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2023.12.10 18:20 | アーティストニュース
眩暈SIREN、解散を発表
眩暈SIRENが、解散することを発表した。
オフィシャル・サイトでは、解散の理由について"バンド活動における方向性、価値観の違い"と説明。2024年2月に1曲を発表し、その1曲をもって眩暈SIRENはすべての活動を終了する。
メンバー・コメントは以下の通り。
■京寺(Vo)
皆さま、いつも応援いただき本当にありがとうございます。
突然の発表となってしまいましたが、眩暈sirenは解散する事になりました。
まだまだ沢山の景色を皆さまと共に見ていきたかったのですが、メンバー同士で話を重ねてこの答えに行き着きました。期待して応援して下さった皆さまにはとても申し訳ないです。
自分自身もこの選択を選ぶしかなかった事をとても寂しく感じています。
けれどバンドは一人ではなく色んな人が集まり同じ方向を向く事で初めて成立するものなので、今までそれを続けていられた事を嬉しくも思っています。
そしてそれが無くなろうとも、メンバーそれぞれが自らの人生をより良く進んでいく事を、自分は何よりも応援していきたいと思っています。
ありふれた事を言いますが、共に眩暈sirenとして歩んでくれたメンバーのみんな、今まで一緒に眩暈sirenをやってくれて本当にありがとうございました。
辛い事も苦しい事もあったけれど、それ以上に自分の人生においてとても楽しい日々ばかりでした。
最後に、これまで応援していただいたファンの皆さま、活動に協力して下さった皆さまに改めて感謝を申し上げます。
そして、それぞれの夢へ向けて進んでいくみんなをどうかこれからもお見守りください。
■オオサワレイ(Gt)
先立ちまして、このようなご報告となりました事を心よりお詫び申し上げます。
バンドを続けていく中で他のバンドの解散を何度も見てきました。
解散の理由は様々でした。
方向性の違い、年齢、不仲、生活苦、モチベーション、etc.
悲しい場面に何度も立ち合いましたが、それを横目に自分達は大丈夫だという根拠のない自信もありました。
ですが、他のバンドが経験した「問題」という怪物は自分達の薄皮一枚隔てたすぐ隣で常に息を潜め、少しずつですが着実に成長していました。
音楽を中心に生きていくという難しさは理解しているつもりでしたが、いざ自分達がそのような場面に出くわした時。
薄皮一枚隔てていたそれは自分達の想像よりも遥かに大きい怪物となっていました。
年齢の問題。
個人の問題。
家庭の問題。
便宜上公式では方向性・価値観の違いと表記させていただきましたが、今羅列したものに収まらずメンバーそれぞれの抱える様々な問題が複雑に絡み合い、結果として方向性・価値観の違いとして現れ、活動が出来るとはとても言えない状況でした。
この様な結論となりました事は本当に心苦しく、また応援をしてくださった皆様への自責の念でいっぱいです。
眩暈SIRENは一度終わります。が、今後どうなるかは自分達含め誰にも分かりません。
10年後か20年後かに再結成するかもしれない。
メンバーそれぞれ他のバンド、ソロ活動に進むかもしれない。
共通する事は
閃いた音が音楽と成り、作品として世に出せた瞬間の喜びは何物にも代えがたいです。
僕自身は大好きなゲームをしながらギターをつま弾いて、良いなと思える作品が出来たらどこかで発表でもしようかなと思います。
最後に今まで応援してくださった皆様方へ、本当に、本当に心からの感謝を申し上げます。
本当にありがとうございました
■森田康介(Ba)
眩暈SIRENというバンドは、おそらく3、4年で解散していたはずのバンドでした。
それを11年やってこれたのは携わってくれた方々や応援してくれていた人達のおかげです。
本当にありがとうございます。
そして、散々待たせた上にこのような結果になってしまい本当に申し訳ございません。
昔、先輩に「バンドは続けることが一番大事」と言われました。
最近になって本当の意味で理解できたかと思います。
いろんな土地に行き
たくさんの人と出会いました。
狭く浅くを生きてきた私にとって
