INTERVIEW
HOOBASTANK
2018.05.16UPDATE
2018年05月号掲載
Member:Douglas Robb(Vo)
Interviewer:山本 真由
ロック・シーンきってのメロディ・メーカー HOOBASTANKが、前作『Fight Or Flight』から約6年ぶりとなるスタジオ・アルバム『Push Pull』をリリースする。これまで、2~3年に一度はアルバムを発表してきた彼らからすると久しぶりのリリースではあるが、リリースがなくても来日してくれるバンドだけに、ファンにとって"待たされている感"は少なかったのでは。今回のインタビューでは、日系人でもあり、親しみのある人柄のフロントマン Douglas Robbが、充実した新作の制作現場の様子から、自身の家族との微笑ましいエピソードまで、ここ数年のバンドの近況を詳しく語ってくれた。
-新作『Push Pull』の完成、おめでとうございます。実は海外リリース日が私(通訳)の誕生日なので、個人的にもとても楽しみにしています。
君の誕生日に合わせて作ったんだよ! ハッピー・バースデー(笑)!
-ありがとうございます(笑)。まずは、ここ数年のバンドの活動について教えてください。日本にも数回いらしていましたよね。
他のところにも数回行ったんだ(笑)。アメリカ国内でも世界中でも、あちこちでプレイしたよ。2005年ほどものすごく忙しくはなかったけど、できるだけ家族と一緒の日常生活とのバランスを取ろうとしていたね。
-昨年は、OLDCODEX、AGAINST THE CURRENT、coldrainらと共に、東名阪を回るツアー"ONE THOUSAND MILES TOUR 2017"(9月開催)に出演しましたが、フェスとも単独公演とも違う形式の来日ツアーはいかがでしたか?
すごく楽しかった。素晴らしいと思ったよ。たしかにフェスより規模は小さかったけど、ビッグなバンドとツアーできたし。そして、いわゆる単独公演でもなかったから、両方のいいとこどりができたような気がするんだ。
-共演してみたい日本のバンドや、気になっている日本のバンドはいますか?
日本のバンド? "ONE THOUSAND MILES TOUR 2017"での日本のバンドとの共演は心から楽しかったな。中でもcoldrainは素晴らしかったね。シンガーのMasatoと話せたのも良かった。僕と彼の今までの人生での共通点を語り合ったりしたんだ。彼も僕も日本人とのハーフだからね。彼のお父さんは日本人で、お母さんはアイオワ出身なんだけど、僕は母親が日本人で父親がアイオワ出身なんだ。
-なんと。
その話をするのはとても興味深いものがあったよ。彼は日本で育って、僕はアメリカで育って。だから彼は不思議な形で、鏡写しになった僕みたいな感じだったんだ。
-ものすごい偶然ですね。出身地まで一緒だなんて。
でしょ?
-前作『Fight Or Flight』(2012年)のリリースから約6年が経ちました。これまで、2~3年に1枚は新作をリリースしてきたことを考えると、これまでになく作品リリースのスパンが空いていますが、これだけの時間がかかったのはなぜでしょう?
うーん、理由はひとつだけじゃないからなぁ。今思えば、バンド全体が疲れてしまっていたのかもしれない。曲を書いて、レコーディングをして、ツアーをしての繰り返しで。誰も"あーあ、疲れちゃったな、休まないと"なんて話はしていなかったけど、暗黙の了解みたいな感じだった。ドラマーのChris(Hesse)と僕はまだ子供が小さかったから、子供たちともっと時間を過ごしたいと思ったしね。だから、新しい曲を書いてまたツアーに出るということに関しては、特に急いでやろうって感じじゃなかったんだ。そうすると家族から離れちゃうからね。それで特に期限を決めずに休んでいたんだ。でもその間も曲はずっと書き続けていたし、アイディアも出し合っていた。そんな時期が続いて、アルバムをどんな形でリリースしたいのかわからない境地に来たんだ。果たしてフル・アルバムを出していいものなのか、それとも曲がひとつできるたびにリリースすべきなのか、それとも6ヶ月ごとにひとまとまりの曲を出すべきなのか......どうすれば僕たちにとってベストなのかを見いだそうとしていたんだけど、またフル・アルバムを作ることになって(笑)。でも、何か違うことをやろうかなんて模索していた時期もあった。そうこうしているうちに"うわ、また1年経っちゃったよ"みたいな感じになって、こんなにたくさん曲のアイディアがあるのにどうしようかと。
-コンセプトを決めるのに2年かかったと資料にありましたが、それも理由かも知れませんね。そのコンセプトを見つけられたきっかけは?
きっかけは、僕に言わせれば、プロデューサーのMatt Wallaceだね。彼と出会ったのは、実は2000年に初めてのアルバム(『Hoobastank』)を作っていたころだったんだ。そのころはいろんなプロデューサーと面談して、誰に手掛けてもらおうかと検討していたんだよ。結局、レコード会社との契約を取りつける手助けになってくれたプロデューサー(Jim Wirt)と組んだんだけどね。でも、そのあとも"Mattと一緒に組んだらどんなアルバムができるだろう"とはずっと思っていた。しかも、彼は僕たちと比較的近いところに住んでいるんだ。たしかDan(Estrin/Gt)が時々近所でばったり会っていたんじゃなかったかな。それで2015年あたりからDanが個人的にも会うようになったんだ。だから、2015年がきっかけだね。そのころにはメンバーもみんな"前作から3年も経ったし、そろそろ次作の話をするか"って感じになっていたんだ。それでMattに声を掛けた。彼はチアリーダーみたいな役割をしてくれたね。モチベーションもインスピレーションも刺激してくれた。最終的に全員が同じ状態になるには少し時間がかかったけどね。ビジネス的なリリースのタイミングとかもあったし、僕たちに時間があっても彼にはないときや、その逆もあったし。1年半くらいかかったかな。2015年と2016年の大半、彼が時々声を掛けてくれていた。で、2016年の9月、それとも8月下旬だったかな......正式にプロダクション段階に入ったんだ。
-Mattとは以前から知り合いだったものの、ようやく機が熟して一緒にアルバムを作ることになったということですね。
そう。ずっと一緒にやってみたかったのが、最後にようやく惑星直列みたいにすべての条件が整った感じだね。
-でも一緒に仕事したのは初めてだったんですよね。どんな刺激がありましたか。
今までたくさんのプロデューサーと仕事をしてきて、みんな少しずつ違ったけど、Mattが得意なのは......ほら、プロデューサーっていろんな役割があるからね。仕事を共にするミュージシャンのベストな部分を引き出さなければならないのはもちろんだし。彼はとてもポジティヴな人なんだ。各メンバーが、自分の生業を心から気持ちよく行うことができるようにするのが得意な人だと思う。プロデューサー兼セラピストって感じかな(笑)。
-(笑)それって最高じゃないですか。
そうなんだよ。それぞれの心のスイッチを正しく押してくれる。しかも、それらのスイッチは各人で違うんだ。つまり、彼が僕のベストな部分を引き出すには、DanやJesseやChrisにやるのとは違う形で引き出さないといけない。でも彼はそういうのがものすごくうまいんだよ。それにバンドが進み続けられるようにしてくれるのもうまいんだ。たぶん他のバンドとやるときもそうだと思うけど、バンドが自分自身に対して批判的になりすぎないようにしてくれる。とにかく僕たちを自由な気持ちにしてくれるんだ。"さぁ、やってみよう!"って感じでね。