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激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

激ロック × ROACH

2015.08.19UPDATE

2015年08月号掲載

激ロック × ROACH

Member:taama(Vo) くぼっち(Gt) 勝也(Ba) Daisuke(Dr)

Interviewer:村岡 俊介(DJ ムラオカ) Photo by 石原 慎

-アルバムを聴いてみて、肩の力が抜けて自然体なイメージだったんで、"俺たちはこうじゃないといけない"っていう固定概念がなくなったんだろうなって思いました。悩んでる感が減ったというか。

taama:あぁ、そうですね! 悩むことはたしかに減りました(笑)。あとはSECRET 7 LINE主催の"THICK FESTIVAL"に出演したのも大きかったですね。広い視点で見たときに"この曲だったらこういう感じなんだ!これだけ距離があったらこんな感じなんだ!"って改めて感じられたのは大きかったですね。ちょうど曲作りをしてる最中だったので、確実に影響はもらってます。

-沖縄独特のメロディへのこだわりは東京に出てきてから変化したかな?

Daisuke:"明日から東京に住みましょう"って一区切りあって東京に住み始めたわけじゃなくて、行き来がどんどん増えて、いつの間にか住んでたので全然変わらないですね。

-Track.7「Hands」でAIR SWELLのhamakenさんをゲストに迎えてるけど、ロカホリで行った合同リリース・パーティーでもすごく仲良さそうだったよね。彼と知り合ったきっかけを教えてください。

taama:きっかけはツアーですね。ちょうど同じタイミングでAIR SWELLもリリースをしてて、その時に一緒にツアーを回ったのがきっかけですね。そこで仲良くなりました。

- hamakenさんをゲストに迎えようと思ったのはなぜ?

taama:単純にAIR SWELLが『All Lead Tracks』を出したときにゲスト・ヴォーカルで誘ってもらって(※taamaは同作の「バイバイゲロメタル」に参加)、"次は俺にゲスト・ヴォーカルやらせてよ!"って話があったので、"じゃあ今アルバム作ってるから1曲一緒にやろうよ"って流れですね。

Daisuke:貸したものを返してもらうって感じですね。

一同:(笑)

-話は変わるけど、沖縄というある意味アメリカと非常に近しいエリアで育ってきたみなさんは、ロックとファッションが自然にクロスオーバーするカルチャーで育ってきたんじゃないかと思うんだけど実際のところどうなんだろう?

taama:地元の先輩が立ち上げたストリート・ブランドとかショップが沖縄にいくつかあったんです。その通りがすごく盛り上がっていて、そこに同じように音楽も集まっていた感じで、よくそこにいましたね。なのでファッションに関しては僕はアメリカからというよりは県産品です。

一同:県産品(笑)。

taama:"SIDE SWIPE"と"WOODCHUCK"ってブランドがあって、今はちょっとわからないんですけど、当時は雑誌にも載ってて。今こうやって渋谷でたくさんのブランドが店を構えてバンド・シーンと交流を持ってるっていうのと同じ環境を沖縄で体感する機会をもらった場所で、そこが俺のスタート・ラインですね。それに憧れて、音楽をやるか、アパレルをやるかって、10代のころに悩んでたこともありました。

-沖縄発のブランドだったんだ。

taama:沖縄のストリート発って感じでしたね。沖縄の地獄車をサポートしてたりしてましたね。あとMONGOL800とか。

くぼっち:僕らが音楽を始めた10代のころって、音楽とファッション両方盛り上がってる時期で、完全にリンクしてましたね。

taama:両方に憧れてた感はありますね。

くぼっち:バンドマンなのか、ただのお洒落な人なのか、歩いてるところを見るだけではわからなかった(笑)。

-海外のバンドTシャツなんかも着てたのかな?

taama:バンTは着てたんじゃないかな? 基地の近くでバンドTシャツをたくさん売ってるところがあって、EMINEMとかSLIPKNOTとかズラっと(笑)。