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INTERVIEW

HAWAIIAN6

2012.11.05UPDATE

2012年11月号掲載

HAWAIIAN6

Member:YUTA (Gt/Vo) RYOSUKE (Ba/Cho) HATANO (Dr)

Interviewer:吉羽 さおり

-ミニ・アルバム『The Grails』がリリースされますが、前作からは3年と作品自体も久々で、新体制となったこともありますので、まずはその経緯からお伺いしたいと思います。RYOSUKEさん(FUCK YOU HEROES / HARDCORE FANCLUB)が加入して、今1年ちょっとくらいですよね。

RYOSUKE(以下R):そうですね、去年の6月に入ったのでそのくらいになりますね。

-もともとどういった経緯で加入となったんですか。

R:僕の立候補ですね。彼らがメンバーを探していて、そのタイミングでは僕が入るっていう選択肢はなかったんですけど。なかなかうまくメンバーが見つからなくて、このままバンドがなくなるかもしれないみたいな話になっていて。その時に、僕に時間ができたというか。僕は他でバンドをやっているし、レーベル(STEP UP RECORDS)もやっているけれど、もしかしたらHAWAIIAN6でやる時間ができるんじゃないかなと思って。掛け持ちやってる人間が入れるバンドではないと思ってたんですけども、相談をしてみたというか。なくなるくらいだったら、どうですかっていう話を2人に相談したっていう感じですね。

-バンドを終えることも考えていたんですか。

YUTA(以下Y):なんかよく分かんなかったんですよね。いろんなことが重なったのもあるし、なんか、うん。漠然としてましたね。

-活動できないままいる状態が続いているっていうような。

HATANO(以下H):そうですね。1人いなくて、1個の音がないので純粋にできないっていうのもあったんですけど。ベースがいなかったからできなかったというよりは、その時バンドとしてどうしたいっていうのが見えなかったので。まずそこが、できなかった理由の最初の1つですね。動き出すっていう気持ちの整理がつくまでの時間がまず何ヶ月かあって。そこで、RYOSUKEがやりたいって言ってくれて。最初、僕は反対したんですよね。RYOSUKEがダメだとかそういう意味じゃなくて。お互いが、スケジュールが濃厚なことをやってるバンドだから、その部分で最初はムリじゃない?って話をしましたね。

-そこでどう、この形までもっていったんですか。

H:まあ、腹を括ったというか。2011年の3月に震災があったときに、なにもできなかったんですよね。仲間たちはいろんな活動をやっているなかで、僕らはなに1つ手伝えなくて。僕の個人的な考えですけど、例えば、すげえ忙しいやつだったとして、それが理由で年間にライヴが1回しかできなくなったとしても、その年間の1回が東北でライヴができれば俺はいいやと思って。RYOSUKEがどのくらい忙しくて、このバンドがどのくらいしかできなくなるという想像よりは、1回でもできるようになるんだっていう想像をとったっていう。それが、仲間たちとやっていることと同じ気持ちで同じことが1回できるんであれば、やれないよりかマシだろうと。そう思ったら、いろんなことがクリアになった……というか、クリアにするしかなかったんですよね。

-YUTAさんは、RYOSUKEさんから話を受けた時にどう思っていましたか。

Y:やっぱ僕も最初は全然、実感が分かないというか。どうなんだろうなとは思いましたけど。実際、スタジオに入ってみたらやっぱり、昔からの仲間なのですごいしっくりくるところもあって。できるんじゃないかと思いましたね。

-昔から知っている間柄だけど、こうして3人でスタートを切るということで、曲を作りで意思統一をしたり、こういう風にしていこうっていうことはありましたか。

H:ないですね。逆にもう、性格を知ってるから。ベースをやりたいと言ってくれる人は実は何人もいたんですけど、RYOSUKE以外のベーシストって今までやってきたHAWAIIAN6に合わせますっていう人たちだったんですね。でも、RYOSUKEははっきりいって合わせるつもりはないというか。俺がやりたいことをやりたくて入ってきた、っていう人間だから。その性格をまず活かす、というか。言ってみれば、僕らが捨てればいいんですよ、今までやってきたことを。入ってきた人間がやりたいことをまずやってみて。で、生まれるものに対して自分たちが感じればいい。そのやり方を選んだんですよね。そういう意味では、自由にやってもらえたんではないかなと思ってますね。プレッシャーのある中で縮こまってやるより、人間性を出してもらってやれた分はあるかなって気はしてます。

-この3人でやるとなったときは、HAWAIIAN6らしさっていうのは、そこではそんなに必要なことではなかったんですかね。

H:それを言い出したら、動けなかったと思うんですよ。踏み出せなかった。RYOSUKEだったからできたものも確実に存在していて。以前のものにしがみつく気持ちというか、それは湧いてこなかったから。今思ったことを思ったようにやればいいんじゃないっていう、純粋な考えでしたね。とにかくできることが大前提で。その中でそれぞれが活きたことをできればいいっていう。