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INTERVIEW

CHTHONIC

2012.03.08UPDATE

2012年03月号掲載

CHTHONIC

メンバー:Freddy (Vo)

インタビュアー:米沢 彰

-お寺というからにはライヴできる設備は無いですよね?

そう、とても大変だったよ。機材に関しては埔里(プーリー)の地元にはそういう業者は勿論ないから、全て台北の方から調達したんだ。でも、機材や設備の問題よりも、醒靈寺でライヴをする許可を取ることの方が大変だった。交渉してみたけど最初はダメだって言われたんだ。“音楽イベントをやるだけなんだ!イベント自体には宗教的な意味合いもあるし、人々の教育のためにもなるんだ!”と言って交渉をしてなんとか説得しようとしたんだ。今でも(メタルのライヴではなく、)ただの音楽イベントってことになってるよ(笑)。そして、地元の政治家や友人にも後押しをしてもらった。最終的には占いでやるかやらないかを決めることになったんだけど、占いの結果はライヴをやってよいというものだったんだ。神からの許しによってライヴを出来るということになったと言えるかな(笑)。

-かなり凝ったセットになっていて、映像で見ていてもかなり引き込まれる絵になっていました。オリエンタルなあなた方のサウンドにかなりマッチしていましたが、あのセットはこの公演のために作りこまれたのでしょうか?

そうだね。醒靈寺でのライヴの為だけに作ったセットだったから、もう二度とない特別なセットだよ。

-前作『Takasago Army』のほとんどのトラックをセットリストに組み入れたようですが、これはどういった意図で決めたのですか?

特に大きな理由は無かったんだ。あえて理由として挙げるならば、メンバーそれぞれがすごく気に入っているアルバムだから自然と全曲セットリストに入っていったんだ。

-DVDの制作に当たって、カメラ割りや編集の内容などにあなた方が直接関わったりしていますか?

Dorisだよ。Dorisは編集者でもあるんだ。色んな指示を出したりして、最後の3日間はつきっきりで作業をしていたんだよ。

-全20曲(イントロ含む)というかなりのボリュームの公演となっていますが、最初から最後まで全力でプレイしているのが映像からも見て取れました。体力が良く持ちましたね。

そう。相当疲れたよ。台北から移動して朝の6時ぐらいに現地入りして、色々なセッティングをして、リハーサルもして、ライヴをして、その後に更にアフター・パーティーをやって夜中の1時か2時ぐらいにやっと帰ってきたんだ。本当に長い1日だったよ。

-また、オーディエンスも全力で楽しんでいて、本当に一体感のあるライヴになっていましたね。世界中でショーを行っているあなた方ですが、本国でのショー、本国のファンはあなた方にとってどんな存在ですか?

台湾のファンは少し前まですごく大人しかったんだけど、ここ最近になってメタル・ファンとしてのライヴの楽しみ方が広まってきて、ヘッドバンギングをしたりモッシュをしたり、クラウド・サーフをしたり、メタルっぽいショウになってきているよ。どんどん良い環境になってきているように思う。あと、俺のジョークが通じるんだ(笑)。他の国ではジョークを言おうとしても英語だとなんて表現したら分からないんだけど、台湾では台湾語でジョークを言えるしファンも分かってくれるというのが嬉しいよ。台湾語のジョークだったら持ちネタは沢山あるんだ(爆笑)。相当面白いんだけどな。英語じゃ伝わらないんだよね。日本のファンとそのジョークを共有出来ないのが残念だよ(笑)。

-東日本大震災に際して、かなり早いタイミングで義援金を送られていましたね。あの行動に元気付けられたメタル・ファンもかなり多かったと思います。義援金を送ろうと決めたのはどういった経緯だったのでしょうか?

日本と台湾は昔から友達なんだ。何百年も昔、中国の東の沿岸部で海賊として活動していた時代からね。とても多くの人たちが、とても昔から友達同士だったんだ。そして、台湾は日本と同じプレートに乗っているんだ。台湾にも同じように原子力発電所があるから、世界の中でも日本と同じように台湾も危険だと言われているし、他人事とは思えないんだ。地震が起きた時、全ての台湾人が“自分にできることは何か”、“何をすべきか”を考えたと思う。俺も自分の電話帳に入っている日本人の友達に連絡を取ろうとした。それに、家族や親戚もいる。俺の叔父は名古屋にいるし、Dorisの従兄弟は京都にいるんだ。地震が起きた時に、俺たちはすぐに連絡を取り合った。すぐに行動を起こして、“効率的な”支援をしなきゃいけないと思ったんだ。自分たちは日本政府にはお金がたくさん送られてるのは分かっていたんだけど、政府はすごく複雑だし、政府に集まったお金がどういう用途でいつ使われるのかも分からなかったから、すぐに使って欲しいと思って赤十字に義援金を送ろうと決めたんだ。

-発生当時はどちらにいらっしゃったのでしょうか?

その当時はパソコンの前にいて、ニュースを見て地震のことを知ったんだけど、最初は本当に信じられなかったんだ。これは冗談なんじゃないかとも思ったよ。日本は安全のために予測を立ててきちんと準備をしている国だと思っていたから、日本が対応できないような悲劇が起こるなんて思わなかったんだ。