バンドをやらなければ
ここまで人と深く関わる事はなかったかと思います。
バンドメンバーといる空間は
とても居心地の良い場所で、これからもこの関係が続けばと思います。
正直、「やりきった」とは思ってはいませんが、眩暈SIRENはここまでです。
今まで我々によくしてくださり本当にありがとうございました。
そしてこれからも仲良くしてください。
また会いましょう。
■仄雲(Dr)
この度、眩暈SIRENは解散することになりました。
平素より多くの方から温かい応援と期待のお声を頂いたにも関わらず、解散という形になったこと誠に申し訳無く思います。
動けなかった理由は、バンドのアナウンスにもありましたが「バンド活動における方向性、価値観の違い」が大きく関わっています。
「バンドに対する認識」が少しずつズレていってしまった様に感じます。
動くことができない、伝えることができない、もどかしさの中「ファンの優しさに甘えないでください」など、厳しいご指摘も頂きました。この場を借りて説明不足だったことを謝罪させてください。
僕は仕事でドラムのサポートや「久遠」というバンドもやっています。「眩暈はやらないの?」とよく言われていました。
本気でやっているのは「眩暈なのサポートなの久遠なの?」とも言われました。
「自分にも何かできないか」と思って始めた久遠ですが「代わり」に始めた訳では決してありません。
僕は全部本気でやっています。
そして、それぞれのバンドは"やっている意味"が違います。
「久遠」は僕が作詞作曲をし、自分の想いを言葉と音にのせて表現、具現化する為に。
「眩暈SIREN」は"五人の表現を摩擦して音楽に昇華"する為と、
京寺の唄、歌詞で
レイの叙情ギターで
康介君の変則ベースで
ウルの流麗なピアノで
バンドをやりたかったからです。
お互いがお互いをリスペクトを持っていたからこそ、全員が代わりがいないからこそ今回の解散に行き着いたのだと思います。
約一年間もの動けなかった間いろんな葛藤がありました。正直、解散なんてせずにずっと残しておきたかったという気持ちもあったし、「お客さんの為にも残したい」なんてことも考えたり、実際にそういった意見もいただきました。
だけど、後ろめたさを引きずらせながら苦しんでいるメンバーに、続けることを強いることは本意ではないし、できませんでした。
ここまで続けられたのはこの五人だったからです。
今、僕にはやりたい事があります。明確に明瞭に、目標もあります。
それはこのバンドを通して音楽を続けてこれて思えたことです。
応援してくれている皆様のおかげです。そんな皆様に最後の一曲を残し、何も提示できないというのが申し訳ない気持ちでいっぱいです。その気持ちは日に日に大きくなっていくばかりです。
思えば、皆様にはもらってばかりでした。
楽しかったことも、嬉しかったことも、叫びたくなる様なことも、
僕らのバンド活動に意味を持たせてくれたのは間違いなく皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
メンバーとは、
沢山喧嘩して、今まで沢山傷つけてきました。
バンドと自分の小さな心を守るために、自分だけを信じて舵を取り、メンバーを振り回したり、色んな想いを踏み躙ったりしました。それなのに見捨てないでくれて、こんな俺と10年間もバンド続けてくれて本当にありがとう。鬱陶しい瞬間なんて沢山ありましたが、それは僕にとって家族みたいな感覚だったからかもしれません。
幸せなバンド活動でした。
僕もこのバンドに救われたファンの一人です。
沢山人に出会い、間違いなく「自分」を、人生をかけて形作ったものでした。
本当にいいメンバー、関係者様、そしてファンの皆様に恵まれました。
たまに思い立ったように聴いてみて何か思いが、思い出がフラッシュバックする様な、いつでも皆様の近くに寄り添える音楽であります様に。
これからも間違いなく僕の誇りです。
以上、
眩暈SIRENドラムの仄雲とNARAでした。
追記>>>
特に仲が悪くなったということではないので、これからもたまに連絡は取りますし、別件の音楽活動でも関わると思います。温かく見守って頂けますと幸いです。
■ウル(Pf)
