INTERVIEW
New Year Rock Festival
2025.12.12UPDATE
2025年12月号掲載
Executive Producer:HIRØ(湾岸の羊~Sheep living on the edge~)
Co Producer:Zeebra
Interviewer:フジジュン Photographer:清水舞
1973年、創始者である内田裕也が"紅白だけが祭りじゃないぜ"をスローガンにスタートした、日本が世界に誇る最長寿年越しロック・イベント"New Year Rock Festival"(以下:"NYRF")が、今年も大晦日に開催される。HIRØがプロデューサーに就任後、コロナ禍による無観客開催の憂き目も経験しながら無事50周年を迎え、聖地渋谷へと会場を移して3年目となる今年の開催を目前に、エグゼクティヴ・プロデューサーのHIRØと共同プロデューサーとして支えるZeebraのスペシャル対談が実現。取材当日、内田裕也の墓前で今年の"NYRF"開催を報告してきたという2人。今年の"NYRF"について、"NYRF"にかける想い、そして不良としての生き方や美学について話を訊いた。
-今日(取材日は11月17日)は内田裕也さんのお誕生日ということで、この取材の前にお2人でお墓参りに行かれたんですよね?
HIRØ:はい、今行ってきました。
-生きていらっしゃったら、今年で86歳。今の80代とか全然若いですから、86歳でもステージに立ってたんじゃないか? と想像してしまいます。
HIRØ:そうですね。昔と比べたら、80代でも全然若いですからね。
-裕也さんにはどんなことを伝えて、どんなお言葉をいただきましたか?
HIRØ:僕は"NYRF"が、毎年できるものだと思っていなくて。本当に一年一年、"今年もできるのかな?"と挑むところから始まっているんです。毎年、11月17日と言ったら開催の約1ヶ月前で、ラインナップも含めて諸々決まっている時期なので。裕也さんの墓前に立つときはいつも報告と言いますか、"温かく見守ってくださいね"とお伝えしたくて行ってます。で、9月2日がジョー山中の誕生日で、毎年その日も鎌倉のお墓に行っているんですよ。"今年もできるのかな?"という時期なので、鎌倉の海まで見渡せるお墓の前に立って、"ジョーさん、どうっスかね、今年?"って聞くと、ジョーさんは"HIRØの好きなようにやればいいよ"って毎年、優しく言ってくださるんです。そう言われちゃうと、やる気満々になってきて。気持ちがみなぎってくるので、そのままZeebra君に電話して"いくぜ!"みたいな感じですね。
-では、今はジョーさんと裕也さんに背中を押してもらって、気持ちもすっきりしたところで、年末の"NYRF"に向かって突き進むだけといった感じですね。
HIRØ:いやぁ、ここからも眠れない日々が続きそうな気もするし、どうなんでしょうね(笑)。たとえ今年開催できたとしても、来年生きてるかどうかも分からないですし。バンドだってそうじゃないですか? 来年このバンドがあるかどうかも分からない。だから俺、いろんなものがすごく儚いと思ってて、今できてるうちはとにかく全力でやろうと。やらなければいけないことに大小はないですけど、俺にとっての"NYRF"ってものすごく大きなものなので。この時間と労力と情熱を捧げなければいけないものは、"今回が遺作だ"くらいの気持ちで挑まないとできないし、実際それくらいの思いで挑んでいます。
-Zeebraさんは、裕也さんの墓前に立たれて思うことはいかがですか?
Zeebra:HIRØ君が毎年、お墓参りに行ってて。それは僕も分かってて、どこかのタイミングでと思ってたんですよ。そしたら思いの外、家からクソ近くて。"裕也さん、すみません! 家からこんな近かったです。今度はちょいちょい来ます"って言っておきました。
-あはは、いい機会になりましたね。では、HIRØさんにお聞きしたいんですが。裕也さんが旅立ってから6年が経ちましたが、改めて生前の裕也さん、そして今の裕也さんって、どんな存在ですか?
HIRØ:今年の3月に七回忌があって、(内田)也哉子ちゃんや本木(雅弘)さんとご飯を食べて、七回忌法要をやって。裕也さんのお孫さんにあたるUTA君も大きくなって、ラッパーとしてデビューもして。子どもたちとその未来、そういうものがどんどん育っていってるのをすごく実感しました。また時期を見て、"NYRF"にもお声掛けしようと思ってるんですけど。
-それもすごく楽しみですね。僕、昨日は"氣志團万博2025"を観に行ってたんですけど、綾小路 翔(DRAGON VOICE/MC/Gt)君が"氣志團万博"について、"不良は祭りとトラディショナル(伝統)を重んじる生き物で、そこを大事にしている"と話していて。裕也さんたちから受け継いだ伝統をまた次の世代に受け継いでという志は、"NYRF"も一緒ですよね。
HIRØ:まさに。"それ、「NYRF」じゃないですか!"って、翔やんに言っといてください(笑)。
Zeebra:不良が祭りや伝統を重んじるのはなぜか? って考えてみると、たぶんですけど"祭り"って地域やコミュニティで起きるものじゃないですか? そこでいろいろなことが起きて、嬉しいこともあれば悲しいこと、辛いこともあったりするけれど、世の中は自由だから。そこからいつでも逃げ出すことは可能なんだけど、不良は基本、逃げないやつらなんで。逃げずに1つのところにずっといたり、長く続けたりするということの重みや責任を、やっぱり不良であればある程感じてるんじゃないかと思うんです。だから、長く歴史のあるものに対するリスペクトがあると思います。
-祭りにしても、伝統を守るということにしても、決して楽しいことばかりではないですが、そこから逃げ出さず、守り続けるという責任を背負ってるわけですね。
HIRØ:ただ、逃げ出すということは悪いことばかりじゃなくて。例えば今、いじめとかいっぱいあるじゃないですか? そこでいじめられてるやつはその場所にこだわらず、逃げ出してもいいし。
Zeebra:そこは逃げてもいいし、それこそ不良が助けてやればいいんですよ。責任を背負えるような不良は、つまらないいじめとかしない。それは中途半端なやつがやることなんで、不良が中途半端なやつから守ってやればいいんですよ。
-祭りや伝統を守るって、自分で一つ腹を括って、自ら踏み込んでいるはずで。そしたら、そこには責任や根性みたいなものが必要になってきますよね。
Zeebra:でもまぁ、大きなことや勝手なことも言うじゃないですか、不良って(笑)。そこで"言ったからには責任取らないとカッコ悪い"みたいなのもあると思いますよ。
HIRØ:そう、きれいな言葉じゃないけど、ケツ拭けりゃいいんですよ。誰かに迷惑掛けたり、何か起きたりしたときにてめぇでケツ拭けないんだったら、大風呂敷広げなければいい。
-HIRØさんは裕也さんの生前の生き様や、"NYRF"という大きなイベントを責任を持って続けてきた姿から、不良の美学を学んだ部分もありますよね?
