INTERVIEW
メトロノーム
2022.08.29UPDATE
2022年09月号掲載
Member:シャラク(Vo) フクスケ(Gt) リウ(Ba)
Interviewer:杉江 由紀
悟りを開いているというか、達観してるところはあると思いますよ
-一方、この「失敗だ傑作だ」の歌詞については――
フクスケ:信じられないくらい詞が長いですよね。内容的には、失敗すると笑えるな=傑作だっていうことが主軸です。何かあったときに落ち込んだりしても失敗しちゃったことは今さらしょうがないし、笑い飛ばすくらいのほうがいいような気がするんですよ。とりあえず、その連続でまだ生きてるんで大丈夫だと思います(笑)。
-かと思うと、リウさんの作詞曲による「カルマ」は、初代ファミコンの頃のレトロなゲーム・ミュージックを思わせるイントロが耳に残る面白い1曲ですが、その反面でイントロ以降の曲展開は相当ドラマチックでもありますし、歌詞もかなり普遍的且つシリアスです。このプロットはいかにして生まれたのですか?
リウ:曲としてはロール・プレイング・ゲームが始まるみたいなイメージから広がっていって、そこから緩急のある展開を作っていきたかったんです。意識としては、毎回そう思っているところはあるんですけど、これまでのメトロノームから"ギリギリ外れる"ような、新しさを取り入れた曲を目指してましたね。自分はメトロノームの中だと、そういう新しい挑戦を率先してやっていくのが向いていると認識しているところがあるので、この曲でもその姿勢で複雑なかたちに作ってみました。歌詞に関しては、袖振り合うも他生の縁っていうあの言葉を自分なりに広げて書いてます。
-ちなみに、ここでの間奏におけるベース・ソロ、そこからのギター・ソロで聴けるアンサンブルは実にダイナミックです。特にギター・ソロはほぼメタルに聴こえます。その意味で、こちらは激ロック読者に特におすすめしたい曲でもありますよ。
フクスケ:あのへんのギター・フレーズは全部メタルですね。僕は速弾きのできないメタラーなんです(笑)。
リウ:最初は"ここは長い尺でギター・ソロお願いします"って頼んで、そこにあとからシンセも足そうかなと思ってたんですよ。でも、めちゃめちゃカッコいい音があがってきたんで、何も入れずにそのまま全部をみなさんに聴いてもらうことにしちゃいました。
-この「カルマ」でのヴォーカルに関して、シャラクさんが歌っていくうえで大事にされたのはどのようなことだったでしょうか。
シャラク:この曲に限らず、今回のアルバムとシングルでは各作曲者に立ち会ってもらって、それぞれヴォーカル・ディレクションをしてもらったんですね。これが思っていた以上にいい効果を生みまして、これまでだったら、自分で勝手に解釈してデモの仮歌をトレースするみたいな感じだったんですけど、部分ごとに"ここの裏声はこのニュアンスで合ってますかね"とか、細かい確認をしていくことができました。
リウ:去年末にライヴ・ベスト+新曲の入ったアルバム『5th狂逸インパクト』を出したときに、新しく録った「華胥之夢」、「汚レテ汚レタ時刻二」で試しにそのやり方をやってみたんですよ。それが良かったんで、今回も基本的に僕とフクスケ君が、それぞれの作った曲でヴォーカル・ディレクションをやることになったんです。
シャラク:おそらく、自分にはこのやり方のほうが合ってるんでしょうね。今回はできなかったんですけど、次回またアルバムを作ることがあったら、今度は自分の曲もすべて誰かにディレクションしてもらおうって思いました。この誰かというのは、メンバーではなくて自分が好きなヴォーカリストなりプロデューサーっていうことなんですけど。これは間違いなく、今回のアルバム制作で得られた次への課題ですね。
-それから、リウさんはEDM要素を組み込んだ6曲目の「シナスタジア」も作られていらっしゃいますが、こちらは冒頭で語っていらした通りの曲になっておりますね。
リウ:はい。"あの夏"に想いを馳せながらみんなで一緒に歌うっていう曲になってます。まだもうしばらくなかなか声は出せないでしょうけど。この"シナスタジア"というのは共感覚って意味なんですよね。そこにはいくつかの意味も重なってるし、歌詞の内容としてはシングルのカップリングに入れた「虚空」ともちょっと繋がってます。
-さて。次は7曲目の「夢の始まり」についてのお話をさせていただきたいのですが、正直この曲のギターの音には驚きましたね。メトロノームのアルバムで、ここまでオールドスクールで、渋いアメリカン・ハード・ロック的サウンドを聴ける日がやってくるとは、予想しておりませんでした。
フクスケ:あ。これはアメリカン・ハード・ロックなんですか? 僕的にはRAGE AGAINST THE MACHINEとかね。たまにこういうモードの曲が出てくるんですよ。
-しかしながら、この曲は、RAGE AGAINST THE MACHINEより何世代もレイドバックした音に聴こえますし、ここまでこちら側に振り切れた曲はこれまでなかったような......!?
