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INTERVIEW

KEMURI

2015.06.10UPDATE

2015年06月号掲載

KEMURI

Member:伊藤ふみお(Vo) 津田紀昭(Ba) 平谷庄至(Dr) コバヤシケン(Sax) 田中'T'幸彦(Gt)

Interviewer:吉羽 さおり

-今回17年ぶりのアメリカ・ツアーでしたが、90年代当時のツアーにも来ていたようなお客さんが、今回も観に来てくれているという感じだったんですか。

伊藤:まさに。

津田:結構いたよね、1998年のツアーで初めて観て、また来るのを待ってたっていう人が。まあ、おじさんだけどねやっぱり(笑)。

伊藤:いたいた。南米のコロンビアから来たとか、NYから来たとかね。

コバヤシ:ハワイとか、メキシコとか。メキシコ人に、"コバヤシケン!"ってフルネームで呼ばれたりして。

伊藤:(笑)だいたい、どこの会場も300人くらいなんだけど、こんな熱狂的なファンがいるんだなって。

-すごいことですよね、10数年間空いても、またライヴに来てくれているって。

伊藤:ほんとKEMURIってすごいなと思ったもん。

津田:KEMURIが好きで、日本に来たっていう人たちもいたんですよ。

伊藤:こないだの"SUMMER CAMP"にも、カナダから来たっていう子がいたね。

津田:若い子も結構、曲とか知ってくれていて。

伊藤:観に行っていたときは子どもだったけど、でも今はレコード・レーベルをやってるとか。レコード屋さん始めたとか。結構いるんですよ。

コバヤシ:13歳のときにKEMURIを観たって言ってたっけ?

伊藤:そうそう。"1998年の「SKA AGAINST RACISM tour」のときは13歳で、両親が会場まで送ってくれたんだ"って言ってた。そのときは7バンド出たんだけど、KEMURIは出順が早かったんだよね。"KEMURIは早かったから観れたんだ"って。子どもだったから遅い時間までいれなくて"LESS THAN JAKEが観れなかったんだよ"って。で、"今日俺、誕生日で30歳になったんだよ"って。え、まだ30歳なの!?ってびっくりしたけど(笑)。

-今回ベスト・アルバムということでもあるので、これまでの活動についても振り返ってお訊きしていきたいんですが、90年代のころは、アメリカにも日本にも軸足を置いて活動しようというものだったんですか。

伊藤:ほんとそういうつもりだったんです。アメリカでもスカ・バンドは超人気があったし、KEMURIもアメリカのRoadrunnerから作品を出していたから。

-わたしがKEMURIを知ったのも恐らく90年代後半くらいだったと思うんですが、当時の印象だと逆輸入バンドというイメージもありました。

伊藤:そうだね。あまり日本でライヴやってなかったよね。まあ、いろんなことがあって、アメリカでツアーするのはすごく大変だし、日本での状況がよかったから特にアメリカに行かなくてもっていう感じになったんだよね。なんでだかわからないんだけど。

-当時、日本のシーンも盛り上がっていたんですね。

津田:KEMURIがやりだしたころはね、Hi-STANDARD全盛期だったしね。

伊藤:"AIR JAM"に出たわけじゃなかったですけど、やっぱりお互いライバル意識を持ちながら凌ぎを削り合っていたイメージがあるかな。いいライヴをやる、フジロックとかフェスに出ても、海外のバンドよりもガツンとやってやるっていう、そういうのはあったね。

-特に洋楽も元気だった時代でしたしね。なかなか日本のバンドに目がいかない人もいたかもしれませんね。

津田:たしかにね。

伊藤:日本のバンドはそんなに人気があったわけじゃないんですよね。一部のKEMURIとかハイスタとかBRAHMANとか以外は、若手のバンドはなかなかライヴにも人が入らないとかね。

-それが今は状況が逆転していますね。国内のバンドの方が熱量がある状況にもなっている。

伊藤:印象的には、当時は激しくて新しいものっていうのがすごく面白かったんですよね。Hi-STANDARDにしてもそうだけど、激しくて英語で歌ってて、スタイルも新しくて。ただそこから、曲調も結構メロコア・テイストだけど、日本語で上手に歌を歌ったりとか、とっつきやすい感じにもなっていって。2000年代は、お笑いブームとかだったのかな? 激しいっていうよりも、面白いバンドがどんどん人気が出ていった感じがするんだよね。