HIRØ:そうですね。ちょっと話が変わっちゃうかもしれないですけど、裕也さんが原宿警察署に逮捕されたことがあったじゃないですか? で、釈放された日に俺、迎えに行ったんですけど、警察署の前にマスコミが3段くらいになってたくさん集まってたんです。裕也さんが"おい、どんな感じだ?"って言うから、"いや、3段くらいになってます"って答えると、"おぅ、そうか"って言いながら着替えてて。警察が"内田さん、もしよろしかったら裏口の方から出られますけど?"って聞いたら、"バカヤロー! こんだけお膳立てができてるのに、なんで裏から行けんだ?"って言って、警察も"すいません"って(笑)。さっきまで留置されてた人と警察の会話じゃないですよね(笑)。
Zeebra:あはは。もちろん大前提として、捕まることをやっちゃだめなんだけどね。
HIRØ:もちろん(笑)。でもあのときは、自分を貫いて突き抜けて生きていれば、そういう現象も起きるんだなっていうのを目の当たりにしましたね。
Zeebra:今の話を聞いて思い出しちゃったんだけど、あの後、裕也さんが片膝ついて謝罪されてましたが、今日先程、HIRØ君が裕也さんのお墓の前で片膝ついてました(笑)。
-知らぬ間にHIRØさんに、イズムが受け継がれているんですね(笑)。裕也さんが亡くなってから、HIRØさんと共同プロデューサーとして新しい歴史を作り始めたZeebraさんは、"NYRF"を一年一年重ねていくなかで思うことはありますか?
Zeebra:僕は裕也さんがお亡くなりになる前、15年くらい"NYRF"に参加させていただいたんですが、HIRØ君を横で見ていて、裕也さんのイズムを完全に受け継いで生きているのを感じるし、本当に誰よりも裕也さんのことを考えてるなと思ったんです。それに我々世代はもうちょっと時間があるので、裕也さんが一番頼もしく感じてたのがHIRØ君のことだと思う。47回目の"NYRF"の手前で裕也さんがお亡くなりになって、50回がなんとなく見えていたところで、そこまで行けなかったのは僕たちもやっぱり悔しかったですし、一番悔しいのは裕也さんだったはずなので、"まずは大台となる50回目までは、HIRØ君がやるしかないんじゃないの?"って、俺が言っちゃった感じもだいぶあった気がして。
HIRØ:俺はね、裕也さんとかジョーさんに生前、"俺たちが歩けなくなっても、HIRØ頼むぞ"って言われても、"歩けなくなるとか言わないでくださいよ"みたいに言ってて、いつまでもいなくならないものだと思ってたんです。でもどんどん先輩たちがいなくなったとき、そこは純粋な男としての約束というか、裕也さん亡くなって、ジョーさん亡くなって、桑名(正博)さんや(安岡)力也さんが亡くなって、"そうか、みんないなくなるんだ"と思ったとき、僕は50回まで責任を持ってやって、幕を閉じようと思っていたんです。逆にそこまでは絶対やらなきゃいけないと思ってたんですけど、そこから先はZeebra君の魔法ですよ。50回までやるのは裕也さんの魔法で、50回からはZeebraの魔法です。
Zeebra:いやいや(笑)。50回のエンディングで、僕が余計なことを言っちゃったんです。
HIRØ:Zeebraが"これからもやろうよ!"って言って、ステージの下でウチの奥さんがバツを出してるのに、"OKが出ました!"って言っちゃったんですよ。
Zeebra:いや、ほんとすみません(笑)。
HIRØ:でも俺、思うんですけど。そのすぐ翌月に鮎川 誠(シーナ&ロケッツ/Gt)さんが亡くなって。僕は福岡から帰ってきて、誰もいない葬儀場に会いに行って、最後のお別れをしてきたんですよ。その帰りにZeebraから電話が掛かってきて、そのときはかなり酔っ払ってたんですけど、"俺もお別れしてきたよ"って報告してくれて。"やっぱり俺たち、やらなきゃだめだよ!"と言ってるZeebraの涙が電話越しに伝わってきて、家に到着したときには"よし、やろう"という気持ちになっていました。










































