いし。この2曲は、ある意味で表裏一体なところがあるものになってます。

達也:僕もこの2曲はどこかで相通ずるものがあるなって感じてたんですよ。だから、サウンド的な違いはあるんですけど、気持ちの面では同じトーンで叩きました。

翔也:ベーシスト的には、「BUG」はできるだけタイトにしたかったですね。あまりこざかしいことはしたくなかったので、あえて人間っぽさを抑えた弾き方をしてます。

佳衣:特別難しい曲ではないはずなんですが、ギタリストとしては、"溜めと止めと決め"の三大要素をシビアにこなしていくのがなかなか大変でしたねぇ。ほんと、この曲は全体に流れているタイトな感覚をどれだけ表現できるかが重要だったので、頑張りました(苦笑)。

-なお、先ほど「BUG」は、「君へ黒の花束を」と表裏一体なところがあるとのお話がありましたけれど、そこをもう少し説明していただくことはできますか?

yo-ka:コロナ禍の中で、世の中は錯綜するいろんな情報に振り回されたじゃないですか。あれもダメ、これもダメなのかと思ったら、いきなりお上から"あれはやっていいよ、これもやっていいよ"とか言われてね。そのうえ、今度はまた"やっぱりダメ"でしょ。要するに、ちょっと前と同じことをしていても、情勢によって"お前ら何やってんだ!?"になっちゃうわけだし、自粛警察なんていうのまで出てきちゃって、結局なんなんだろうなこれは......と感じたというか。もがいたって、あがいたって、無駄なもんは無駄なんだよっていう気持ちから書き出したのが「BUG」だったんです。

-いやはや、今ここに"いいね"ボタンがあったら連打したいところですよ(苦笑)。

yo-ka:ただ、この詞では最後に"それでも信じてくれ"="believe me"ってなるんですけど、これは佳衣の作ってきたあのメロディに呼ばれた言葉で、そこをオチにする形で詞を書いていくことになったものでもあったんですよ。だから、結論としてはどんな情勢になろうとも、どんな事態になろうとも、DIAURAを信じろという歌になってます。まぁ、おんなじことを言うのに美しく表現したのが「君へ黒の花束を」だとすると、「BUG」のほうはすべてを剥き出しにしたものですね(笑)。

-このあと、今作『INCOMPLETEⅡ』は、未音源化楽曲であったという「BLESS」によって締めくくられます。最後にこの曲が置かれていることにも、おそらく大きな理由があるのでしょうね。

yo-ka:この曲は9周年ワンマン("DIAURA単独公演2019-2020「REBELLIONS PARADE」 -TOUR FINAL&9周年記念ワンマン-")のときに初めてやったんですよ。っていうことは、2020年の1月なんですけど。あれ以来3回しかやっていなかったから、聴いたことがない人も多い曲だと思うので、実質的には新曲みたいなものなんですけど、表記の仕方としては未音源化楽曲ということで収録することにしました。そして、この曲は俺たち自身がDIAURAに対して諦めていないからこそ、最後に入れられたものだと思ってください。

-この10年、たくさんの闇や、数え切れないほどの暗部を描き続けてきたDIAURAだからこそ描ける希望の光。それがこの曲の中には溢れていますね。

yo-ka:もう10年もやってきたし、そろそろいいんじゃないかとか。コロナでもうやってられないとか。少しでもそんなふうに俺たちが感じていたら、この曲をこのベストの最後に入れることはできなかったですよ。だって、ちょっとだけですけど、悩みましたもん。考え方としては、「BLESS」じゃなくて、「君へ黒の花束を」で締めくくるっていう選択肢もなかったわけではなかったから。

-しかし、そうすることはDIAURAにとって最善ではなかったのですね。

yo-ka:そういうことです。まだまだこれからの話ができるバンドだからこそ、俺たちは自分たちのファンである"愚民"たちに向けて送る素直な気持ちとして、最後に「BLESS」を置けたんです。どう転んでも、今DIAURAにとって呈示すべきものは確かな希望だったんですよ。そこに尽きます。

-だとすると。『INCOMPLETEⅡ』の発売後に控えている、5月からの"DIAURA 10th Anniversary『INCOMPLETE EDEN』tour"もまた、DIAURAと"愚民"のみなさまにとって、この先に向けた新たな希望を見いだしていく場になっていくのかもしれませんね。

yo-ka:とにかく、今回の『INCOMPLETEⅡ』自体が単なるベストじゃなくて、DIAURAの歴史そのものや、バンドそのものみたいなものなので、ライヴでも間違いなくここまでのDIAURAと今現在のDIAURAというものを、そのまま率直に表現していくことになると思いますよ。ちなみに、この"INCOMPLETE EDEN"っていうツアー・タイトルは、DIAURAが相当前から温めていたもので、0枚目のシングルとして出した『失翼の聖域』(2011年リリース)の歌い出しが"未完の楽園"でしたからね。そこから始まったDIAURAが、10年を経て"INCOMPLETE EDEN"という言葉を掲げてツアーをすることができるのは、我ながら感慨深いです。

達也:とはいえ、未だに来たくても来られないという人たちは、やり場のない悔しさを感じていると思うんですけどね。そういう人たちには、『INCOMPLETEⅡ』を通じて、僕らからの感謝の気持ちが届けばいいなと心から思っていますし、ライヴに来てくれる方たちには直接この感謝の気持ちを伝えていきたいです。

翔也:お客さんをいっぱいに入れてみんなで暴れて声を出す、みたいなことはできないとしても、ライヴの空間を本来の形に戻したいなと僕は思ってますね。要は、ちゃんと楽しめる空間にしてあげたいんですよ。それに、DIAURAって別にダークな雰囲気だけでもないんです。初めて観る人からは"楽しい雰囲気も結構あるんだね"って驚かれたりもしますし(笑)、今度のツアーでは守るところは守りながらも、みんなでハッピーになってもいいんじゃないかなって思ってます。

佳衣:去年もそうでしたし、今年やっている去年の分の振替公演とかも、DIAURAは様々な制限があるなかでずっとライヴをやってきているんですが、やっぱり文字通りライヴはバンドが生きものであることを実感できる場なんですよ。その時間を共有してくれているファンのみなさんにとっても、それはきっと同じことだと思うので、かけがえのないライヴという空間を1本ずつ大切にしながら、今度のツアーもやっていきたいと思っています。

yo-ka:うちらはとことん生にこだわってきたバンドで、配信ライヴとかもやってないんですよ。その点に関しては、"なんでやってくれねーんだよ!"っていう思いを抱えている人たちもいると思うんです。当然そこは俺たちも葛藤しましたけど、やっぱりDIAURAとしてはどんな形であろうと生きたライヴっていうものにこだわりたくて。

-お気持ちはお察しいたします。

yo-ka:目の前に"愚民"のみんながいて、歌って演奏することができる。それはとても幸せなことですからね。DIAURAとしては、そのライヴという神聖な場を、未来を信じながら守っていかなきゃいけないと思ってるんです。もちろん、いい加減もう慣れてはきましたけど、みんなとの距離を保たなきゃいけないとか、いろいろやりにくいのはやりにくいですよ? でも、そうすることで保たれる安心や安全があって、みんながちゃんと楽しむことができるんだったら、それはもう飲み込んでやっていくしかないわけで。だから、やれないことに対して嘆くのではなく、今やれることを、悔いを残さずステージ上でやっていきますよ。DIAURAとしてやるべきことを全力でね。