フクスケ:それはあるかもしれないですね。いろいろ乗っかってきて、結果こうなったというか。自分としては"たまたまそういう周期が来たんだと思います"としか答えられないんですよ。それだけに、これは弾いててすごく楽しかったですね(笑)。
-でも、歌詞の内容は楽しいどころかずいぶんとメランコリックではありません?
フクスケ:曲のトーンからいって、そんなに明るい歌詞は乗せられないなっていうのがあったんですよね。これは今までのメトロノームでも書いてきたことのある、いわゆる暗い詞のひとつになりました。
-"父さん母さんごめんなさい/僕はもう戻れない/暗い暗い暗い世界で"というこの歌詞と、先ほどの「失敗だ傑作だ」を同一人物が書いているということに、何よりの闇深さを感じてしまいますよ。
フクスケ:失敗を笑えてたときもあったんですけど、ここでは生きててごめんなさいくらいの感じになっちゃってますからねぇ。まぁ、自分自身も両極端なところがあるんで、そのうちの暗いほうがここでは出たんだと思います。
-この音像の中でこの詞を歌うとなったとき、シャラクさんはどのようなスタンスで歌っていかれたのでしょう。
シャラク:ミスチル(Mr.Children)みたいな感じを意識しましたね。ミスチルのすごいロックな曲ってあるじゃないですか。ああいう雰囲気を出していこう、という気持ちで歌いました。
-そこから一転しての「少年」は、ノスタルジーと夏の情景が交差する素敵な曲となっております。ここにはある種の爽やかさも香っていますね。
リウ:コロナ禍で配信ライヴしかできなかった時期に、メトロノームとしては珍しくアコースティックでやったことが何度かありまして。そのときにシャラク君が、ビブラートを効かせながらいつもとは違ったアプローチで歌っていたんですけど、ああいう雰囲気っていいなと思ったことをこの曲には取り入れたんですよ。歌も含めて3人の音を前面に出した音作りをしているところも、ひとつの特徴ですね。
-ぶっちゃけ、メトロノームのみなさんは"そこそこいい大人"でいらっしゃるかとは思うのですが、この曲からはみなさんの中にずっと息づいているのであろう、純真な少年性のようなものが感じられますね。
リウ:言葉としては、どうしてもおじさんって書くより、少年って書いたほうが伝わりやすいことが多いのはあるんですよね(笑)。あと、この歌詞では伏線回収もしておきたかったんです。なぜ、これまでいくつかの曲で"少年"っていう言葉を使ってきたのか。ここではその理由を明確にしてあります。
-"その人格を少年と呼んだ"というくだりがそれですね。
リウ:そうなんですよ。いつか書きたいと思っていたことをここでやっと書けました。
フクスケ:そういう少年感、ほんとはギターでも出したかったんですけどね。どちらかというとノスタルジックのほうに自分の気持ちが寄っちゃったせいか、普段は使わないファズを使ったんで、むしろ音はオジサンのほうに傾いちゃいました(笑)。
-かく言うフクスケさんは、9曲目の「明日もきっとやってくる」も作られていますが、この曲もまたとびきりのライヴ・チューンとなっている印象です。
フクスケ:これはもう、そのまんま勢いがあって元気な曲にしたかったんです。もちろん、歌詞も自分らしい感じの前向きなものにしようと思って書きました。
-"腹が立っても クララが立っても"、"角が立っても ジョーが立っても"といったフレーズは、昭和の名作アニメを知る人間にはたまらない表現です(笑)。
フクスケ:立つと言えば、やっぱり"アルプスの少女ハイジ"のクララと"あしたのジョー"のジョー(矢吹 丈)しかいませんよ(笑)。
-このあたりのコミカルでいて鋭く真理を突いた言葉選びのセンスには、脱帽するしかありません。ある意味、そうしたトーンは10曲目の「日常的の帰結」からも感じられることで、小気味よい空気感の漂う曲調と、シャラクさんの書かれている"嫌よ嫌よは嫌なのよ"という言葉にすべてが集約されているかのような歌詞は、極めてシュールです。