まずは、眩暈SIRENが解散すること、何も出来ない期間が長く続いたこと、みなさまに何もお伝えすることができなかったことを深くお詫び申し上げます。
本当にごめんなさい。
思えばとても長いようで、あっという間の時間を眩暈SIRENとして過ごしてきました。控えめで優しくて周りを気遣うことが出来るメンバーの多いこのバンドで、対照的にとにかく自己主張が激しく言いたいことは空気を読まずに言わないと気が済まない僕の存在は加入当初はさぞかし鬱陶しいことだったろうなと思います。
それこそ加入後数年は(だいたい僕がきっかけで)喧嘩することもたびたびありました。
それでも根気強く一緒にバンドを続けてくれたデラ、レイ、こうすけくん、仄雲には本当に感謝しかありません。
仕事仲間でもなく、ただの友達でもなく、家族でも兄弟でもなく、メンバー同士だからこそ分かる空気感、ひとつ同じ音楽の元に集まった同志といいますか、その関係が何にも代えがたく僕にとっては何よりも大事な居場所でした。
眩暈SIRENとして成すことができたことは僕にとって誇るべきものです。
ただ、それ以上にリハスタでの雑談、ツアーの移動中にどうでもいいことで延々と笑いながら運転したこと、お金が無さ過ぎてみんなで「福岡に帰れなくね...?」と青ざめたこと、ツアー先であえてネットを使わず飲みに行く場所を歩いて探したこと、5人で何かをすること自体が楽しいと思える日々でした。
(時に険悪なったりもするのですが、結局は「まぁ、楽しいからいっか」に帰結するのです。個人的に。)
じゃあなんで解散しないといけなかったんだろうとも思うのですが、バンドに限らずどんな物事も時間の経過による変化は等しく起こるわけで、僕たちにとってのその変化の結果としての「解散」なのかな、と。
僕のわがままだけでいうなら、眩暈SIRENとしてもっと曲も作りたかったし、ライブもしたかった。まだやれると思ってるし、結果が出なくてもみんなとバンドが続けられるのであればそれでもよかった。
そして何より辛いのは、全てを過去形で語るしかなく、未来の話が出来ないことです。
けどこの5人でやるからこそ意味のある眩暈SIRENなので、そこが上手く嚙み合わないまま続けるということは出来なかったし、なによりみんなそれぞれの考え方を尊重したかったので、この結論とすることに異論はありません。
ずっと待ってくれていたみんなには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
個人的にやっていた配信でもみんなが眩暈SIRENの活動を気にしていたのは分かっていたし、なんとか時期がくればまた何か発表したいと思っていたのですが、結局できなくて本当にごめんなさい。謝ってすむことでもないですが、せめてもの気持ちを最後の1曲に込めさせてください。
眩暈SIRENでなければ出会えなかった人たち、できなかったことが沢山あったと思います。これほど恵まれたバンド人生を送れたことは本当に喜ばしいことでした。
メンバーだけでなく、応援してくれたみんな、眩暈SIRENチームのみんな、本当にありがとうございます。
11年という期間を一緒に歩んでくれたことは僕の一生の支えです。
今ちょうど、眩暈SIRENを聴きながらメンバーからのコメントをまとめつつWEBサイトを更新しつつこれを書いてましが、色々思い出すことがあり過ぎて、なかなか文章がまとまらず困っています...
そろそろくどくなりそうなのでこの辺りで締めたいなと思います。
間違いなく、眩暈SIRENは僕の音楽であり人生であり、生活であり、命の一部でした。
眩暈SIRENが存在したという事実、作った音楽は消えません。それを胸に刻んでこれからも生きていきます。
よければみなさんも時々、僕らの音楽があったことを思い出してくれると嬉しいです。
デラ、レイ、こうすけくん、仄雲、本当にありがとう。
みんな本当にありがとう。
What will be, will be.
さようなら。
またどこかで会いましょう。
<皆様へ大切なお知らせ>
— 眩暈SIREN (@memai_fukuoka) December 9, 2023
眩暈SIREN解散についてhttps://t.co/j6XJIwmhs4