LIVE REPORT
ムック|2011.5.21/22
2011.05.21 @日本武道館
Writer 武市 尚子 Photo by 尾車寿一、畔柳ユキ
2010年10月30日。彼らは1年7ヶ月ぶりとなるアルバム『カルマ』を引っさげ、日比谷野外音楽堂を皮切りに全国ツアー『Chemical Parade』をスタートさせた。
初日は各地でイベントや試合が中止になったほどの大型の台風14号が関東地方を直撃する中で行なわれたのだが、暴風雨で警報が出ている中、その悪天候を逆手に取った最高の景色を見せてくれたのだった。
そして。最悪な条件の中での最高のライヴから幕を開けることになった『Chemical Parade』は、日本全国とヨーロッパとアジアをまわり、約半年後日本武道館という地でファイナルを迎えたのだ。
彼らはツアーの最終地点を武道館に置き、2DAYSに定めると、1日目を『TOUR"Chemical Parade"FINAL』、2日目を『MUCC history GIGS 97~11』と題し、ツアーファイナルと結成から現在までの14年間を凝縮した、まったく違った見せ方で"現在(いま)"のムックを届けてくれた。
5月21日。この日のライヴはまさに、"ディスコサウンドとデジタルサウンドとヘヴィロックの融合"を実にムックらしく表現した現在のムックと、ツアーで得た成長という変化を感じさせてくれたモノだった。
彼らは初日の日比谷野外音楽堂でも、『カルマ』の流れの中にいきなり旧曲である「スイミン」を投入した予期せぬ展開で楽しませてくれたのだが、「フォーリングダウン」から派手やかにスタートさせたこの日も、途中で「恋人」や「断絶」「名も無き夢」が差し込まれる形で届けられたのだ。
デジタル色の強い『カルマ』の世界観と、そことは対照的な表現方法である旧曲とのバランスは実に面白くもあり、大きく振り切られる対極の世界観を楽しむことが出来た。
この振り幅を迷うことなく届けられる彼らに、ムックという絶対的な自信を感じた。
そして。ラストに、3月11日に起きた東北地方太平洋沖地震を受け、"自分たちに出来ることは曲を作り演奏し歌を唄うことだ。今、自分たちに出来ることを"という想いを込めて作られた新曲「暁」を届けたのだった。
それは、彼らが『カルマ』で見せた世界とは異なる飾りのいっさいない想いだった。
彼らはこの曲を日本武道館2DAYSの会場限定販売とし、その収益金全額を寄付したのだ。震源地に近い茨城を地元とする彼らの想いが詰め込まれた楽曲は、同期のない生のバンドサウンド。柔らかなメロディ。涙が出るほどあたたかな言葉。彼らの音楽は飾りではなく、昔から唱え続けている心、人間の根本である"業"に繋がるモノであることをこの「暁」に見た気がした。
彼らはこの日、間違いなく最高の形で『TOUR"Chemical Parade"FINAL』を結んだ。
5月22日。始まりは「アカ」。武道館は照明によって深い朱に染め上げられると、轟音のような歓声が彼らを包み込んだ。
前日から時代がタイムトリップしたかのように時代が過去へと移ったその場所は、現在のムックを形成した内面が露になった特別な時間となったのだ。
バックの巨大なスクリーンも、前日は視覚を刺激する電飾として使用されていたが、この日は、派手な見せ方ではなく、大きな映画館の中でポツリとライヴをしているような空虚感をも感じさせた空間を演出するモノに印象を変えていた。
同じセットをここまで違った印象に見せていたのもとても興味深かった。
朱色の振り袖を羽織り中央に立つ逹瑯。その絶対的な存在感は、単に昔をなぞっただけのモノではなかった。
この日、ここで演奏された過去曲たちは、紛れも無く彼らを形成してきた真実であったのだが、当時を懐かしく振り返るだけのモノでは決してなかった。そこには、そこから14年という歳月を生きてきた彼らの人生と感情の変化が詰め込まれた"現在(いま)"があった。
「盲目であるが故の疎外感」。深い闇を想わすミヤのギターに、SATOちの力強いドラムが絡んでいく。
リズミックに転がる上モノとどっしりと構える低音をしっかりと繋ぐ重要な位置を守るYUKKEのベース。
太くなったサウンドは当時と明らかに景色を変えていた。「君に幸あれ」「我、在ルベキ場所」「商業思想狂時代考偲曲」、そしてこの日の本編ラストでスクリーンに歌詞が綴られていく中で歌われた「9月3日の刻印」など、葛藤と鬱血した感情が吐き出された唄も、当時とは明らかに景色を変えていたのである。
彼らが吐き出していた感情は、当時も今もリアルに胸に突き刺さってくるのだが、まだ人生を知り尽くしていなかった故のリアルな感情は、彼らの精神的な成長によって、より深い意味を宿した感情へと変化していたのだ。蒼い感情は現実という渦に巻かれ、時代とともに形を変え、流れる時間の中でより核心に迫るメッセージとなっていった。
この日は、イントロが奏でられるごとにフロアから大きな歓声が上がっていたのがとても印象的だった。"昔"のムックの音と唄を愛したムッカーたちにとっては、自分たちが過ごしてきた思い出と人生が詰まっているのだ。そこに自分たちの鬱血した想いを重ねてきた彼ら彼女らにとっては、そこに忘れたくない忘れてはならないと想う景色があったのだろう。
純粋にサウンドとしてだけでなく、ムックというバンドが提示してきた"生きることの意味"と、それを求め、そこに救われてきた彼ら彼女たちの深い想いをそこに感じた。
成長という名の過ぎ去っていく過去に消されていってしまう感情は、ちゃんと形としてここに残されている。彼らのサウンドが変化しようとも、景色を変えようとも、永遠に変わり続けることなく生き続けるのだと教えられた気がした。この先何年月日を重ねようとも、彼らが過去の曲を封印し歌わなくなることはない。しかし、彼らはきっとその度に、現在の姿で過去の自分たちを唄うことだろう。すばらしく人間らしい生き方だと感じた。
この日聴いたアンコールで届けられた「謡声(ウタゴエ)」「流星」「フライト」は、過去と現在を結ぶ子供から大人への大きな成長を意味する曲たちであったように感じられた。
6月9日に新木場スタジオコーストにて見せてくれるという『Maniac Parade 97~11』。
3時間半というムックの歴史と現在が詰め込まれた21日のライヴを成し遂げた彼らが、 次に見せてくれるのは、いったいどんな景色なのだろう?
そして。5月21日のラストで発表された今年の秋からソニー・ミュージック アソシエイテッドレコーズへの移籍からはどんなムックを見せてくれようとしているのだろう?
14年前。『カルマ』の世界を届けることになろう現在のムックを誰が想像出来ただろう?
毎回想像を絶する発想と予想のつかない進化を見せてくれる彼ら。
そんな彼らへの期待と彼らにかける熱は、まだおさまりそうにない。
ムック。 彼らは最高にカッコイイバンドだと思う。
- 1