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INTERVIEW

HYDE

2022.07.26UPDATE

HYDE

インタビュアー:杉江 由紀

変幻自在な表現力を持つHYDE。その時々により歌い方だけでなく、立ち居振る舞い、見目形さえをもがらりと変えることによって彼は常に至高の表現というものを追求しているのだ。現在は9月5日まで続く"HYDE LIVE 2022 RUMBLE FISH"でロックなモードに徹している一方、このたび発表される『HYDE 20th Anniversary ROENTGEN Concert 2021』の中でのHYDEは、オーケストラを従えての静謐にして寧静なる音楽世界を展開しており、同作に収録される京都 平安神宮での雅楽を取り入れたパフォーマンスも圧巻にして秀逸なことしきり。ここではそんなHYDEの思考回路に触れてみよう。

-激ロックでは、先だってcoldrainとの対バンとなったZepp Haneda(TOKYO)での"HYDE LIVE 2022 RUMBLE FISH"をレポートさせていただいておりまして、あの熱く激しいライヴ・アクトにはただただ圧倒されました。一方、このたび世に出る映像作品『HYDE 20th Anniversary ROENTGEN Concert 2021』はオーケストラ・コンサートや、オーケストラ+雅楽とのコンサートが収録されており、繰り広げられているのは静けさを伴った美しき音世界です。HYDEさんの内にある激しい情熱と、静かなる魂。きっとその両者は、HYDEさんにとってどちらもあって然るべきものである、ということなのでしょうね。

そこはもう、今となっては開き直ってます。昔からいろいろなロック・ミュージシャンたちに憧れてきた中で、例えばMETALLICAみたいにずっとヘヴィ・メタルをやり続けているアーティストに対してのリスペクトも当然あるんですけど、自分の場合はここまでの間にいろいろな活動をやってきているのもあって、このいろいろやっている状態こそが自分のスタイルなんだろうなと今は考えているんですよ。逆に"ここまで振り切れるやついねーだろ"っていうのもあるし。しかも、場合によっては同時進行でね。だから、今となってはそれが僕の個性かなって思ってます。

-なお、今作『HYDE 20th Anniversary ROENTGEN Concert 2021』の中のDISC1"20th Orchestra Tour HYDE ROENTGEN 2021"は、2002年に発表された管弦楽器をフィーチャーした1stソロ・アルバム『ROENTGEN』を、約20年の時を経て実演されていった模様が収められた映像作品となりますが、本来であればHYDEさんは2019年6月にロック・アルバム『ANTI』をリリースしたのち、2020年には米国を中心とした海外でのライヴ展開をしていきたいと考えられていたそうですね。つまり、昨年は世界情勢の変化に伴いアグレッシヴなモードから、繊細且つソフィスティケートなモードへとシフトチェンジをされたことになるかと思います。そうした活動方針の変化を余儀なくされた過程で、HYDEさんが難しさや大変さを感じられたことはあったのでしょうか。

コロナ禍はとにかくしょうがなかったですもんね。そもそもコンサートをできるかどうかという次元の話になっていたし、ライヴハウスに関してもやれるのか、やれないのかみたいな状態だったんですけど、幸いホールで着席という形だったらできるという選択肢が見えてきたときに、僕からすると着席でのロック・コンサートというのはとてもじゃないけど考えられなくて。だとしたら、オーケストラと一緒にやるのはどうだろう? というのはむしろ自然な流れとして決まりました。

-オーケストラや雅楽などの生楽器たちとライヴをしていくとなると、当然ながら通常のバンド形式のライヴとは異なる部分もあったのではないかと思います。HYDEさんが、ステージで最も留意されていたのはどのようなことでしたか。

自分の歌に集中することに専念しましたね。演奏についてはもう完全にお任せで、一緒にやってくれているのは一流のミュージシャンたちばかりなので。僕からは何か言うこともないし、彼らが一生懸命に奏でてくれる音に聴き惚れるような感覚だったので、その音に浸りながら自分の歌に集中していただけでした。

