INTERVIEW
Paul Gilbert
2023.04.06UPDATE
2023年04月号掲載
Interviewer:井上 光一 Translator:安江 幸子
MR. BIGやRACER Xでの活躍はもちろん、ソロ・アーティストとしては、マルチ・プレイヤーとしての才能も存分に発揮させた作品をリリースしている、世界有数のスーパー・ギタリスト、Paul Gilbert。『'Twas』(2021年)以来となるニュー・アルバムはなんとRonnie James Dioのカバー・アルバム。伝説的なシンガーの"声"に対してどう向き合い、最大級の愛情と敬意を込めた見事なギター・インストゥルメンタル作品へと昇華したのか。Paul自身の口からたっぷりと語ってもらった。
-『The Dio Album』の完成おめでとうございます! クリスマス・アルバム『'Twas』以来のソロ・アルバムとなりますが、本作のリリースを迎えた現在の気持ちや、曲を出したあとのファンの反応を教えていただけますか。
いい気分だよ! 何しろネタが良かったからね。Dioの音楽はすごくパワフルでクールだし、間違いようがないよ(笑)。頑張ってプレイしたし、素晴らしい時間を過ごすことができた。ファンの反応は......今どう答えればいいのか考えているところなんだけど(笑)、ほら、今はいろんなところからリアクションが来るだろう? 僕が子供の頃はファン・レターやコンサートぐらいでしか反応を知ることができなかったけど、今はSNSもあるしね。コメントを見ると、みんな夢中になってくれているよ!
-今は反応が来るのも早いですよね。何か投稿したらすぐに来ますし。
たしかにそうだね。まぁ、レコーディングしたのは去年だったから、少し待たないといけなかったけど(笑)。
-(笑)
待つのはつらかったよ。僕自身は作ったらすぐ出してしまいたいけどレコード会社のスケジュールがあるしね。それに、ヴァイナルをプレスするのも結構時間がかかるんだ。プレス工場を確保する時間もリリースがこの時期になった理由のひとつなんじゃないかな。
-ヴァイナルはまた人気が出てきていますもんね。
ああ。
-今回は、Ronnie James Dioのカバー・アルバムという実にチャレンジングな作品となりましたね。見事な出来栄えでとても気に入っています。あなたがRonnieの音楽と出会ったのは10代の頃とのことですが、具体的にどの作品を初めて聴いたのか覚えていらっしゃいますか。
答えはふたつ。まず、ラジオで「Man On The Silver Mountain」を聴いたのは覚えている。ただそのときは特に気にも留めなくて、誰が歌っているのかもわからなかった。でも「Neon Knights」、これはBLACK SABBATHの『Heaven And Hell』に収録されているんだけど、あれをラジオで聴いたときは耳を奪われたね。誰が歌っているのかはわからなかったけど。僕はBLACK SABBATHのファンだったけど、親しみを持っていたのはOzzy(Osbourne)の声だったんだ。Ozzyじゃないな、というのはわかったけど誰かはわからなかった(笑)。それでレコード・ストアに行ってお店の人に聞いて、レコードを買って帰って聴いてみたら、アルバム全体が本当に素晴らしかったんだ。それがきっかけでDioの大ファンになったんだ。そのあとは......僕はティーンエイジャーの頃からずっとバンドをやってきた。一緒にやっていたミュージシャンたちも彼のファンだった。15歳くらいの頃だったかな、入ったバンドに(Hammondの)B3のキーボードを弾くやつがいてね。そのバンドではRAINBOWの「Kill The King」とかをやったりしていたから、僕もRAINBOWをたくさん聴くようになった。そのあと出たDioのソロ・アルバムもびっくりするくらい素晴らしかったよ。
-ということは初めて彼の音楽に出会ったのは10代初めくらい?
『Heaven And Hell』が出たのが確か1980年あたりだったと思う。だから13歳くらいかな?
-中学生くらいということですね。ところで今Dioの野球帽を被っていますが、お似合いですね。
(※照れ笑いを浮かべて)ありがとう!
