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INTERVIEW

MUCC

2020.06.09UPDATE

2020年06月号掲載

MUCC

Member:ミヤ(Gt)

Interviewer:TAISHI IWAMI

MUCCの、"オリジナル・フル・アルバムを作る"という前提で制作した作品としては約3年ぶりとなる『惡』が完成した。ニューメタル/ラップ・メタルあり、ハードコアあり、グラムロックやオールディーズに歌謡曲など、様々な音楽性を時に衝動的に混ぜ合わせ吐き出し、時に鍛え抜かれた演奏スキルで巧みに組み合わせていくセンスはさらに拡張。そこに大きくアップデートされたモダンなサウンド・デザイン力も加わったその輝きは、一点の曇りもなく彼らの"最進化系"だと断言しよう。今回はメンバーのミヤに、大きく分けてメンタルとサウンドメイキング、ふたつの角度からインタビュー。その豊かで強い作品の魅力に迫った。


"その瞬間に思ったことを言葉や音にしたい"――ミヤの思う"フォーク"とMUCCの音楽にある繋がりとは


-新型コロナウイルスの影響で、様々な価値観が良くも悪くも生々しく浮き彫りになっているなかで、我々はどうアクションすべきか。今はライヴもできませんし、ミヤさんが生きてきた80年代から現在までの時代の変化なども含めて、考える時間が長くなったと思うのですが、いかがですか?

そうですね。俺はおっしゃったようなことをよく考えるほうだと思いますし、感じたことをそのまま言っちゃうんで、あまりいい印象を持たない人たちもいると思います。片や他のメンバーは、そういうことをあまり言わない。そんななかで、アルバムのリリースがコロナ禍と重なったことは、結果的に良かったと思っているんです。

-それはどういうことですか?

リリースがなかったら、俺は別の形でこの状況について何かしら発信していたと思うんです。でもそうなると、バンドの中のいち個人の意見が間違った伝わり方をしたり、それがバンドの総意として捉えられたりしていた可能性もじゅうぶんに考えられるじゃないですか。

-はい。

今作は去年の夏くらいから、結構長い時間をかけて作ったアルバムなんですけど、この3月以降にメンバーそれぞれが持ってきた「惡 -JUSTICE-」(ミヤ作曲)と「目眩 feat.葉月(lynch.)」(逹瑯/Vo、ミヤ作曲)、「DEAD or ALIVE」(SATOち/Dr、ミヤ作曲)、「アルファ」(YUKKE/Ba作曲)の4曲を録り終えたことで完成しました。3月と言えば、いよいよ世界全体がコロナウイルスの脅威を認識し出した時期で、どの曲にもそれぞれのテーマはあるんですけど、コロナの影響を受けて思ったこともどこかしらに入っています。やっぱりそういうときの考え方や晴れない感情は、各々が言葉で言うよりはバンドの作品として出したほうがいいと思うんです。

-MUCCのサウンドは様々な音楽ジャンルを越境していくことを信条としてきたように思います。それは"価値観"という言葉にも置き換えられるわけで、それについてアルバムが完成した今どう思いますか?

もしMUCCというバンドにコンセプトがあるとすれば、その時々で感じていることを歌詞や音にするということ。それに対して前のアルバム『壊れたピアノとリビングデッド』(2019年リリースの14thアルバム)は、ゴシックとかホラーとか、あらかじめコンセプトがあって作ったアルバムだったので、そうでもなかったんです。そういう意味で今作は、よりバンドの本質に近い作品だと思います。

-では、ミヤさんの今はどういうモードなんですか?

今に限ったことではないんですけど、最近は特にフォーク・ソングを作りたいと思っていて。

-ミヤさんが思う"フォーク"とは、精神的なことだと思いますが、どういうことでしょうか。

厳密には"日本のフォーク"の精神性ですね。サウンド・スタイルはヘヴィ・メタルでもロックでもなんでもいいんですけど、誰にでも理解できるポップ・ソングではなくて、その瞬間に自分が思ったことを言葉や音にして、それがある特定のひとりに理解してもらえればじゅうぶん。でも、なぜか不特定多数の人たちが共感してくれる場合もあるから面白いんですよ。

-最大公約数を取りにいくわけでも、曲に向かってほしい方向があるわけでもない。

"その瞬間に思った"、すなわち生活の中で感じる身近なことですから、そこにメッセージ性やポリティカルな要素を孕むこともあれば、自己嫌惡もありますし、"爪が伸びてるどうしよう"みたいな、他人からすればどうでもいいようなこともあります。身近にあるいろんな感情を歌うことは、日本のフォークの特徴だと思うんです。アメリカで言うとブルーズ、のちのヒップホップに近いのかもしれません。

-今おっしゃったようなことを象徴している曲はありますか?

先行で配信した「アルファ」ですね。まずサウンドがあって、そこから瞬間的に導き出された言葉の純度がすごく高い曲。方向性としてはさっきも言ったように、身近で起きている大きな出来事としてコロナに思うことも含んではいるんですけど、直接的にはもっとレンジが狭くて、特定の人たちのことを歌っています。でも、そこにコロナによって引き起こされた今の状況を重ねて共感してくれる人が多かったんです。聴く人それぞれの解釈で曲のイメージが広がっていくことは、すごく興味深いですし、いいことだと思います。

-ここまでの話をまとめると、タイトルが"惡"で1曲目が「惡 -JUSTICE-」とくると、作品を通して裁きに対する見解や、何か鬱屈したものをぶちまけることにフォーカスしたと想像しがちなんですけど、もっと自然体で生活を描いた作品だということでしょうか?

