FEATURE
MY CHEMICAL ROMANCE
2014.03.18UPDATE
2014年03月号掲載
Writer 山口 智男
2013年3月22日、バンドのオフィシャル・サイトを通じて、突然、解散を発表。あまりにもあっけない、逆に、だからこそ潔いとも言えるやり方で13年に及ぶキャリアに終止符を打ったMY CHEMICAL ROMANCE(以下MCR)。解散の主な理由は2つ。バンドが燃え尽きてしまったことと、アートであるべきはずの音楽活動が自分たちではどうにもできないぐらい大きなショウ・ビジネスになってしまったことだった。
ちなみにバンドのフロントマンだったGerard Wayは解散発表後、自身のTwitterで以下のようなコメントを発表した。"時が来れば、僕たちはやめる。それは自分という存在の内側でわかることだ。そしてそんな内側の声が、音楽よりも大きく聞こえるようになったんだ"
制作に着手としていたと伝えられていた5作目のアルバムは、とうとう完成させられずじまいだった。そして、解散の発表から約1年、『May Death Never Stop You - The Greatest Hits 2001-2013』と題されたベスト・アルバムがリリースされることになった。
日本武道館公演を成功させるなど、ここ日本でも一時代を築いたMCRではあるけれど、その彼らが日本のファンの前に姿を現したのは、横浜アリーナ2デイズを含む2011年1~2月のジャパン・ツアーが最後だった。すでに3年も前の話だ。さらに遡れば、人気や注目度という意味で、瞬間最大風速が吹いたと言える武道館公演は2007年5月。7年も前になる。
ひょっとしたらMCRというバンド名は知っていても彼らのことをよく知らないという若い読者もいるのでは?そこで、今回はたっぷり2ページもあるので、ベスト・アルバムの内容を紹介する前に00年代のロック・シーンに大きな足跡を残したMCRのキャリアを、個人的な思い出も交えながら振り返ってみたい。
Gerardも"このベスト・アルバムで、俺たちと一緒にMY CHEMICAL ROMANCEの過去を紐解く旅に出かけて、その旅のちょっとした味わいを一緒に楽しんでくれたら嬉しいよ"と言っているので、ぜひお付き合いいただきたい。
MCRの結成は2001年。当時、アニメーターとして働いていたGerardが9.11同時多発テロ事件を目の当たりにしたことをきっかけに人生の針路を変更。自分の考えをダイレクトに伝えるには音楽が1番だと思い立ち、バンドを始めたことがそもそものスタートだった。バンド名は映画化もされた『Trainspotting』で知られるスコットランドの作家、Irvine Welshの短編集『Ecstasy: Three Tales Of Chemical Romance』のタイトルから拝借した。
その後、地元であるニュージャージーのインディー・レーベル、EYEBALLと契約したMCRは翌2002年7月、THURSDAYのGeoff Rickleyをプロデューサーに迎えた『I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love』でデビュー。その後の彼らを思えば、かなりハードコアの影響が色濃い曲の数々は同時にヴァンパイアやゾンビを題材にした歌詞を含め、ゴスの要素も感じられ、Gerardによるエモーショナルな絶叫ヴォーカルとともに荒削りながらもすでにハードコアという表現には収まりきらない個性をアピールしていた。そして、彼らはPureVolumeやMySpaceといった、今では誰もが当たり前のように使っているSNSサイトを通して、いち早くファンベースを作り上げていくのだが、当時、ブームとして盛り上がり始めていたスクリーモの新鋭として、MCRの名前はここ日本にも伝わってきた。
確か、その時はまだ大手のレコード店では取り扱いがなかった『I Brought You My Bullets, You Brought Me Your Love』を、エモやインディー・ロックを専門としている小さな輸入CD店で注文後、入荷まで1週間か2週間か待ってようやく入手したことは、今となってはデビュー・アルバムを聴いた時の衝撃とともに懐かしい思い出だ(彼らの存在を教えてくれたUさん、改めてありがとう!)。
2004年6月、メジャー・レーベルからリリースした2ndアルバム『Three Cheers For Sweet Revenge』からは「Helena」「I'm Not Okay (I Promise)」「The Ghost Of You」といったヒット・シングルも生まれ、自らの悲劇的な体験とパラノイアをゴス風味やコンセプチュアルなストーリーとともに詩的に昇華させるMCRは、現実世界に居場所を見つけられない若者たちの共感を得ることで、ロック・シーンでめきめきと頭角を現していった。