-ある意味とても贅沢な時間だったのですね。

実は今まで、歌に集中するということにはあんまり慣れてなくて。こんなに何十年も歌ってるのにね(笑)。というのも、パフォーマンスと歌に無理が出てしまって、自分でも何をしているのかよくわからなくなってしまうときがあるんですよ。何かに憑依されているような、イタコみたいな状態になってくるので、いつもだったらあまりそうならないように、なるべく冷静に歌って、いいパフォーマンスを受け手側に届けたいという気持ちが強くあるんですけど、歌だけに集中しても許されるのがオーケストラ・コンサートなのかなと。

-憑依されているような感じ、というのは言い得て妙なお言葉ですね。

ロック・コンサートの場合、歌っているときにずっと動かないままでいるというのはなかなか難しいし、僕はヴォーカル・スタイルとしてもそういうのは好きじゃないんですよ。でも、クラシック・コンサートであれば歌だけに100パーセントとはいかないまでも、90パーセント以上は自分の感情なりエネルギーを注ぐことができるし、それがアリなシチュエーションだと思いますからね。自分の歌のスキルを上げるためにも、時にはそういった形でやることも必要なんだなと感じました。パフォーマンスどうこうじゃなく、お客さんたちの心に歌そのものを届けることができるという点も、オーケストラ・コンサートならではなんじゃないかな。

-ちなみに、20年前にアルバム『ROENTGEN』を出された際にはツアーをされなかったそうですけれど、その件がここに至るまでの間にHYDEさんの中で"引っかかって"いたところはあったのでしょうか。

ないない、それはまったくなかったです(笑)。今となっては"なんでやらなかったんだろう?"って思うくらいというか。

-特に明確な理由はなかったと。

いや、理由はありました。もともと僕はDavid SylvianやStina Nordenstamとかが好きだったんで、彼らがライヴをしている印象っていうのがなかったんです。特に、20年前だとYouTubeもまだなかったはずで情報が少なかったし(※YouTubeドメインが有効化したのは2005年)、それにもしライヴをやっているのを知ったとしても、別に行きたいとも思わなかったんです。ああいった静かな音楽というのは、アルバムを聴くだけで充分だと感じていたので。つまり、自分にとって当時は『ROENTGEN』っていうアルバムを完成させた時点ですべてが完結していたわけなので、そこからライヴをやることに対してはまったく興味がなかったんです。ただ、20年の月日が経って着席でのオーケストラ・コンサートをやろうとなったときに"そういえば、『ROENTGEN』ってツアーしてないね"という話になって。再現すらしたことなかったということを思い出したわけです。

-『ROENTGEN』に収録されていた楽曲たちの側からしてみると、さぞかし嬉しかったことでしょうね。

巡り巡って全部が重なったということなんじゃないのかな。コロナ禍になって、オーケストラという形くらいでしか思うようにコンサートはやれないし、ソロ・デビュー20周年だし、そもそも20年前に作った『ROENTGEN』のライヴはやってなかったし、という。きっと『ROENTGEN』は、この絶妙なタイミングを待ってたんだと思います。

-久しぶりに『ROENTGEN』の曲たちと対峙されたときに、HYDEさんが改めて何かを感じるようなことはありましたか。中には、まさに20年ぶりに歌われることになった曲もあったわけですよね。

厳密なことはちょっとわからないですけど、たぶんそういう曲もあったかもしれないですね。そして、改めて気づいたことっていうのは......歌って結構魂を揺さぶるんだな、ということだと思います。よく考えたら当たり前のことではあるものの、僕はそのことを、そんなに深くは理解していないところがあった気がするんですよ。要は、感情を乗せて歌うというのは精神論だけの話じゃないんだろうなということに、今さらですけど気づいたんです。

-精神論ではないのだとすると、どのようなことがさらに重要であると感じられたのです?