そうですね。怒りや鬱屈した感情をメッセージとして強く打ち出した作品ではないですね。おっしゃったように自然な感じ。その中で、"惡"という言葉で締まるような作品になったような気がします。"惡"にもいろいろあるじゃないですか。必要な惡、正しい惡、それが惡かもわからないけど惡と言ってしまっていることもありますし、はっきり惡だと割り切れることばかりじゃない。だから"JUSTICE"という言葉を付け加えてるんです。答えが見つからない曖昧な感情や、善悪を判断しきれないことが今のご時勢は特に多い。何が正解かわからない、目標も見つからない、いつ終わるのかもわからないって。

-結果的にそういう方向性に向かっていったきっかけはどこだったのでしょうか。

「自己嫌惡」ができた2018年の8月頃、制作の初期段階ではそういう感じではなかったですね。どこからだろう? そうですね......、ここ2年くらいで俺自身の価値観に変化があって、それが反映されていることは確かです。例えば人の死に対してポジティヴに考えられるようになったこととか。身近な人の死に直面することって、誰にでも訪れるもの。自分自身もいつかは絶対に死ぬ。それは言ってしまえば日常の延長線上なわけで。

-昔から心のどこかにはそういう思いがありましたか?

いえ。MUCCはずっと死生観を歌っているバンドではあるんですけど、これまでは悲しいから悲しいっていう世界観の中でのことでした。でも、死から免れる人はいない。ある意味究極のポップだなって。そう思うと悲しむばかりがすべてじゃない。

-例外はないですからね。

例えば「スーパーヒーロー」は、逹瑯が親父の死について歌った曲なんですけど、そのことを悲しんでいるわけではないんです。でも、親父の良かったところを語って、ありがとうって言葉にしちゃうとそれまでで、明るい曲調に対して逆説的に、親父のダメなところとか不器用なところを自然に歌っているからこそ、ポジティヴな気持ちがすごく伝わってくる。それは昔の彼にはできなかったことで、彼自身の人間的な成長でもある。そこにはすごくいい刺激を受けましたし、表現者としても高く評価しています。俺は逹瑯とずっと一緒にやってきたからこそわかることなのかもしれないですけど。でも、こうしてパッケージになる前から別のライヴでやってきたなかで、お客さんにもその空気感は伝わっているような気がするんですよね。

-「スーパーヒーロー」もそうですけど、アルバム全体としても、これまでの作品以上にメロディが突き抜けている印象があって、言葉の浸透度も高くなったことで、想像力が掻き立てられていろんな解釈が生まれ得る、"伝わる"力のある作品だと思います。

そういう意味では"わかりやすい"作品になっていると思います。言葉もサビも、いつもだったら周りくどいところがストレートになっていて、覚えやすい曲が揃っているかもしれないですね。

-音のデザインが大きく進化したように思うんです。前作『壊れたピアノとリビングデッド』はもともとアウトテイク集として出す予定だった。そこに面白味を出すために、"ホラー"というコンセプトを設け新曲も加えた作品だと、本誌のインタビュー(※2019年2月号掲載)でも話してくださいましたが、それだけに一本の筋の中に多様性があった作品でした。また、エンジニアリングもミヤさんが手掛けたことも踏まえて、今回はどのようなことを意識しましたか?

前作はパンチ力のあるサウンドにしたんですけど、今作はサウンドの奥行きが見やすい作品にしたくて。

-左右の耳だけでなく、前後や身体全体を取り巻く音の鳴りがすごく良かったです。

そうですね。左右だけじゃなくて、前後やあらゆる方向からどんな音が聴こえてくるのか、音像を大切にしました。あとは前作の反省点もクリアしたくて、そこもうまくいったんじゃないかと。

-どういう反省点ですか?

俺は基本的に低音で音楽を聴くタイプなんです。音楽を点ではなく面で聴きたい。だからよりそっちに寄ったように思います。

-そのベクトルで言うと、いわゆるラウドロックの新たなグローバル・スタンダードを提示したとも言える、BRING ME THE HORIZONのアルバム『amo』はミヤさんにはどう映りましたか? 簡単に言うとギターの音が小さくて低音が強い。

すごく好きですね。ギターの音が小さくて、もはやラウドじゃなくてEDMに聴こえる。あのバランスは絶妙。それに倣ってじゃないですけど、今回はああいう現代的な低音感は意識しました。今ってみんなのリスニング環境がイヤホン主体にシフトしたぶん、これまでは耳に入ってこなかった低音が重要視されるようになりましたし、そういう部分で面白味を表現することはクリアできたと思いますね。

-私もヘッドホンで聴いていたのですが、音を上げれば上げるほど気持ち良かったです。

あまり音が硬いと上げられないじゃないですか。そこは、音圧は低めだけどボリュームはどんどん上げられるようなサウンドを目指しました。