シャラク:それまで日常だったことがいろいろ日常じゃなくなって、ちょっとずつ戻るような期間もあった反面で、今はまた"戻れんのかな!?"みたいなところもあるわけで、これはそんな感じの曲ですねぇ。何が正解で不正解という話でもないし、自分の思いだけではどうしようもないこともあるんですけど、この曲ではそれを難しいなって悩むのではなく逆に面白がってます(笑)。
-アルバムの最後を飾る「あゝ諸事情」では、シャラクさんのポエトリー・リーディングを聴くことができますが、あれはどのような意図で入れることになったものでしたか。
シャラク:自分としては"しゃべってる"感覚ですね。優れたメロディじゃないんだったら、いっそメロディは別になくてもいいかなと最近は思うようになってきていたので、サビ以外は歌いませんでした。
フクスケ:シャラクがしゃべってるところはほんと自由なんで、その後ろのギターはカッチリ弾きましたね。どっちも自由だと大変なことになっちゃうんで気をつけました(笑)。
-とはいえ、この詞の内容としては自由に奔放にはっちゃけているというよりは、どこか無常な風情が強く感じられます。
シャラク:悟りを開いているというか、達観してるところはあると思いますよ。かなり"無"です。僕自身は本来かなり熱いほうですし、お酒を飲んでいたときにはグチグチ言いながらよく熱くなってた感じだったんですけど、お酒を飲まなくなってからは何かあってもスっと"無"になれるようになりました。
-要するに、その片鱗がこの詞の中には出てきたわけですね。
シャラク:まだわからないですけどね。やめて時間もそんなに経ってないですし、今回の詞で言えば若干の変化が出ているような気がするのはこの詞くらいだし。でも、周りからは"やめて良かったね"と言われるので(苦笑)、これからもっとそういう部分を詞にも生かせたらいいなと思ってます。この先どうなるかはわかんないですけど。
-ある種、この『阿吽回廊』というアルバムは、フィクションでありながら多分にドキュメントなものでもあるのでしょうね。そんな今作にこのタイトルが冠された理由についても、少し解説をいただけますか。"阿吽"はわかるとして、なぜそこに"回廊"という言葉がついてきたのかが知りたいのです。
フクスケ:今回の場合はコロナ禍以降に作った最初のアルバムなので、どうしてもそこの影響はありましたね。僕らだけじゃなく大概の人が、コロナ禍が明けてどうにか日常が戻ればって思っているわけですけど、なかなかそうはいかずにグルグルと何周もしているというか。そして、メトロノームというバンドに関して言えば、コロナ禍以前から外に向けて発信していくよりは、ずっとメトロノームの世界の中を何十年も回り続けてるような感覚があるので、そこを言葉で表現しようとしたら"回廊"って言葉に行き当たったんですよ。もちろん、自分たちはそんなメトロノームをいいと思ってやってるわけです。
-メトロノームの"いいところ"は、当然9月11日からのツアー"阿吽回廊"でも発揮されていくことでしょう。名古屋、大阪では約3年ぶりのワンマンということになるそうですし、アルバム『阿吽回廊』の曲たちを存分に"回して"きてくださいませ。
リウ:ライヴが思うようにできなかった期間を経て、今回やっとアルバムを出せたということは、その曲たちを演奏していくツアーも必ずみんなの記憶に残るものにしたいですね。のちのちも"あの『阿吽回廊』のときのツアー、良かったよね"ってなるように。
シャラク:新しいアルバムの曲をツアーでやっていくというのは、毎度のことながら緊張するんですよ。ほんとなら最初から曲たちに慣れてないといけないんですけど、できるだけどの曲もツアーを通して自分のものにしていけるようにしたいと思います。
フクスケ:久しぶりではあるものの、何しろ今回の新曲たちをちゃんと生で聴かせられる場があるっていうのはまず嬉しいですよね。ただ、何より今回の衣装がこの間のイベントで初めて着てみたら、信じられないくらい暑くて死にそうだったんで(笑)、僕としては今のところそこが一番心配です。最後まで乗り切れるように頑張ります!