COLUMN
TeddyLoid presents DANCE × ROCK CHRONICLE Vol.3
-逹瑯さんの声がもともとが素晴らしいので、あんまりオートチューンで聴きたくはないかなっていうのも、聴き手側としてはあったりもしますね。
M:まあ個性は個性なんで、それはそれでいいんですけどね。
T:たしかに逹瑯さんの声に倍音は多く感じるかも知れません。声の中に高い声と低い声が同居してるというか。
M:そういう人ってたまにいて、ギルガメッシュの左迅もそうなんですよ。前に歌を直したときにすごくて。あいつはまだ直しやすいんですけど。
-ミヤさんは、この「リブラ」のリミックスをどのようにかけたいと思いますか?
M:まずは明日WOMBでDJをするので、そこにうまく歌のところを入れ込んで使おうと思います。(※この対談は2015年4月27日に行われました)
T:今回はちょっと悩みましたが、曲をビート始まり、ビート終わりにしたかったんです。
M:うん、ビートイン・バージョンも欲しいです(笑)。
T:DJをやるときに、SEとかから始まるよりビートから始まる方が本当は使い勝手がいいし、それによってDJがその曲を使うか使わないか判断されたりしますから。
-たしかにそのほうが使いやすいですよね。ミヤさんのDJは、ミニマルが軸で、うまくロック・リミックスを取り入れて盛り上げるのに使っている印象です。
M:場によりけりですね。激ロックみたいな現場のときはロック・リミックスが多くなるけど、本当はしっぽりやるのが結構好きなんで(笑)。テクノが好きだし。
-ミヤさんがDJを始めたのって何年くらいでした?
M:2010年とかかな。最初は自分でやろうとは思わなかったんですけど。
-そうなんですか?
M:DISCO TWINS(KAGAMIとDJ TASAKAによるユニット)を生で観たときに、すごくロックを感じて。なんか、こういうことやっていいんだ、煽っていいんだみたいな。当時は日本のDJでミュージシャンてあんまりいなくて。WOMBとかではやってましたけど。でも、その2週間後くらいにKAGAMIさんが亡くなってしまったんですよ。それで、なんか俺もやってみようという気になったんです。ショックだったし、すごく好きだったので。
T:そういうきっかけだったんですね。
M:たまたまYUKSEKが来日したときに、サポートしたのがDISCO TWINSだったんですよ。西麻布WAREHOUSEで。
T:あ、そこには僕もいましたよ。
M:それがきっかけですね。それまではただの遊びだったんですけど。
T:YUKSEKかっこよかったですよね~。
M:1st(『Away From The Sea』)が出たときのあの感じは衝撃でしたね。2009年くらいかな。
-ちょうど、ニュー・エレクトロとかが流行ってたころですね。
M:そうそう。で、激渋なところから攻めてって、最後1~2曲だけ自分の曲をかけて帰っていくっていう(笑)。その感じがすごくかっこよくて。やっぱりオリジナル・ミックスを聴きたいなっていうのもあるから、まだかなまだかな~って待ってて、で、最後だけで終わっちゃうっていう(笑)。あ~、もっと観たかったな~っていう、ちょうどいいところで終わるんですよね。ライヴと似てるのかな。
T:ライヴ・セットだと、歌も歌うし。キーボードも弾くし。
M:すごくロックを感じる部分があって、あと、ちょっとインダストリアルな匂いもしたり。
-YUKSEKの代表曲ってなんでしたっけ?
T&M:「Tonight」。
M:実はMUCCの新曲にも「Tonight」っていう曲があるんですよ。音的にはまったく関係ないんですけど、あの世界観がすごく好きでした。
-『志恩』がリリースされたのが2008年ですから、ちょうどエレクトロ・ブームのころで、フレンチ・エレクトロだと、TeddyLoidさんが多大な影響を受けたJUSTICEの『†』(クロス)がリリースされたあとでしたけど、ミヤさんはそのころ、どういうダンス・ミュージックを聴いていましたか?
M:VITALICとか、Ken Ishiiさんとか、すごく好きで聴いてましたね。Ken Ishiiさんは、プレイを観るとすごく感動するし。あと石野卓球さんが"WIRE"を開催して、日本ではそんなに知られてないけど、海外では有名なDJをたくさん呼んでますよね。しかも、すごく"音的"な人たちをいっぱい呼んでいて。それにはすごく影響を受けましたね。
T:わりとテクノ寄りのサウンドが好きなんですね。
M:そうですね。電気グルーヴもすごく好きだし。昔ハード・ハウスっていうジャンルがあって、そこらへんから入っていったんです。トランスとも違うんですよ。もうなくなっちゃいましたけど、新宿のコマ劇(新宿コマ劇場)のあたりに結構大きなCODEっていうクラブがあって通ってましたね。どのDJが好きでというよりは、完全にジャンルで通ってました。