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INTERVIEW

AGGRESSIVE DOGS / EDGE OF SPIRIT

2009.04.20UPDATE

AGGRESSIVE DOGS / EDGE OF SPIRIT

メンバー:UZI-ONE(AGGRESSIVE DOGS / Vo)・SHO(EDGE OF SPIRIT / Vo)


-またUZIさんが九州の出身、SHOさんは関西の出身ですが、それぞれのエリアのハードコア・シーンに関してはどのように感じていますか?

S:関西は、そうですね。僕自身は神戸からバンドを始めたんですが、みんなやっぱりパワーはありますね。関西には一種独特な文化があって、特にクローズアップして言えば大阪のハードコア・シーンですね。僕は東京に来てからよくこういうことを言うのですが、大阪は凄くバンドをやり易い環境が整っていて、その原因というのはまぁアメ村なんですけどね。というのも大阪に居ると、仕事をするのもアメ村で、遊ぶのもアメ村で、バンドの練習、ライヴをやるのもアメ村でという感じでして・・・

U:悪さをすんのもそうだよな(笑)

S:そう。おねぇちゃんをナンパするのもアメ村なんですよ(笑)とりあえず、何をするにしても全部アメ村なんですね。で、そういう街っていったら日本で他にはまったくないんですよ。そういった環境を意図してみんな生かしては無いとは思うんだけど、自然とそういった環境でしか生まれて来ないものっていうのがあるんですよね。東京に来てから以前よりも強く、それを感じますね。

U:そうだよね。東京ってやっぱり違うもんね。

S:東京でバンドを始めても一年後にたくさん知り合いは増えているとは思いますけど、全部わかるかっていったら絶対に分からないと思うんですね。でも、アメ村に一ヶ月住んで一ヶ月遊べば全部わかるんですよ。そこが良いところなのかなと思うんです。逆にヘタうったらもう飛ぶしかないですけどね(笑)

U:俺もそうなんだけど、九州から東京に出てきたときに思ったのが、広すぎて見えないっていうところなんだよね。どこまでが見えて、どこまでが見えないか分からないんだよね。

S:関西のシーンに関してはそんな感じかなと思いますね。あとは長く続けているバンドが多いので、特にハードコアというジャンルに特定すればいつの時代にバンドを始めてもキチンと先輩が居て、時代の流れもわかってやっていける環境っていうのは有難いんじゃないのかなと思いますね。

U:SHOがバンドを始めた頃っていうのは、俺なんかよりも年上のバンドの人なんていっぱいいたもんね。

S:やっぱり、バンド自体は無くなってしまっても、その人たち自身はシーンに残っているんですよね。だから色々とその当時の話だったりとか、情報を容易く手に入れることが出来るんですよね。

-九州のシーンについては如何ですか?

U:九州のシーンはね、今みたいな環境っていうのはまったく無くて、そうまぁSHOとは時代もずいぶん違うからね。実際もう25年くらい前の話でしょ?本当にそのハードコアというよりは音楽のシーンが何も無かったんだよね。

S:いまちょっと質問を聞きながら思ったんですけど、結構UZIさんにその質問っていうのは難しいのかなと。というのも、何も無かったときから、何でもある現在まで活動しているのって言うのはDOGSだけだから、そういう積み重ねをしてきたのはDOGSだけだしが逆になんかそういう質問は難しいですよね(笑)

U:そうだね(笑)昔地元にはレコード店すら無かったからね。当時はCDじゃなくてレコードだったんだけど、この手のジャンルのレコードを扱っているお店は北九州にはひとつも無かったね。福岡に一件あるかないかって感じだったと思う。それもベスト電機っていう大型の電機店があるんだけど、あそこに唯一こういったジャンルが好きなバイヤーが居てハードコアなんかのレコードが置いてあったんだよね。で、そこにガキの頃からよく行ってたなー。中学校一年の頃からよく行ってたね。

S:少し余談になっちゃうんですけど、昔UZIさんに言われて鮮明に覚えていることがあって。それはUZIさんに俺が25年前のハードコア・シーンってどうやったんですかってことを聞いたことがあって、その時にジーパンに穴が開いている奴なんかおらん時代やったんやぞ、髪の毛が金色になっている奴なんておらんかったと聞いて、その時代にパンクやハードコアをやるっていうのはどんな感じなんやったんやろうと想像すると凄いことやったんやろうなと思いました。それは誰も受け入れてくれないし、誰も理解してくれないんだというところから始めたんだと思うと凄いなと。そういう話を聞いたことを今でも鮮明に覚えてますね。

U:本当にそうなんだよね。ジーパンの膝が破けとったらあんた乞食じゃないの?っていわれるくらいだったんだよね。あんたそんな貧乏くさいものを履いてないで新品のものを履きなさいって言われるような時代なんだよね。髪の毛を金髪にしようものなら昼間は表を歩くなって言われたんだよね。そんな時代にモヒカンにしたときは本当に大変だったよ。周りすべてが敵になったよね。北九州っていうところは当時からヤンキーが多い街だったのよ、でも俺はモヒカンにしてヤンキーよりも目立ってるわけじゃん。金髪でモヒカンなんて誰も居ないからさ。そんな格好でバス停でバスを待っていたら俺の前にバリバリに改造したヤン車が止まって「なんだお前のその頭は」ってすぐに喧嘩になるんだよね。自分たちより目立ったからね。
ライヴハウスは無い、ジーパンが破けていたら文句を言われる、バス停でバスを待っていたら喧嘩になる、もう世の中すべて敵だったね。そういう時代だったの、ハコとかも全然なくて唯一ロックが好きな人がやっている喫茶店があってそこでビデオが観れるようになっていたのね。行くところもないし、お金も無いから仲間とそこにずっと集まっていたんだよね。それを見ていたそのおじさんが日曜日に喫茶店を貸してくれるって言ってくれて、自分たちでビールケースを集めてきて、工事現場からベニア板を集めてきてステージを作ってライヴを出来る環境にしたんだよね。チケットも色画用紙を買ってきて自分たちで作っていたよ。福岡でもライヴハウスなんて一件あるか無いかだった。そういう時代だったよ。