もちろん精神論も必要ではあるんです。でも、それ以上にちゃんと歌で表現できているか、テクニックを伴った表現でしっかりと歌えているか、ということのほうがより大事で。例えば、悲しい曲を泣きながら歌ったらそれで伝わるかと言ったら、それはまた違う話だと思うんです。それは雰囲気とか視覚の面で悲しさを醸し出しているだけであって、歌自体で表現しているのとは違うわけですよ。歌だけで人の心にいろんな感情を届けたり、言葉の意味を伝えていったりすることができるように集中して歌うというのは、今思うと『ROENTGEN』を作った20年前の自分にはまだできてなかったことだったんだな、ということがこのコンサートをやってみて初めてわかりました。

-そういえば、今作中のMC部分においてHYDEさんは"20世紀のうちにもし死んじゃってたら駄目でした。今こうして歌うことができたからこそ、この曲たちをきちんと表現することができた"という旨の発言をされていますものね。

ほんと、この映像作品の中ではちゃんと"歌えている"と思います。

-ところで。今作では『ROENTGEN』に収録されている曲以外にも、「SMILING」や「THE ABYSS」などの新曲を聴くことができます。20年前の曲たちと、それらを混在させていくときに何か意識されたことはありましたか。

それは別になかったです。ただ、新しい楽曲のほうがもっと音楽的に追求したうえで作れたのは間違いなくて、昔の曲はやっぱり若さもあったし、たぶんいろんな面でのハードルは今よりも低かったと思うんですよ。と言っても、当時は当時で自分なりに納得できる基準を超えた形でどの曲も作っていましたよ? だけど、昔と今ではその基準点の高さが違っているのも当然なわけで、より精度とか完成度の高い曲を歌っているときのほうが、自分としてはやっぱり気持ちいいし楽しいですね。今の自分はこれだよ、っていうふうに自然に歌えるんです。

-かと思うと、今作中にはglobeのカバーとなる「DEPARTURES」を歌っていらっしゃる場面もありますね。

「DEPARTURES」は、小室(哲哉)さんのトリビュート(2015年リリースのアルバム『#globe20th -SPECIAL COVER BEST-』)が出たときに小室さんからの依頼で歌ったことがあって、それ以来ことあるごとに歌っていますし、今やほとんど自分の曲かのように歌っているので(笑)、今回のセットリストにも入れることにしました。

-HYDEさんはDURAN DURANの「Ordinary World」などもライヴでカバーされておりますが、オリジナル曲とカバー曲ではヴォーカリストとしてのスタンスに多少なりでも違いというのはあるものですか。

そこは本家があるからこそのアレンジ、というのが大事になってくるのかな。同じようにやるよりも、自分なりの違うアプローチでさらにその楽曲に新たな表情をつけたいなという気持ちはカバーの場合だと常にありますね。

-それと同時に、今作中ではL'Arc~en~Cielの「HONEY」(1998年リリースのシングル表題曲)をボサノヴァ・テイストにてセルフ・カバーされている様子や、「HONEY」がオーケストラ・アレンジで演奏されている様子も拝見することができますが、この場合における曲たちとの向き合い方はどのようなものでしたか。

ソロのライヴ、それもオーケストラの形でL'Arc~en~Cielの曲を普通にロックのまま演奏したとすると僕的にはときめかないんですよ。今回の場合は『ROENTGEN』に沿ったアレンジをしつつ、ちょっとジャジーな雰囲気も入れながらやっていったことで、コンサート全体に美しい流れが生まれたんじゃないかと思います。

-ジャジーな雰囲気という点では、トランペットが強い存在感を放つ「A DROP OF COLOUR」も渋くて粋な空気感を生み出していますよね。ロックでアグレッシヴなHYDEさんも魅力的なのですが、こうしてオトナっぽさを前面に打ち出したHYDEさんも大変に魅惑的です。

あぁ、あの曲はまさに渋いですもんね。『ROENTGEN』の世界が見事に再現されてますよね。もっとも、あと10年くらい経ったら"こっち"のほうが僕のスタンダードになると思いますよ。年を取ったら、渋い曲を延々とダラダラ歌いたい(笑)。