-ドライヴ中に見かけたという、このアルバムのインスピレーションになったDioの野球帽と同じものですか。
こんな感じのやつだよ。全体的には、メインのインスピレーションは、もっとメロディを弾くのがうまくなりたいという気持ちだと思う。それにはメロディの達人、つまりシンガーから学ぶのが一番なんだ。ヴォーカリストはそれがすべてだからね。メロディしか歌っていないし(笑)。それで、自分がコピーして学びたいシンガーのリストを作ったんだ。そのとき最初に書いたのがRonnie James Dioの名前だった。それから僕はオンラインでギター・スクールをやっていて、ギタリストたちにレッスンをしているんだけど、Ronnieのメロディをたくさんのレッスンで使ってきたんだ。その中でもお気に入りのひとつが「Long Live Rock N Roll」だね。いいレッスンになる。譜面にしてみるとすごくシンプルなんだけど、そこに息吹と感情を吹き込むには、小さなテクニックがたくさん必要なんだ。(レッスンでは)そういうのに取り組んでいるよ。もう何年も取り組んでいるけど、アルバム丸1枚それにしたら自信もついてきっと楽しいだろうと思ったんだ。
-前回のインタビュー(※2021年11月号掲載)でも、"Ronnie James Dioの「声」でRAINBOWの曲を学んでいる"と語っていましたね。
そうだね。たくさんのシンガーからたくさんのヴォーカル・メロディを学んできたけど、Ronnieのようなシンガーが相手だとある意味少しだけ楽なんだ。とてもドラマチックな声だからね。高くなったり低くなったり、いろんな動きがあるし。あの表現力を抜きにして音符だけにしてもメロディが認識しやすいんだ。もちろん表現力があればもっといいけどね。僕にとってはBob Dylanのメロディをギターで弾くほうがむしろ難しいな(笑)。ほら、そんなに抑揚があるわけじゃないし。あれをギターで弾いたとしても"なんの曲かわからない"と思われてしまうだろうね。認識しづらいから。Ronnieのメロディは壮大だからね......僕にとって歌うのは難しいけど、プレイには向いているんだ。
-ということは、教えていた当時から『The Dio Album』の断片的なアイディアが頭の中にあって、それがDioの野球帽を見掛けたことで。アルバムへと飛躍していったような感じだったのでしょうか。
野球帽を見たときは、ただハッピーになっただけだったよ。見掛けるとも思っていなかったしね。車を走らせていたら誰かの車の後部座席のあたりにあるのを見つけて、いい感情が自分の中に湧き上がってきたんだ。"僕もあの帽子を買わないと"と考えているうちに、"Dioのアルバムを作るのもいいな"と思ってさ。すべてが一気にひとつにまとまったような感じだったよ。きっかけはひとつだけじゃなかった。メロディをすでによく覚えていたし、帽子を見掛けたし......で、このアルバムのことを考え始めたら......Ronnieの曲はプレイしていてとても楽しいんだ。RAINBOWとBLACK SABBATHとDioからネタを引っ張ってこられるからだけじゃない。日本のボーナス・トラックには『The Butterfly Ball And The Grasshopper's Feast』(Roger Glover)から「Love Is All」をカバーしているし、本当にいろんな要素を網羅できるんだ。どの曲も素晴らしいし、ハマる対象として本当に興味深い人だよ。
-今被っている野球帽はその誰かの野球帽を見掛けてから買ったんですよね? それとも昔から持っているものですか。
これ? Amazonで買ったんだ(笑)。見掛けたあとでパソコンで調べてね。たぶんブートレグだと思うんだけど、いいロゴだから(笑)。
-ですね(笑)。とてもお似合いです。野球帽も手に入ってアルバムも完成して、素晴らしいですね。ちなみに日本でRonnieご本人と直接会っているそうですね。
そう、東京でDEEP PURPLEのコンサート("Live in Tokyo 2001")に行ったんだ。DEEP PURPLEがオーケストラ(新日本フィルセレクトオーケストラ)と組んだコンサートで、それだけでも興味深いショーだった。Ronnieが出演することは、僕は知らなくて、いきなりアナウンスとともに彼がステージに出てきて「Love Is All」を歌ったんだ。僕はこの曲の存在をそれまで知らなかったけどとても気に入った。それにしてもびっくりしたよ。THE BEATLESの「Penny Lane」みたいな感じで、跳ねる感じのポップな曲だったから。Ronnieが普段歌っているタイプの曲とは全然違うしね。でも彼は素晴らしかったよ。本当にいい感じに歌っていて、僕もすごく楽しかった。あとで曲についてリサーチしたよ。そうそう、ショーが終わってバックステージに行ったんだ。バックステージに行くときは迷惑になりたくないから(笑)壁際に引っ込んでいたんだけど、Ronnieのほうから僕のほうに来てくれたんだ! "会えるなんて嬉しいよ! 君の大ファンなんだ!"なんて言ってくれてさ。もうこれ以上ないってくらいいい人で、信じられないくらいクールだったよ。すごく心の温かいフレンドリーな人で、会えて本当に嬉しかったね。
-それはあなたのキャリアの中でもハイライトのひとつになったことでしょうね。
憧れのヒーローに会う経験っていうのは、たしかにハイライトだね。Ronnieと出会えたのも間違いなくそのひとつだ。あれば良かったな。いつか共演できればいいなという夢も昔から持っていたから、彼が亡くなったときは悲しかったのと同時に、"そうか、彼と共演するチャンスはもうないんだな"とも思ったよ。
-早かったですよね。まだ60代(67歳没)だったそうですから。
僕もそう思うよ。