MENU バンドTシャツ

激ロック | ラウドロック ポータルサイト

INTERVIEW

メトロノーム

2018.03.02UPDATE

2018年03月号掲載

メトロノーム

Member:シャラク(Vo) フクスケ(Gt) リウ(Ba)

Interviewer:杉江 由紀

-では、歌う側の立場からすると「弊帚トリムルティ」という楽曲に対して、シャラクさんはどのような見解をお持ちでしたでしょうか。

シャラク:サビ始まりのキャッチーな曲なので、"何かの主題歌にでもなりそうだな"ということは感じていましたね(笑)。歌っていくなかでは、特にサビのファルセットのところがヴォーカルとしての大きな聴かせどころになっているんじゃないかと思います。ここ、節回しがすごく難しいんですよね(苦笑)。それでも自分的にはなんとかうまくやれたので、みなさんにもそのあたりをぜひ聴いてもらえたら嬉しいです。

-また、「弊帚トリムルティ」の歌詞はシャラクさんが書かれたものになります。タイトルからしてやや難解なのですが、この詞の内容は何をきっかけにして生まれていったものだったのかも非常に気になります。

シャラク:流れとしては、先にQUATTRO東名阪ツアー"弊帚トリムルティ[ 05→98→18迄-7=20 ]"(2018年3月に開催)のタイトルがもう決まっていたんですよ。これ自体は、フクスケさんが"こんなのどう?"とアイディアを出してきてくれたものだったんです。

-フクスケさんとしては、何を思い、何を意識してこの言葉を選ばれたのでしょう。

フクスケ:四文字熟語のひとつに、"弊帚千金"という言葉があるのを少し前に知ったんですよ。当時は読めもしなかったし(笑)、意味もまったくわからなかったんですけど、"使い古したものだとしても自分のやってきたことには千金の価値がある"ということを表した言葉だと知って、これはメトロノームの20周年を迎えるにあたって使える言葉だな、と思って自分の中にストックしておいたんです。それを今回ちょうどこのタイミングで引っ張り出してきた、ということですね。

-"弊帚"の意味はよくわかりましたが、一方で"トリムルティ"というのは?

フクスケ:トリムルティはインド仏教で言う、三神一体のことですね。異なる3つの神が同等の力を持っているということを表している言葉で、その構図を我々メトロノームの3人になぞらえました。と同時に、"弊帚トリムルティ"としたときには弊帚に"並走"という意味も重ねているところがあります。

-なるほど、ダブル・ミーニングになっていると。

フクスケ:つまり、この20周年という節目を三神で並走しながら、自分たちのやってきたことには千金の価値があるということを肯定していこう、という意味合いなわけです。

-今回のアーティスト写真のデザインが、どこかオリエンタルな雰囲気になっているのはそのことも影響していたのですね。

フクスケ:そもそも、メトロノームは初期にもそういう宗教的なイメージを歌詞の内容でも表現していたことがありましたから、これはそこに対するセルフ・オマージュでもあるんですよ。ただ、当時そのままみたいな感じではなくて、よりポップなかたちでの提示をしてはいますけどね。

-いずれにしても、自らを神! と言い切ってしまうあたりがなんとも潔いですね(笑)。

フクスケ:一応、何件か前のインタビューまでは"ちょっとおこがましいんですけど......"っていう言葉を最初につけていたんですけどね(笑)。このところは、もうそれすらやめてしまいました(笑)。

-いかんせん、そこは20周年ですからね! 何もへりくだることはないですし、ここは大手を振って"メトロノームとは三神一体である"と言い切って差し支えないはずです。

フクスケ:ですよね(笑)。

-かくして、"弊帚トリムルティ"という言葉を受けてのシャラクさんは、この曲の歌詞をどのように書き上げていかれたのでしょうか。

シャラク:あぁ......気持ちの面ではアレですね。オッサン3人でここからまた頑張るよ、みたいな(笑)。噛み砕くと、そんな感覚で書いていきました。あと、その3人の中に自分を混ぜてくれてありがとう! という感謝もここには入っています。

-わざわざ神と名乗るわりには、だいぶ腰が低くはありません?

シャラク:そう......ですね(苦笑)。

-しかも、"残された僅かな時間"というフレーズも少し気になりますよ。

シャラク:そこはまぁ、個人的にお酒の飲みすぎとかでいつ死ぬかわからないところもあるので......(苦笑)。

-たしかに、誰もが明日どうなるかわからない運命のもとで生きているのは事実です。それだけに、"ボクでいる意味 捜し続けた"というくだりからは、シャラクさんがメトロノームの歌詞の中で一貫して描き続けてきている、自己探求の姿勢も感じられます。

シャラク:カタカナで書く"ボク"はメトロノームのシャラクで、漢字で書く"僕"は僕個人のことなんですよ。その使い分けは、この曲でも同じようにしていますね。

-その点、カップリングとなっている「ボクになりたかった僕」はまさにそのあたりを深堀りする内容となっていますね。

シャラク:歌詞の面で言うと、今回は「弊帚トリムルティ」と「ボクになりたかった僕」が連動しているとはまではいかないにしても、わりと関連性があるものになっているんですよね。例えるなら、1曲目の方がネクタイをビシッと締めて"頑張ります!"と主張しているものだとすると、2曲目の方は"まぁ、そうは言ってもねぇ。ずっと頑張ってるだけだとだんだんつらくなってきちゃうから、ムリしすぎず程々にしないとなぁ"的なモードになっている感じです(笑)。

-そううかがうと、過去形になっているとはいえ"なんで僕は圧し潰されたの?"という1節が組み込まれているあたりがとても気掛かりですよ。

シャラク:そこはですね。いろんな時期を経て、今この20周年というものを迎えているので、時には皆が求めているシャラクになれているのかわからない僕、というのもいたんですよね。もう少しのんびりやらせてください、と感じていた時期もあったんですよ。

-なりたいボクと、そうはなりきれない僕が葛藤していたということなのでしょうね。

シャラク:明らかに、昔はそこが別だったんです。でも、今はそこが一緒になったんです。ボクは僕とは違うんだということが、再起動以降は自分でもしっかりと認識ができるようになったので、メンタル的にはとても楽になりました。

-そんな「ボクになりたかった僕」は、"飲まれ呑まれ飲まれて行ける所までは"という歌詞にて締めくくられます。やはり、お酒とシャラクさんは切っても切れない関係にありそうです。

シャラク:はい。切っても切り離せません(笑)。

フクスケ:そこの現実は、このあいだ間近で見てきた人がここにいますよ。

リウ:実際、すごいペースですごい量を飲むんだなって驚きました(苦笑)。