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COLUMN

SOILWORK BjornのSTABBING THE COLUMN vol.1

SOILWORK BjornのSTABBING THE COLUMN vol.1

このコラムを書くのは初めてだけど、そのことをとても誇りに思っているよ!

どういう風に書き始めればいいのか分からないけど、中には知っている人もいるはずだけど、僕の妻は日本人なので、日本に対しては特別な結び付きを感じるんだ。それから今年は僕にもバンドにとっても特別な年なんだ。僕たちは1stアルバムをリリースしてからちょうど10周年になるからね。今年、僕は30歳になるし、そのことについては複雑な思いだけどね(笑)このはじめての投稿で、少しばかりノスタルジックになるような気がする。
それから、今後のコラムでSOILWORKのことばかり書くことはないので、安心して欲しい。ただまず書いておきたいことが一つ二つあるので、許してもらえると嬉しい。

とにかく、30歳になる前に7枚のアルバム(+他のバンドと6枚のアルバム)をリリースできたことをとても誇りに思っている。そのことを考えると訳が分からなくなるね。よくもこんなことが現実になったものだと。
結局、僕がシンガーになったのは偶然に過ぎないんだ。(前のギタリストの)ピーターが、自分が始めようとしているバンドで歌いたいかと僕にたずねることにしたんだが、その時、僕が何者かも、何をしているのかも知らなかったんだよ。ピーターがチェックしたのは僕の外見(当時は黒の長髪で、デスメタルのロゴが付いた革のジャケットを着て、タイトなジーンズをはいていたからね)だけだったんだ。ピーターがシンガーになってくれと尋ねた時に、「ギターを弾くけど、歌ったことはないよ、でもまあやってみよう」と答えたんだ。
当時、僕は(音楽を聴いたり、たまにウォッシュバーンのギターをたまに弾くこと以外で)16歳か17歳になるまで一番興味があったホッケーをやめたばかりだった。アメリカのNHLリーグでプロのホッケー選手になるのが夢だったし、とてもうまくやっていたんだ。スウェーデンのジュニア・ナショナル・リーグの資格を得られるのもそう遠くはなかったからね。そのことを考えると、この間、昔のチームメイトの一人が、デトロイト・レッドウイングスの一員として、スタンリー杯(HHLのリーグ王者)を獲得したことが頭に浮かぶね。ホッケー選手としては最高の栄誉の一つなんだよ。

ノスタルジックな気分になったところで、僕の精神(そして心)の中で、日本はとても特別な場所であることを伝えておきたい。結局、僕たちが「真の」プロとしてのツアーをはじめて行ったのは日本だからね。僕たちのはじめてのツアーは、ブラジルのデス・メタル・バンド、KRISIUNと一緒だった。欧州ツアーをバンに乗って行ったんだが、これは1998年12月のことで、ものすごく寒かったんだよ!
僕たちはこのツアーでとても怪しいショウを何度かやったんだ。あるショーはフレンチ・レストランが会場で、オーナーはブラジルのサンバ・バンドと思ってブッキングしていたんだよ。別のショーは、誰かの居間で行われたんだ。日本の話に戻ると、電話がかかってきてね、日本のツアーが確定したっていうんだ。信じられなかったよ。そういうのはOZZY OSBOURNEやMOTLEY CRUEやYNGWIE MALMSTEENのような武道館で演奏するバンドの話だと思っていたからね。はじめて日本に来てただただぶっとんだよ。すぐに日本が好きになった。それから多分10回くらい日本に来ているだろう。(バンド、それに妻と一緒にね。)だからツアーの日常以上のことを学んだんだ。はじめての日本ツアーをやってから、もう10年近くになり、自分たちの面倒をきちんとみてくれる新しいレーベルも手に入れたので、日本への初めての、そしてとても記憶に残る旅を可能にしてくれ、僕たちをみんなの素晴らしい国に紹介してくれた人たちに感謝しておきたい。Soundholicの過去、そして現在の社員の皆さん、ムネカタ、ジュン、ノブロウ、マサヒロ、トヨヒロ、どうもありがとう(誰か抜かしていないといいんだけど)これまでの年月を決して忘れないよ!それから僕たちにずっと付いてきてくれたファンのみんなも本当にどうもありがとう!

はじめての投稿でみんなを退屈させなかったことを望んでいるよ。大丈夫、このコラムに向けたいろいろな考えや、ストーリーや、意見もたっぷり用意してあるからね。Robert Halfordだったらこういうだろう。「次がまたくるぜ!」ってね。

よろしく。
ビョーン・スピード・ストリッド

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